おはようございます。

先日、出先でエスカレーターに乗れずに
困っている人を見かけました。

最初は列の初めでなにが起こっているのか
わかりませんでした。

並んでいる人はの表情から
迷惑そうになにをしてるんだと
睨んでたり、どうしていいかわからないと
戸惑いの表情で追い抜くひと、
後ろから押してそして追い抜くひとがいたので
何かが起こっているのだとわかりました。
だれも声をかけるひともなく
自分が真後ろになりました。

見るとうまくタイミングが取れず
エスカレーターに乗れなくて
困っているにだと気付きました。

「一緒に乗りましょう、腕を持ちますから
せーので」

エスカレーターにうまく乗れました。
後ろから抜かす人もいるので
その方の前にとりあえずのりました。

後ろをみるとまだ不安そうです。
列が途切れたので、横にいき
「降りるときも一緒におりましょう、
上に着いて平らになったら前に一歩
一緒に出しましょうね。大丈夫👌」
と笑顔で声をかけ手を繋いで
エスカレーターを無事降りることが
できました。

「じゃあ、行きますね。気をつけて」

その方は会釈をして喜んでいるようでした。

そこにご婦人が駆け寄ってこられ
声をかけてこられました。

「エスカレーターの見てたの。
ありがとう、あなた偉いわね、助けたかったけど
わたしなにをしていいのかわからなかった。
きっと喜んで感謝してると思うわよ」

「そう言っていただけると嬉しいですね。
ありがとうございます😊」

「自然にできるなんてすごいわ」

「そう言われるとすごく恥ずかしいです。
大したことしているんじゃなく当たり前の
ことですから」

「当たり前って思ってるあなたすごいわ、
またどこかでおあいできるといいわ〜、
じゃあまたね、気をつけて」

と去っていかれました。

幼い頃、エスカレーターに乗れなくて
困ってたときに知らないおばさんが
「おばちゃんが一緒に乗ってあげるから
大丈夫よ」って助けられたことがあります。
それが嬉しかったことを今でも覚えています。

今回は自分がしていただいたことを
とっさにやっただけなのです。

困ってる人を見たら声をかける、
落し物は交番に届ける
など
昔から当たり前のことだったのでは
ないでしょうか?

そういうことが格好つけてるようで
恥ずかしい、格好悪いなどマイナスに
捉われているような風潮を感じます。

助け合って暮らしている社会ですから
特別なことではないと思います。
誰かに見られてるというのは意識なかった。

昔の日本はそういう助け合いがたくさん
ありました。無関心ではなく、御節介なくらい(笑)

そういう風潮に戻るといいなと
感じた一件でした。
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