私は、左目が弱視だったこともあり、
保育園で年長になる頃からメガネをかけはじめ、そこから、中学2年生でコンタクトレンズをつけるまで、「メガネザル」と呼ばれることになった。

今思うと、なかなか可愛いあだ名じゃないかと思うけれど、子どもの使う「サル」は無邪気な悪意だ。

小学校低学年で目が悪い子は少なかったので、眼鏡が私の特徴になる=異質なものとして見られているようで居心地が悪く、
内気な性格も相まって「メガネをかけている私はダサい。」という呪いがかかった。

元メガネザルは社会人になっても、化粧をする工程の1つとして、人と会うときは必ずコンタクトをつけた。

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元メガネザルの気持ちとは逆行して、世の中は「おしゃれメガネ」の時代に入る。
「メガネザル」と同級生を呼んでいた人たちが、メガネをおしゃれアイテムのカテゴリに入れる世の中の流れに乗り、度の入っていない黒い縁が太く印象的なメガネをかけた。


「からかいの対象にしていたものをおしゃれの主役にした?!」

「メガネは、人からダサいと思われるかもしれない”矯正器具”ではないの?」
不愉快な疑問が、頭の右斜め下辺りにこびりつき、深く深く根を伸ばしつづけた。

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社会人になって8年経った頃、デスクワークにより元メガネザルの視力は裸眼で両目0.1まで落ちた。
乾燥したオフィス内で、コンタクトを付けてパソコン画面と向き合う時間の長さに限界を感じ、
眼球の健康優先で、仕事中はメガネをかけることにした。


同僚に話しかけられたらメガネを外し、ぼんやりとした相手と打ち合わせをしたり、大勢の前で話す際は、コンタクトを入れにお手洗いに走ったりして、眼球の健康とコンプレックスの間でバランスを保った。

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メガネコンプレックスが27年目を迎える頃、元メガネザルに転機が訪れる。

 

度の入ったおしゃれなメガネをかける男性を好きになった。
彼にとって、メガネは「目が悪いから必要なものがおしゃれだった」だけ。

 

彼が所有する様々なブランドのメガネを見せてもらった。
 

「メガネは、おしゃれかもしれない。私も、自分が好きだと思うおしゃれなメガネが欲しい。」
その時の気持ちは、指輪やネックレスを欲しいと思う感情に似ていた。


1年かけて選んだのは、ayameのCROWN 

 

 

これだ!と思っても、値段が使っていたメガネの3倍だったので、買うまでさらに半年かかった。

 

 

それから、メガネ姿に自信が出たわけではないけれど、

世界で一番素敵な「私の1本」として選んだメガネを見せびらかしたい気持ちが芽生えた。

メガネザルは、自分の目の周りの縁を好きになった。

 

コンプレックスを無くすことは難しいけれど、選びに選び探し出した「お気に入り」を側に置くことは、それを忘れてしまうくらい豊かな気持ちになる。

これからは、ちょっとした文房具や身に付けるものも、とっておきを探すことを楽しもうと思います。

 

 

 

またすぐにお会いしましょう♪

 

かいゆう