私の過去世がスネ夫だったという話。

 

「人生は“お笑い“なのよー」とはAさんの談。

 

 

その話の前に

世に出ている物語の中にはいつかどこかの実話だった話があり、作家に“書いてくれ!”と訴えてこの世に出ている」

という話があって。

 

それを聞いた時に、まさか!という思いと納得!という感情が同時に湧いたのを思い出す。

 

作家って、閃いたり時に降りてきたりするって言うじゃないですか。

いわゆる顕在意識でひねり出すのではなく、直感(潜在意識)から来ているもので。

 

漫画家さんが「キャラクターが勝手に喋って思ったストーリーから外れてしまった」というのを聞いた事もある。

つまり物語の主人公たちが作家の意思によって捻じ曲げられる事に抵抗しているというか、自分たちの人生やストーリーに忠実に書いてもらうことを望んでいる…というか。

 

信じるか信じないかは自由だけど。

面白い方に一票な私は、アリよりのアリ、の方向で居ることにする。

 

空想上の作品が実は実話だった、という事で、ドラえもんも実話…なの!?

という話で。

 

 

おそ松くんやひみつのアッコちゃんを過去世に持つ人が居るという話を聞いて、面白いなーと思っていたけれど、まさか自分がスネ夫の過去世を持っているとはその時予想もしていなかった。

 

スネ夫とのファーストコンタクトは、去年の冬。

「内臓メタファー」という講座を受けていた時。

 

講座の内容は、

内臓が例えている事象に気づく。

内臓の不調(自覚・無自覚を問わず)に気づく。

内臓が言いたい事を聞いて感じて自分の思い込みに気づき、解除することで内臓の不調が治る。

文章にするとなんだか不思議?に思える講座ですが。

 

内臓は通常「定位置」にあるはずで、ストレスがかかると血行が悪くなり浮腫んで「下がる」そうです。

その原因が自身の「思い込み」に起因しており、そこを解除する事で内臓のむくみをとって定位置に戻す。

という。

施術はとても静かな自分との対話とセルフの施術。

素晴らしい時間でした。

これからのセッションに生かせる最高の手法になりました。

 

その講座中の事。

 

怒りの感情を味わえるようになるために、脾臓の調整を行っていた時。

 

しくしくと泣くスネ夫の姿が脳裏に。

「なんでスネ夫?」と思ったけど、そのままスネ夫のイメージを見ながら調整していた。

ジャイアンが怖いのか。

ジャイアンは怒りの象徴で、うまく扱えないものだった。

調整していくうちに、スネ夫は泣きつかれたのか、眠っていた。

きっと怒りを味わえて、ジャイアンが脅威ではなくなったのだと思う。

 

 

しばらくして。

やりたい放題の上司にストレスを感じた時があり。

適当にゴマすりすれば良いものを「私は絶対に媚びない!!」とその姿勢を崩さない自分が居た。

「なぜ、そんなにもヘコヘコしたくないのか?」と問うた時。

 

ゴマすりが嫌いな私。

スネ夫がジャイアンにヘコヘコしている絵が浮かぶ。

「スネ夫嫌いなんよなー。こうやって強いものに媚びてヘコヘコして立ち回って…」

という感情が沸く。

 

 

またしばらくして。

いつも仕事はテレワークだが、必要があって本社に出勤した日。

 

同僚から「久々ですねー。あれ?そんなに背ぇ低かったですっけ?」と言われ、

「そうなんですー。私チビなんですよー。気持ちは170センチなんですけど(笑)」

 

そういえば、本来の自分の身長と、理想の身長に差があるな…。

このズレって…。

 

家で気づきを取った。

 

本来の自分を直視せず否定する時、ありのままでない時に、心の隙間が生じる。

その隙間に悪いものが入り込む事がある。

ありのままの時、人は最大限の力を発揮できるのだが、私は身長において自分のチビさ(ありのまま)を否定していた。

 

これはバランス調整が必要だ、となった時、過去世が関係している事が分かった。

過去世がどのように関係してるのか…と探っていたら、またもスネ夫のイメージが。

いくつもある私の過去生の一つが「スネ夫」だったことが判明した。

 

スネ夫!?

えっ…ドラえもんのスネ夫!??

はぁ!!?

 

スネ夫嫌いだし、接点なさそうだけど!?

嫌だわースネ夫!!!!

 

と、ウィキペディアで調べたら、私とリンクする事が多すぎて笑えてきた。

 

 

割愛するが「スネ夫の唯一のコンプレックスが低身長」らしい。

今回の身長のズレはまさにそこから来ていた。

 

 

スネ夫に改めて思いを馳せると、ジャイアンにヘコヘコするのは本当は嫌だったんだな、だから今生でゴマすりが嫌なんだな。

とか、

じつは運動神経とかそこそこポテンシャル高いんだけど、クラスで一番というワケではなくて。その他に多彩な趣味で評価されてるけど授業に反映できるものじゃなくて。

結局金持ちとか父の七光りでマウント取るしかなかったんだな。

とか。

そこそこ出来る自分をそのまま「素敵だなぁ」と手放しに思う事が出来ず、他者と比べて自己否定する流れが(物語にあるかないか分からないけれど)切実に感じられた。

 

スネ夫~✨

おい、スネ夫~、お前ぇ~✨✨

一気に親近感が増してきた。

なんだかスネ夫の気持ちが分かる気がするっ!!!

嫌い…には…もうなれない!!!!!

 

スネ夫の学びを超えて、私はありのままの自分を肯定し今生は力を発揮していこうと思う。

ひとまず、スネ夫Tシャツを買う事にした。

 

I'm スネ夫✨

 

 

 

 

 

今判明している私の過去世は13個。

もっと増えると思うが、現時点で一番笑った過去世だった。

 

そして、今夏。

 

過去世が「ジャイアン」だった方と出会うのである。

 

 

「人生は“お笑い“なのよー」

 

 

 

 

 

 

虫の知らせという言葉がある。

 

「虫の知らせ」とは、よくないことが起こりそうな予兆を感じること。

人間の脳は言葉にできない大量の情報を得て推理しており、その無意識の情報処理の結果として「虫の知らせ」や「第六感」と呼ばれる現象が起こると考えられている。

感性を磨いたり推理の経験を積むことで、常人では想像できないような感知能力を持つようになる場合もある。

 

ですって。

検索したらそう出ていた。

 

 

まぁ私(界隈)の場合、本当に虫が情報を持ってきてくれるんですけど。

 

今回は「蟻さん」がお知らせしてくれました。

 

 

 

うちは建てて5年。

 

自慢じゃないけど気密性はまあまあ高く作って貰っていて。

 

だから部屋の最深部で蟻の行列を見た時は驚愕した。

 

 

窓からの借景を楽しみながらテレワークしていたら、パソコン横のコーヒーカップに「蟻」。

 

えっ。

 

どこか窓があいてる?

家の壁にスキマが生じた?

 

と窓と壁を確認するも、ナシ。

 

 

玄関近くなら来るのは分かるけど…。

今まで蟻なんて家の中で見たことない。

食べ物も置いてないこの部屋にナゼ?

 

 

蟻は1匹、2匹と増えて、既に5匹以上がカップの縁を歩いている。

仕舞いにはソファーの下からデスクの上へ行列を成すまでとなった

 

ひえぇ!!となった私は休憩時間に急いで蟻用コンバットを買いに走り、設置。

 

これで駆除薬を蟻が運べば巣まで届いて全滅だ!

と喜ぶも、コンバットには見向きもせず、ひたすらブラックコーヒーに群がる蟻たち。

 

午後、飲み物を抹茶ミルクに変えても蟻は来続けた。

 

 

私も察しが悪い。

夕方になってようやく気がついた。

 

そうです。

これは「気づき」です。

 

虫の知らせというヤツで、気づきの対象である私がその現象から「何かに気づく」とその現状はおさまる、というもの。

別名、起こる事はすべてメッセージ。

 

 

早速その夜、何に気づけば良いか考えた。

 

食べ物(コンバット)には行かなかった。

水に向かって来ている。

水はエネルギーかな。お金かな。

水そのものかな。

蟻にたかられてたな。

私、たかられてる?

まるで砂漠のオアシスにたどり着いたかのような蟻たち?

 

結果は「私が情報をばら撒き過ぎている」だった。

 

ブレインジムインストラクター資格取得のために、知人・友人に無料体験してもらっていたのですが、セッション中に私が「私のしている事を理解してもらいたい」という思いが強すぎてクライアントに必要のない情報まで与えていたのでした。

 

その警告で蟻にたかられていた…!!

 

 

①起こる事はその事象の良し悪しに関わらず全てベストなタイミングで起きている。

②施術者として、セッション中に起こる事に常にリラックスしている事。

③技術でどうにかしようとするのではない。私の力ではない。

④情報はクライアントが欲しいものだけ(直感で来たものを言うだけ)

 

こういう基本的な姿勢がなってなかったなと、反省した出来事でした。

 

不安ベースでごちゃごちゃやろうとすると、うまくいくものもいかない…。

全てに言えることですよね。

ハイ。

 

 

蟻さんありがとう。

 

カップに群がる様子は嫌悪感MAXだったけど。

本当にありがとう。

10匹くらい潰しちゃったけど。

ごめんなさい。

 

 

 

気づきが十分となった次の日。

 

蟻の気配は消え…。

机の上には一口もかじられなかったコンバット。

 

 

一匹残らず姿を消した彼らに、感謝の念と、

 

いやだから何処から来て何処へ消えたん!?分からん!こわい!」

 

という思いで仕事が手に付きませんでしたマジで。

 

 

 

 

 

今年の春、タッチフォーヘルスのレベル1・2の講座を受講しました。

 

タッチフォーヘルスとは:

健康でより良き人生を生きるためのセルフケアと気づきのツール。

専門的な知識がない一般の人でもご活用出来るモデルにした家庭用医学の決定版と言われている。

タッチフォーヘルスの背景には、カイロプラクティックやアプライドキネシオロジー(AK)があり、また西洋医学と東洋医学、そして心理学や栄養学を融合させ、統合的により良き人生を生きるための健康法。

 

だそうです。

 

ブレインジムインストラクターの資格取得を今年取る事になって慌てて取った必修科目。

楽しかった。

 

 

タイトルの「お腹のぜい肉=母の愛?」はその講座の際に気づいた事です。

 

 

講座も終盤にさしかかり「ボディーについてのストレス」を上げるよう指示された。

 

産後太りが解消せず、甘いものと食事量が減らせないMさん(私)。

特にお腹まわりのお肉が一向に減少せず、自分の肉とは思えないくらいに動かないMさん(私)。

 

ふつう脂肪はそこに付随する筋肉に連動して、いくらかは動くものじゃないですか。

それがMさん(私)の場合、動かない。

まるで外付けHDDのように、腰に引っ掛けたポシェットのように。

 

掘り下げてゆくと、以外な答えに辿り着きました。

 

「このお肉は子どものため」

「自分のじゃない」

 

子どもが飢えた時、災害時、食料が枯渇した時のために子どもに食べさせるためのお肉だったのです。

お腹のお肉を切って子どもに与える。

 

自分は死んじゃうけど。

 

切らなくても、自分が蓄えている事で何日間か食べずに生きられる。

自分の食事を我慢して、その分を子どもにあげる。

という意味でもある。

 

なんか感動的な話かな、とも思う。

めっちゃ愛💓やん。

 

けれど、逆の一面もあって。

そこには基本的な自己犠牲の思想が。

 

もっと言えば、子どもの責任を負う。

子どもの人生や寿命について、背負おうとしている。

子ども自身の人生に干渉している。

 

過干渉な母になっている!?

 

これは全然エネルギッシュじゃないヤツ。

ポジティブじゃないヤツ。

 

生命維持への不安を起点とした「子どもが死なないようにあらゆる事態に備えている状態」というのが、自分はもとより子ども自身が力を発揮する妨げとなっている。

 

守られる子どもは自分の責任で人生を歩めず、弱いまま。

 

チーン。

 

いや困るし。

 

そういうわけで、目標は「子どもの責任を取ろうとするのをやめる」で調整。

 

調整後、お腹のお肉が体感的に半分に。

「荷物」って感じから、「自分のもの(お肉)」って感じになりました。

 

その後、食事量も減って徐々にお腹のお肉が減っている気がします。

 

 

 

産後太りが解消しないお母さまたち。

それは全員ではないかも知れないが、子どもを守るための愛ゆえの体の変化なのかもしれない。

 

子どもを全ての脅威から守るために警戒モード・生き残りモードとなり、暴走する食欲・蓄え続けるお肉。

いつまで子どもを守ろうとするのか。

子どもが大人になってもまだ、守ろうとしている人も大勢いると思う。

素敵な事かも知れないけれど…。

 

一度、その大きな愛(お肉)を自分自身で感じて頂き。

 

そして、そこから一歩踏み出して「子どもの人生や未来、死さえも許容して」自分と切り離して個々として自立した時、しつこいお肉ともサヨナラできるかもしれません。

 

 

母も子どもも、それぞれがエネルギッシュに生きられるように私は願う。

 

 

 

「わかってるけど難しいが?」

という方は、私のセッションにお越しくださいませ。

丁寧にサポートします。

 

一緒に掘り下げて、お肉とサヨナラしましょ。

 

 

 

 

 

 

 

最近「味が分からない」問題を調整して、味覚の解像度が上がった。

 

味噌汁の味が分かって、それと同時に人生を味わうことができるようになってきた。

 

 

今日味噌汁を作りながら、この件について考えていた。

そういえば特に「旨味」が分かりづらかったよなー。

昆布出汁ひとつでOKみたいな…。

 

同時に、キネシオロジーを知る前の私の世界の認識についても思いを巡らせてみた。

 

私の固定観念に「けっきょく悪いヤツが美味しい思いをする世界だよね」というのがあった。

 

誠実な人間や弱い存在をダシにして、ずる賢いヤツがうまいことやっていく。

お金をだまし取ったり、罪を逃れたり、自分たちの都合の良い方法で儲けている世界。

まじめにやっても旨味なんてない。

まじめにやってる私バカみたい。


私の人生に旨味なんてないよね。


 

キネシオロジーを知って多次元世界に生きる事を決めた今。

この気づき満載の日常を送るようになって、私の世界観は180度変わったと思う。

 

気づき=旨味じゃん!(私調べ)

 

ひえぇぇぇぇ!!!と叫びそうになるのを我慢。

 

今、改めて思う

私の人生、旨味しかないー!!!!(叫ぶのを我慢できない)

 

ちょっとこの人生最高なんですけどー。

味噌汁を作りながら、人生の旨味も嚙みしめている。

 

 

以前の世界観が正しくない、という事ではないと思う。

実際、私の目にはそう見えていたから。

けっきょく悪いヤツが美味しい思いをする世界だよね

は、まだ普通にそう思っている。

でもまじめにやっても旨味がないとは思わなくなった。

 

私の世界観(人生観)はガラっと変わった。

 

以前と世界観が変化したのは。そしてそれが「良いなー」と感じられるのは

今生きている世界の方が以前の世界より次元が上だという事だと思う。

どの次元から世界を見るかで、出来事の見え方・感じ方はガラっと変わる!

 

次元上昇、してるわー。

波動、上がってるわー。

 

 

地球は今次元上昇の途中にいる。らしい。

多くのスターシードたちが、その現象を後押しするため地球に生まれてきている。

とか色々言われているし、共感もする。

でも実感というところまで行かなくて。

言ってる事が大きすぎて、なんか他人事というか、へぇー!そうなんだ!!という域を出ないというか。

 

もっともっと、次元上昇を自分のリアルに落とし込んで感じると。

今回のような気づきがあったりして。

いちいち驚くし、感動する。実感もできる。

面白くて仕方ない。

 

今も変わらず地球では、詐欺も殺人も隠蔽も戦争も起こっているけれど。

以前より悲観しなくなった。

見ないようにしているわけではないけれど。

 

見える世界は自分が作るらしいので。

良い出来事も悪い出来事も。

何を学ぶか。

何に気づくか。

だと思えば。

 

これからも、日常でそういう事を丁寧にやっていきたいと思う。

そして、旨味たっぷりの人生を味わおうと思う。

そして意気揚々と次元を上げていこうと思う。

 

 

日常の中で起こる現象がお知らせだと、まず気づく事。

これが大事だなと改めて思った話。

 

テレワーク中に「ブーン」という機械音がしていて。

なーんか気になっていた。

どこから鳴ってる?

 

音の発生源を辿ると、今まさに乾燥中のドラム洗濯機からだった。

買い替えて2年目でまさか故障?

てかこんな音してたっけ?気づかなかっただけ?

んんんー????

 

まあこの変で、お知らせかなと思うわけです。

気になったら大抵お知らせ。

虫の知らせとかいうやつです。

まだ虫から気づきをとった事はないけれど、これからそういう事もあろうと思う。

 

 

洗濯機は、変なモーター音をさせていて、なんか「頑張ってんなー」という感じ。

 

 

修理の必要性はないとの事。

気づきはもちろん必要との事。

 

連想ゲームスタート。

モーター→エンジン→原動力→ポンプ→心臓→心臓?

この辺で、あ、私についてなのか、家族についてなのか。どれだ。

娘について?→Yes。

えっ!?心臓に疾患!?→No

良かった!違った。恐えぇー!

 

再び、娘について。

原動力→やる気→やる気を削ぐ?

力を発揮しにくくなっている→Yes

私の干渉が娘のやる気を削いでいる?→No

誰の影響で?→祖母

母方の祖母→No

父方の祖母→Yes

 

祖母の影響で、力が発揮しにくくなっている

 

ファー!!!!

思い当たるフシがあるー!!!!!

 

この祖母は、かなりの過干渉で思い込みが強く、人をコントロールしないと気が済まない人である。

孫である娘も、祖母が「あーん」した食べ物なら嫌いな野菜もガマンして食べるという事があった。

 

ちょうど翌日は娘の運動会。コロナ明けて両親以外も応援に来て良いとのこと。

祖母を招待していたのだ。

 

洗濯機のモーター音に「頑張ってんなー」という印象を受けた。ソレだ。

 

娘が頑張ってしまう。

「頑張る」は一番のストレスワードやで!!!

このままでは、娘が運動会を楽しめない!!!!!

 

 

ということで、やばい!

調整しないと!

 

代理調整が可能とのことだったので、私は娘のかわりに

「誰が見ていても、楽に力を発揮します」

という目標で。

 

この変から洗濯機のモーター音は聞こえなくなり、しばらくして通常通り乾燥を終えた。

 

夜、娘が寝てから動きを行って調整。

運動会前夜、間に合ったー!

 

当日、娘はリラックスして全競技思い切り楽しんでいた。

 

しかもその日のお昼、娘は祖母の「あーん」を断ったのだ。

そっぽを向いて「いなないっ」まだちゃんと喋れない2歳半(笑)

その後もしつこく食べさせようとしてくる祖母に「いまアイスだべてるから」と拒否。

 

やるじゃーん。

いや、野菜は食べてほしいよ?

まじで食べんからな、お前はホント。

 

 

誰の前でも本来の自分でいられる事はとても大事だと思う。

私は、キネシオロジーの世界に足をつっこんで、強要する事の無意味(他にもたくさんあるけれど)を身に染みて感じている。

 

子どもはのびのびすくすく。

語弊があるかもしれないが、結構真理。

同時に大人ものびのびすくすくなんですよ。

 

がんばる

は最大のストレスワードなので。

 

 

時代的にも頑張って成果を上げるのは、もう会わなくなってきているらしい。

頑張るは旧時代。

頑張らされるは、それ以前の問題。

でも、

どうしても、頑張りたいのなら、それも良し。

 

 

 

 

なんにしても、気づきかな?と思って、それをそのまま放っておかなくてよかった。

日常には気づきが満載。

できるだけ!取りこぼしなく!いきたいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日無事に「愛を知った」わけですが。

魂を進化させたい何者かは、すぐに次の課題を出してきますね。

 

次の課題の前に。

サイレント期間に取り組むべき課題は修了したと感じています。

もう次は再会だなと。

なんとなく。

 

 

ツインソウルと判明してからというもの。

抑えきれない感情の大波に見舞われ、翻弄され、今すぐ会いたい!

うぉぉぉぉ!ぎゃおぉぉぉ!と空回り。

過去に取り残された自分が光速で今へ向かって走ってくる。

その一週間、脳はフリーズ。

情報収集のためにWEBの中に飛び込んでひと泳ぎ、ふた泳ぎ、100泳ぎ。

夢の手助けやAさんのアドバイスのおかげでやっとやっとここまで来れた。

 

結構なアドベンチャーでした。

まあまあ丁寧に取り組んできたと思います。

ズボラでおおざっぱな私がこれについてはじっくりと。

 

人は生まれる前に今生の計画をたててくると言いますが。

ツインソウルの場合はこのプロセスを二人で決めてくると言いますが。

 

ホントにこのタイミングでねぇ。

 

はぁ。脳内大冒険。

いろいろ感慨深い。

彼側はどんな大冒険だったのか、再会したらぜひとも聞きたいですが。

 

 

さて、次の課題とは「受け取ること」でした。

なんかふと、頭に浮かんだワード。

なるほど。これが次の課題なんですね。

 

与えるのはもう出来ると。

次は受け取る方をやりなさいと。

 

これは実際に再会してコミュニケーションとりながらでしかできない課題ですよね。

あ、夢でも出来るか。

 

 

 

受け取るで思い出した、味オンチを直した話。

 

 

 

味覚は、口に入ってきたものの味を感じる事だよな。

味蕾という受容体に分子が触れることで、味として感じるということだよな。

受容体…。

 

これも「受け取る」だな。

 

受け取るのは愛だけではないって事かな。

感覚。感情。好意。エネルギー。お金もエネルギーだな。

 

お金といえば。

 

先日講座を受けていて、そこにいる全員の共通過去生が判明したのですが。

「イギリス互助会のお金持ち達」だった。

むろん私も含まれる。

その人たちは、お金に不自由しておらず、ボランティアをしていた。

自分の能力や体力を人のために使っていた。というのだ。

そこで得た思い込み「人のためになることにお金をもらうの?そんなの悪いわー?」

その思い込みのせいで、今生で私たちはお金を稼ぎにくくなっている。

お金をもらう事に罪悪感がついてまわる。

 

それは、これから起業しようとしている私にとっては大問題で、いわゆる適正な料金をとれない。

ただ働きというか、見合った対価が得られにくい。という傾向になってしまう。

めっちゃわかる。

なんか私が動いてお金もらうの悪い気がするもん。

だから当然するべき請求とかもできないよね。

 

これについては、気づきのみでOkだった。

思い込みについてシェアした後は「いやいや。価値に見合う対価を貰うのは当然だ」という考えに修正された。

安心して起業できそう。

 

 

受け取る力」を高めればいろんな場面で幸せが訪れるんじゃないか。

 

 

 

 

 

 

次に夢に彼が出てくる時に何が受けとれるか。楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほぼ一年前、その頃から私の課題は「愛を知る」事だった。

 

愛なんて、そんなの。

よーく知ってるよ!痛いくらい知ってるよ!と思っていたけれど。

 

知らなかったんです。

私が知らなければならなかったのは、

空気のように形のないもので、外的な影響を受けず長く変わらない心の状態

である愛。無償の愛。減らない愛。そこにただある愛。

 

彼への愛を、この状態まで持って行かなければならない事だった。

 

知る。というより、なる。愛の状態になる。

知ってはいても、なってはなかった。魂が無償の愛の状態になっている事。

うまく説明できないけれど、先日やっとその状態になれました。

 

なってみたら、それ以前の愛がやっぱり違ったんだな、と分かった。

ステージが低いというか。

 

 

 

彼の誕生日にメッセージを送った。

 

送る前に考えた。

・もし1年前のように無視されたら?

・既にブロックされている?

・連絡してくるな!と返されたら?

私は傷つくだろうか。

どうだろう。

 

あんまり気にしないかな。

一見、本当に身勝手なふるまいだなと思うけれど。

いやいや、昔の友人に誕生日のお祝いメッセージを送る事が身勝手な行いだろうか。

否。…ですよね。

 

彼のレスポンスや、ふるまいや、私への感情がどんなものであれ。

彼への想いというのは、何にも変わらないなと思った。

前からもそう確信はしていたけれど。

 

これがツインソウルでなければ、何も思わないのだが「再会」というプロセスがあるというのを知ってしまってからだと、なかなかどうして、グルグルするではないですか。1年半ほどグルグルするではないですか。

 

でもやっとやっと、体のどこにも力を入れずに、期待や不安を手放して息をするように彼を愛している自分を獲得した。

 

この状態を静かに感じてみる。

この想い=愛は完全に私だけのもの(宝物)であって、彼には全く関係のない所で起きている現象だな。

私を作り上げている有形無形の構造物の、小さな柱の一本一本にその愛は含まれていて、私を形作っているのだから。

彼と一生会えなくても、すでに私自身に丁寧に編み込まれたこの想いが私を生かし、死ぬまでこの構造は変わらないな。

 

もう、なんかそれでよくない?

不満とか、不安とかなんにもないな。と思った。

 

空気のように形のないもので、外的な影響を受けず長く変わらない心の状態

 

なるほどな。

こういう状態か。

我、至れり。

って感じ。

 

すごいな。

煩悩の塊の私がこの境地に辿りつけるとはな。

 

小さく祝杯をあげてやってもいい。

泡の出るお酒かなんかで。

 

 

 

誕生日のメッセージには、短く「ありがとうございます!」と返信がきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ツインレイプログラムでいう所の「目覚め・覚醒」のステージ爆進中の私。

 

お相手の彼とはまだ会えておらず。

絶賛サイレント期間ですが。

ただ定期的に彼の夢を見るんですが、この2年ほど、その内容がどんどん変わっていってます。

 

前は「会おう!」と思って彼の家に行こうとするのですが、道を間違ったり、迷ったり、変なビルの中に入ってしまったりして全然たどり着けない。こんな夢ばっかりだった。

 

変化が現れたのは彼がツインソウルと判明してから。

会えました。

やっと会えた!結婚できるね!という内容の次は、想いあってるのに、お互い伴侶が居るから結婚できない(泣)という内容。

そこから少し疎遠になって。

また会えました。でも、彼と喋る事はできない。

集団で遊びに行っていてテーブルにつく。私と彼は背中合わせかつ微妙に離れていて。

お互いをすごく意識している。という内容。

そこからまた、普通に会って二人で出かける所まできました。

 

最近の夢。のいっこ前の夢。

二人で道の駅みたいなところの美味しいアイスを買いに行った。

昔風の冷凍庫のガラス戸を開けると狙っていたアイスが売り切れ。

「一番人気のヤツがないー」

「あ、でもこのアイスも美味しいヤツ。これ買おう」

とパッケージに少し霜のついたシューアイスに手を伸ばす。というもの。

 

起きてすぐ思ったのが

こんなんでええねん!!!!!

ドラマチックな展開とかいらんねん。

ホントこんなんでええねん。

フルコースとか求めてねぇんだ。卵かけごはんとかでいいんだよ!という感じ。

 

ホントにまったく…。

 

 

キネシオロジーを教えてくれたAさんにもツインソウルがおり、お相手に対する感覚が私と全く同じなのを感じます。

自分と同じ。根底に流れるものが分かる。何をされても許せる。理想像。自分が男だったら彼のように生きると思う。など。

 

Aさんに夢の話をすると「夢とリアル、どっちが本当かわからないよ」との事。

意味深~。

つまり、現実で動きがなくとも、夢で逢っている。夢の方が実際のコミュニケーションである。

というような感じ。と受け取った。

だったらいいな~。

 

ただしAさん「夢が相当進んでいて、現実に全く会えていない。そのズレの理由は調べた方が良い」との事。

潜在意識に聞け、という事だ。

 

え?ていうか調べられるモンなんですか?

調べられますとも。

めちゃめちゃ万能。潜在意識さまさま。

 

調べました。

全部わかった!とは言えないけれど、今判明しているのは

✅お互いの時間にズレはない。時間軸のズレで会えないわけではない。

私が最近まで過去を生きていたから、時間のズレがあるのかと思ったけれど。

お互いもう今を生きているとのこと。

 

彼の情報をもらったところ

✅彼がストップをかけているから会えない。

さすがランナー。いつGo!になるのかはまだ調べてない。

✅「乖離」というワード。詳しくはまだ調べられてない。

✅しかし「完全一致」はしている。なんでや。

✅彼が今、この人生で何をして良いかわからない。と感じている。

なにそれかわいそう。

✅彼の体は大丈夫。心は大丈夫じゃない。

まあそうだよな。

私もキネシオロジーをやる!って決める前の「私がこの人生ですべき事ってなに?」の期間が長すぎて鬱すぎたもんな。

あの状態って今思えば結構ハードだった。

彼自身が渦中にいるなら心はあんまり大丈夫じゃないだろうな。

 

✅私にできる事があります。

なんですと!?

✅代理調整で心の状態を良くする事ができます。

なんですと!?

 

という事で、これは初めてやったのでちゃんとした手順で出来ているかわからないけれど、必要な動きを調べて調整した。

私が彼になって調整。心の状態をフラットに戻すというもの。

出来てるみたいだけど。

 

不思議ー。

不思議で面白ーい。

 

リアルで全然会ってないけど、コンタクトを取ってる気がして面白ーい。

 

 

こうやってサイレントをめちゃめちゃ楽しめている自分にびっくり。

夢の理由や、彼の状態とか調べられるって!

いやそんなん早よ言うてくださいよ~。
 

でも今この状態になってこそ、潜在意識は教えてくれるようになったんだろうな。

恐らく1週間前はできなかったんだろうな。

情報開示のきっかけが確かにあったな。

私のステージが進んだんだろうな。

はぁ~。おもしろー。

 

 

過酷なサイレント期間をお過ごしの皆様。

 

多分、楽しんだ方が良い。

時々、引くほど泣いていいし、しんどい思いに浸ってもいい。

ちょっと拗ねてみてもいい。

 

そのあとで良いから、楽しんだ方が良い。

 

 

 

 

 

 

心霊現象にあっている。

 

けれど全く悩まされていません。

なぜなら、どんな現象も気づきに繋がるから。

 

つい先日、透明な犬が来た。

お風呂から出て髪を乾かしたり肌のケアを行ったりしていたら。

「ガリ…ガリ…ガリ…ガリ…ガリ…」

リビングと脱衣所を隔てるトアを向こうからひっかくモノがいる。

娘が起きたのか?

にしては、言葉がない。

娘なら私の名前を呼ぶし、ドアも開けてくるだろうが、来ない。

 

引っ掻く音は、だんだん弱くなって消えた。

あきらめた?

 

ドアを開けてもやはり誰もいない。

寝室をのぞくと娘はぐっすり。

 

夫は別室でゲームに熱中中。

 

「えええ~。」

次の日、潜在意識に聞いてみた。

 

ドアの下の方をガリガリしていたから、子供かな。

女の子ですか?→Yes おんなのこー??

人間?→No 人間じゃない!

タヌキ?→No

犬?→Yes 「仔犬の女の子か!」

 

その子犬はもう居ないとのこと。

 

えー?何に気づけば良い?

犬を飼えってことか?

私が動物とのふれあいに飢えていて呼び寄せた?

娘が遊び相手に犬がいると良いってこと?

 

いろいろ考えたが、ふと私が小さい頃に出会った不幸な仔犬を思い出した。

 

私が小学生のころだ。

家の近くの溝から鳴き声がするので行ってみたら、生後2~3カ月と思しき仔犬が落ちていた。

濡れていたのでお風呂に入れてあげるとお湯の中に虫が泳いでいる。

よく見ると蛆だった。

体の外に付いていたのかと思ったら、それは体内から出てきているのだった。

仔犬の体の中は既に蛆によって蝕まれていたのだった。

ずっと鳴く仔犬。

空腹で鳴いているのかと思っていたが違った。

内蔵を食い破られるという想像を絶する痛みへの悲鳴だったのだ。

お腹はパンパンだった。

蛆でいっぱいか、腐敗が始まってガスが溜まっているかだろう。

 

子どもの私にもこの命がもう助からないのは分かった。

悲しくて悔しくてどうにかなりそうだった。

泣くのが恥ずかしい年ごろだったが、泣きじゃくって母に助けを求めた。

助からないのは分かる。じゃあどうしてやれば良いのかと。

 

母は、善意でその仔犬を殺した。

 

詳しくは、近くの池にそっと沈めた。

私も同意し、同行した。

想像を絶する苦しみが少しでも早く終わるように願って。

泣きながら見守った。

 

それから池の近くを通るたび、その仔犬の事を思って胸がひどく痛んだ。

30年近くも前の出来事だ。

もう忘れかけていた。

 

「その仔犬?」→Yes

なんてことだ。あの仔犬が先日うちに来たのだ。

しかもまだその池に居るらしい。

どこにも行けずにずっとそこに居るらしい。

 

 

 

普通、体から抜けた魂はある次元へ行くそうだ。

そこから、自分の行くべきところに行く。

いったん駅に集合して、それぞれの目的地への電車に乗る感じ。

地縛霊や浮遊霊は、現世に留まってしまっていて駅に行けてない魂。

たとえばの話。

 

私は母に仔犬を殺させることで、その仔犬の本来の死のプロセスをゆがめてしまったんだな。と気づいた。

気づきは「死をコントロールする事」について。

自然死に手を加えると、不自然死になる。

不自然死すると、駅に行けない。

 

本当は、その仔犬に残りの生を全うさせてあげなければならなかった。

地獄の苦しみがあとどれくらい続いたかはわからないが、その苦しみは仔犬の使命だった。

鳴き声をはじめに聞いた私は、そこに寄り添い見届けなければならなかったのだ。

それこそが私の使命だったのに。

 

 

 

 

 

供養をどうするかについて、何を持っていけば良いか潜在意識に聞いたら、仔犬用ミルクとフードだった。

お腹がすいていても内蔵がないから食べられなかったもんね。

 

別件で供養について聞いた時、Aさん曰く「上へいってね」と思うだけで良いとのこと。

ただ、仔犬の事をちらっと言った時に「通常の方法では上に行けないかもしれない」とも言っていた。

 

近々その池に行く。

ひとまず、お供えして仔犬を思う。

何度か行っても池から上がれないようなら、その時はAさんに頼ろうと思う。

 

 

 

子どもの頃に犯した罪についての話。

 

 

 

透明人間あらわる!?いや透明だからあらわれない。

 

いわゆる霊感はない。

のだが。

 

最近、心霊現象を感知した。

 

2度あったが、1度目をご紹介。

夕飯の準備をしていたら、玄関が開く音がした。

 

夫が帰ってきたのかなと思ってリビングに来るのを待っていたが全然来ない。

車に忘れ物を取りに行ったか?と思ったが、全く気配がない。

実際に帰ってきたのはそれから1時間後だった。

夫に「1時間前に一度帰ってきた?」と聞いても「その時間はバリバリ現場だね」との事。

夫「めっちゃ帰りたかったから意識だけ帰ったんかも(笑)」

私「それや!(笑)」

と話は終わったが、実際は別の透明な誰かだったようだ。

 

キネシオロジーを教えてくれたAさんに、心霊現象についてどのように対処するのか聞いた事がある。

いわゆる除霊ってできるの?と。

できます。と。

まあ、なんやかんやあれど結局気づきを取るのだそうです。

 

どんな現象でも何か気になるな~と思えばそればお知らせの事が多い。

 

この心霊現象で自分が何に気づくべきか。

これを取っていき、気づきを得て、調整が必要な時は行う。

そうすると自分の次元が上がる。

思念でも霊体でも、同じ次元の存在同士が干渉が可能なこの世界。

どちらか一方の次元が上がるとそれまで干渉できていた存在は、干渉できなくなる。

そうすると、必然的に霊現象はなくなる。

憑依している場合は、その霊はもう干渉できなくなり、仕方がないので別の干渉可能な存在を探してまた彷徨うのだそうだ。

 

いや成仏せえよ。

 

 

今回は、不思議~♪と思って忘れていて、2日後くらいに「あっ!やべ。気づき要るヤツ?」となった。

なので潜在意識に聞いてみた。

 

質問「まだこの家に居る?」

答「No」

っしゃー。もう居ないな。

質問「気づきは必要?」

答「Yes」

となったので、気づきをとった。

 

気づき↓

私がこれから始めようと思っている事業に対し、お招きするお客様への不安。

「得体の知れない輩が来たら嫌だな」

という不安。

それに対し来るべくして来るのだから、不安がらないでいる。

「誰にでもウェルカムでいること」という結論に達した。

調整は必要なし。気づきのみでOK。

 

浮遊霊か知らんが透明な人に勝手に家に入られて、まさに得体の知れない輩が来た状態。

これがお知らせで、上記の気づきを得たわけです。

 

 

おもしれー。

この世界ホントにおもしれー。

どんな出来事も力にできるって、すごいシステムだなと思う。

霊にはあんまり会いたくないけどなぁ…。

 

と、ほどなくして、次は透明な犬が家に来ます。

だから、勝手に入ってくるな!