二宮金次郎像と言えは昭和の初めにはどの学校にもあったと聞きます。尊敬すべき人の象徴だったんですよねえ。時代は変わって現在はな

がらスマホ禁止のご時世、ながら読みはダメという訳ですかねえ。どの学校からもほとんど姿を消してしまいました。ですが私の住む町にはまだまだ健在です(出身地の小田原には記念館や像もあるらしいですし映画も昨年上映されたみたいです)。外観もきれいです。一番近くの像をよく見ると昭和31年寄贈となっています。驚きですねえ。私(64歳)の生まれた年ですww。少子化で消え去った小学校隣の公園の登り口にひっそりと立っています。最近思うんです。この像の使い道はまだまだあるんじゃないかと。二宮金次郎は、自分のおかれた立場ではやるべきことがあるが、それをやることを決して怠らず、工夫をして作った少ない時間の中で好きなことを夢中でやったと思うんです。たまたまその道が学問であったというだけですね。金次郎のおかれた立場でのやるべきこととは何だったのかは「背負っている薪」が象徴していますよね。今の時代、子供が夢中でやっているゲーム(スマホゲーム)も一見それと変わりませんが、ただ違うのは自分のおかれている立場でやるべきことが全く見えてこないことです。ただ単にほとんどの時間を使って夢中になりさえすればいいってもんじゃないように思います。なので、ただ「××(例えば勉強や分担する家事)をやりなさい!」と言うだけじゃなくて、「やるべきことをやったらその後は、夢中になれるものをとことんやりなさい!」と言うべきじゃないでしょうかね。人によっては学問の或る分野だったり、芸術の分野だったりと違いますよね。誰もがその時々には他にやるべきことがありますから自ずと興味を持てることに割く時間は少なくなります。なのではっきり言ってきついです。工夫しないといけません。自ずと中身の濃い時間になります。しかし精神は決して疲弊しません。親御さんは子供に対しては、やるべきことを子供に悟らせることだと思います。今日は話が堅くなってしまいました。いつも深夜にブログ書いていますからついつい。そしてブログをアップした

後は朝までの間に趣味のピアノの自主練を何時間かですww。