我々の知る皇統(北朝の子孫)が正統と改めてください | 小野公使のブログ

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以前政治問題等について吠えていた小野公使です。今度もいろいろ綴っていくつもりです。

1月10日は「110番の日」、1月18日は「118番の日」だから、今日(1月19日)は「119番の日」かと思いきや…その日って11月9日なんですよね。

 

ちなみにアメブロは、今日を「のど自慢の日」と推しています下矢印

 

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今日はどんな記念日などがあるかというと、こんなところです下矢印
 

○空気清浄機の日 日本電機工業会が2006年に制定。「い(1)い(1)く(9)うき」の語呂合せ。

○カラオケの日/のど自慢の日 1946年1月19日にNHKラジオで『のど自慢素人音楽会』(現在の『NHKのど自慢』)が放送開始されたことに由来。

○はっぴぃおかん・大阪いちじくの日 大阪府羽曳野市のはっぴぃおかんが制定。いちじくの商品を広め、大阪を代表する特産品・お土産にするのが目的。日付は、「いち(1)じく(19)」と読む語呂合わせから。

○家庭消火器点検の日 全国消防機器販売業協会が1991年10月に制定。1と19で「119」となることから。11月9日が消防庁が定めた「119の日」であるため、1月19日を記念日とした。

○いちじく浣腸の日 いちじく製薬株式会社が創業90周年を記念し2015年に制定。さらに多くの人にいちじく浣腸を知ってもらうのが目的。日付は、「いち(1)じく(19)」と読む語呂合わせから。

○いいくちの日 花王株式会社が制定。歯のケアだけでなく、口内環境全般を健康な状態に保つことを意識してもらうのが目的。日付は、「いい(11)くち(9)」と読む語呂合わせから。

○明恵上人改開山忌 紀伊国有田郡石垣庄出身で、華厳宗中興の祖・明惠上人は、1232年(寛喜4年)1月19日に遷化。この日、明恵上人が開いた高山寺では、明恵上人を偲ぶ法要が営まれる。なお、明恵は栄西からもらった茶の種子を栂尾や宇治・五ケ庄大和田の里に蒔き、茶の普及のきっかけを作ったことでも知られている。 

 

○ワンクの日

○いいきゅうりの日<4月を除く毎月19日>

○はっぴいおかん・大阪いちじくの日

○イチジク浣腸の日

○いいくちの日

○「信州・まつもと鍋」の日

○クレープの日

○松阪牛の日

○熟カレーの日

○シュークリームの日

○家庭用消火器点検の日

 

 

ところで、1月19日というと皇室にとって複雑な事があった日でもあります。Wikipediaに載ってますが

 

と書くと、当ブログの読者の中には

1993年 - 皇室会議で皇太子徳仁親王と外務省職員・小和田雅子の婚約を正式決定。

を挙げる方もいるでしょうが…確かにあの邪子、もとい雅子さまの入内がなかったら、皇室って現在のそれとは相当違ったものになっただろうとは思います。といっても、今上陛下と「お似合い」の女性って、他には…ちょっと想像がつきませんがあせる

※結婚に関することであまり天の邪鬼なことを言うと、天罰か何かで終生独身で終わりかねないから、このへんにしておきます🙇

 

皇室にとって複雑な事とは

1911年 - 南北朝正閏問題: 読売新聞が社説で国定教科書における南北朝並立の記述を批判、いずれの皇統が正当かをめぐり帝国議会での論争に発展。

です。
 
我が国日本の歴史で、本来あってはならない皇室が分裂した時代(南北朝時代)の天皇について、南朝の天皇を正統とされてきましたが…今の皇室は北朝の子孫です。
にもかかわらず、近代以前から南朝を正統視する意見が根強く、明治維新以降はさらに強くなりました。明治43年の教師用教科書改訂にあたって問題化し始め、さらに当時発覚した明治天皇暗殺計画(大逆事件)の秘密裁判での幸徳秋水の発言が、これに拍車をかけました。
 
そして明治44年の今日付の読売新聞社説で

「もし両朝の対立をしも許さば、国家の既に分裂したること、灼然火を賭るよりも明かに、天下の失態之より大なる莫かるべし。何ぞ文部省側の主張の如く一時の変態として之を看過するを得んや」

「日本帝国に於て真に人格の判定を為すの標準は知識徳行の優劣より先づ国民的情操、即ち大義名分の明否如何に在り。今日の多く個人主義の日に発達し、ニヒリストさへ輩出する時代に於ては特に緊要重大にして欠くべからず」

とまで主張され、それが政治問題化の火付けとなりました。
 

そのため、政府と対立する姿勢を鮮明とする野党がこの問題を利用して当時の第2次桂太郎内閣の糾弾・打倒を図ったことで、南北朝のどちらの皇統が正統であるかを巡る帝国議会での政治論争にまで発展しました。

政府は野党の懐柔工作に失敗して窮地に追い込まれたものの、桂の後見役である元老・山縣有朋が南朝正統論の立場で動いたことで、政府は野党や世論に押される形で教科書改訂を約束し、教科書執筆責任者を休職処分としました。

最終的に明治天皇に裁可を仰ぎ、政府はこれで得た「明治天皇の勅裁」を根拠に「南朝正統」を決定し、皇統譜令(旧皇統譜令)第41条を定めて北朝天皇を「皇統譜」から除外しました。ただ、根拠となる「明治天皇の勅裁」は詔書さえも作成されていない極めて曖昧な形だったといいます。明治天皇の本心はそこに垣間見えているのではないだろか?

 

 

戦後になって、皇室に対するタブーが破られても「南朝正統」の呪縛は続き、学校の歴史教科書でも南朝の天皇を歴代に挙げ、北朝の天皇はそれとは別(歴代に数えられていない)という扱いです。私も歴史の教科書を読んだ時、これおかしいと正思いました。

誰がどう考えても、今の皇室、あるいは皇籍復帰というか皇籍取得の可能性をいわれている旧宮家、いずれも北朝の子孫です。それなのに、いつまでも「南朝正統」という観念にとらわれていると、終戦直後にあった南朝の子孫という自称天皇が現れかねないし、「明治天皇すり替え説」というトンデモデマがいくら打ち消しても何度でも出てくることになりかねません。そんな変な話が大手を振るうようになると、旧宮家の皇籍取得も不可能になるし、何より皇室そのものの存在が危うくなるかもしれません。

明治天皇があえて曖昧に裁可を下したことを根拠とすれば、歴史的事実に即して系譜を整理し直すことは可能という見方もありますし…どなたか何百年も前から言われてきたことを論破して、我々の知る皇統(北朝の子孫)が正統と改めてください🙇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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