今日(3月3日)は「桃の節句」です。

 

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雛人形🎎の中心となる人形について、私に限らず多くの方が「お内裏様とお雛様」と呼んでいますが…何気に調べたら誤用だとか。正しくは男雛と女雛、一対で内裏雛だとか。

でも何故「お内裏様とお雛様」と呼ぶようになったんだろう?実はこの歌が広まったからです下矢印

 

 

 

雛人形🎎、一般的には男雛を右(向かって左)に配置するものばかり見てきました。そのため長年それが普通だと思っていたんですが…人形の配置の仕方は近代前後で変化があり、それが現在も地域差として残っているんです。
壇上の内裏雛🎎は内裏の宮中の並び方を模していまする。かつての日本🗾では左(向かって右)が上の位でした。

明治天皇の時代までは左が高位という伝統があったため天皇は左に御立ちになられるのが普通でしたが…明治の文明開化による西洋化の影響で社会全体が大きく変わりました。大正天皇の即位式では、西洋に倣って右に御立ちになられました。それが皇室の伝統となり、昭和天皇は常に右に御立ちになられ、香淳皇后が左に並ばれました。それに倣い、男雛を右(向かって左)に配置することが一般的となりました。

ただ、京都など西日本の一部では昔ながらの配置を続けている家庭🏠もあるそうです。「京式」と聞きましたが「古式」ともいうんですね。ともかくこれが本来の並びです下矢印

 

 

 

なお雛人形🎎、元々は「形代」です下矢印

 

かつての日本🗾は赤ん坊のうちに亡くなることは珍しくなかったというので、人形に子の厄を遷して水に流す「流し雛」が…親としては必死の思いだったんだと思います。それが雛祭り🎎になったとすれば、そこにはこの成長を願う親の気持ちが込められているのでしょう。

様々な話が伝わっているけど…中には同様のものもあります。雛祭り🎎はそういうものなんだと思いたいです。

 

 

 

では、何故雛祭り🎎が子供に関する祝日🎌にならなかったのか?…実は祝日🎌にという話が、戦後すぐの頃に出ていたんです。だが北海道や東北地方をはじめ寒冷で気候の悪い地域の多い時期を避け、全国的に温暖な時期の「端午の節句」の5月5日にしたというのが大きな理由の一つとされるそうです。

まあ、3月は卒業式の時期、下旬に春休みなので、上旬に祝日🎌が増えても面倒なことになったかもしれませんが😅

 

 

 

あとの豆知識はこちらをどうぞ下矢印

 

 

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