人はどうして学ぶのか?『論語』から学ぶ目的を学ぶ | 人生が変わった30代からの習慣

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●人はどうして学ぶのか?『論語』から学ぶ目的を学ぶ

こんにちは、小野尾です。

「人はどうして学ぶのか?」
「どうして勉強しなくてはいけないのか?」

こんな疑問を持ったり、あるいは子供から質問されたりした経験があるのではないでしょうか?

実はその答えが『論語』にあったりします。『論語』から学ぶ目的を学ぶことができるのです。

今回は『論語』に学ぶ目的を学ぶことにします。

では、日本人の教養成講座の第三章「日本人が大切にしてきた道徳」の第一項「日本人が大切に大切にしてきた『論語』という価値観」の第二回目をお送りします。

学ぶ目的は、徳を身に付け、才能を発揮して、人の役に立つこと

論語を学んでいく前に、「学ぶ」ことについて考えてみます。

論語を読み進めていっても「学ぶこと」を理解することはできますが、それでは時間がかかってしまいます。

あらかじめ学ぶことの意味を知っておけば、論語の学びが深まりますので、まずは学ぶことの意味、学ぶ目的をご紹介します。

学ぶことの意味は、論語と共に四書の一つである『大学』から学ぶことができますので、『大学』の言葉を一つご紹介します。

大学の道は、明徳を明らかにするに在り。
民に親しむるに在り。
至善に止するに在り。

「大学の道」とは、「人はどうして学ぶのか?」という問いかけです。それに対する答えがその後に3つ続いています。

「人はどうして学ぶのか?」に対する一つ目の答えが、「明徳を明らかにするに在り」です。

これには、「徳を身につけ、それを発揮し、さらに徳を高める」、あるいは「才能に気付き、さらにそれに磨きをかける」という意味があります。

そして、「民に親しむるに在り」と続きます。 これには、「人と信頼関係を築く」あるいは、「人の役に立つ」という意味があります。

この2つを続けると、人はどうして学ぶのかというと、「徳を身につけ、才能に気付き、それらに磨きをかけ、人に役に立つ」ということになります。

さらに「至善に止するに在り」と続きます。 これには「究極の善の状態に到達する」という意味があります。

これら3つの答えを続けてみると、「大学の道」、つまり「人はどうして学ぶのか?」という答えが見えてきます。

つまり、「人はどうして学ぶのか?」という問いかけに対する答えは、「徳を身に付け、才能に気付き、それらに磨きをかけ、人の役に立つという究極の善の状態に到達するため」だということになります。

人は一人では生きていけません。多くの人との人間関係の上に生きています。

そうした中でよりよい人生を送るには、自分のことだけを考えるのではなく、人の役に立つことを考えることが必要で、そのために徳を身に付けたり、才能に気付いたりすることが必要だということです。

大学に合格する、いい会社に入る、稼げるようになる、という目的で勉強するのもいいのでしょうが、それでは自分のことが中心にありすぎます。

そうではなく、もっと大きな視点、人の役に立つという視点で勉強することが必要だと『大学』や『論語』では教えているのです。

学ぶことは楽しいこと

続いては『論語』から学ぶことについてみていきます。

まずは、学ぶことがその人にとってどういうことをもたらすかをみていきます。

学びて時に之を習う、亦説ばしからずや。
朋、遠方より来る有り、亦楽しからずや。
人知らずして慍みず、亦君子ならずや。

「学びて時に之を習う」というのは、学んだことを身に付けるためにできるようにするために、日常生活のあらゆる場面に当てはめて、何度も繰り返しおさらいをすることです。

そうすることで、学んだことが身になり、意識せずに自然とできるようになります。知識と実践を一致させられたらとても喜ばしいことだということです。

続いて「朋、遠方より来る有り」というのは、学問や志を同じくする友人が訪ねて来て、学んだことを語り合うことで、そういう仲間がいることはとても楽しいことだということです。

最後に、「人知らずして慍みず」というのは、自分の学んだことがしっかりと身になっているというのに、そのことを知られていないとしても、気に留めずに、引き続き学びを続けることが立派な大人だということです。

この言葉には、学ぶことについての孔子のこんな気持ちが伝わってきます。

何度も繰り返して、身になったら嬉しいじゃないか。
学ぶことで仲間ができたら楽しいじゃないか。
人に知られなくても気に留めることはないさ。

学ぶだけではだめで、考えることも必要

続いては、学ぶときの注意点です。

学びて思わざれば、則ち罔し(くらし)。思いて学ばざれば、則ち殆し(あやうし)。

「学ぶこと」と「考えること」の両方が大切だと言うことです。

先程ご紹介した言葉にもありましたように、孔子は知識と実践を一致させることを大切にしました。ここでも、「学ぶこと」と「考えること」の両方が大切だと言って、知識と実践の一致を説いています。

どうすれば、学んだことを社会の役に立てるかと考えて、実践できるにようにして初めて社会の役に立ちます。学んだことでも実践できなければ、社会の役に立ちません。

逆に体験したり経験したことに学んだことで得た知識という裏付けがなければ、常識に反したり、世の中の動きについていけなかったりして、社会の役に立たないことでも社会の役に立つと考えてしまうような独りよがりになってしまいます。

学んだだけでも、経験しただけでも、ダメなのです。

「学び」と「経験」を繰り返すことで、学んだ知識や得た経験を社会の役に立たせることができるのです。

インターネットの普及でたいていのことは検索して見付けることができます。知識は簡単に手に入る世の中です。

そんなの世の中だからこそ、「学びて思わざ」る人間にはならないように気を付けたいものです。