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1・


ついに年末となり、来年のことについても色々模索中である。



迷って迷って、頭はパンクしそうな状態。



私は迷った時、よく読むのは村上龍先生。



彼の書物は、私にとって非常によく合う人だと思っている。



読むのを毛嫌う人も多いですが、僕はすごく好きだ。



何が好きかというと、集団に対する「違和感」を訴える部分だ。



2・



村上龍さんは、日本の多数派と呼ばれる人に対して違和感を覚えるようだ。



まるで多数派から潰されるのではないか、という強迫観念があると言われている。



僕も同じで、日本の多数派と呼ばれる集団には違和感だけでなく、嫌悪に近い感情を抱く。



日本では、何かと派閥やグループに分かれたがりたい性質があるように思う。



「~の人だ」とか、「~派」などの会話で蔓延し、さらには「あの人って~的だよね」とか、



その年に流行している「~系男子・女子」などの形で分類化する。



僕はこのような単語が出ることは、ほんとにどうでもいいことで、



そんなことに振り回されるのも嫌だから話さない。



何が嫌かというと、そのような単語は「ごまかし」にしか聞こえないからだ。



私が今回写真で挙げている「逃げる中高年・欲望のない若者たち」にも書かれていますが、



流行語などは問題の本質を隠ぺいする力がある。



たとえば、「草食系男子」という単語があったとして、



このような男子が生まれたのにはきちんと原因がある。



原因というよりは、近年の流れによってスタイルのひとつ。



そこには、結局は欲望を満たす必要のない世の中があって、



別に男が先に変わったわけではないはずだ。



でも、この「草食系男子」という言葉を聞けば、まるで今の男たちが変わってしまい、



男がダメになってしまったというイメージを植え付けていく。



そして、誰もが「あれって~系男子だよね」とグループに分けていく。



そうして、何も解決しないまま時代が進んでいくんだと思う。



だから僕は、そういった言葉を聞いたときは、その言葉自体ではなくて



「なぜそのような言葉が生まれたのか」を考える。



3・



そうしてカジュアルな言葉によって人は分かれ、また言葉に所属するように変わろうとする。



結局は、そのようにどこかに所属しないと生きていけないと刷り込まれているのだと思い込んでいる。



これは、日本特有の性質だと僕は思っている。



何かに所属していないと不安で仕方がない。



でも、何かに所属するということは、別の何かの反証ということに気づいていないように思う。



たとえば、「私はA案に賛成」という事象がある。



そして、A案に対して「俺はa案のほうがいい」という、肯定しながら別の案が発生する。



この2つを議論して、刷り合わし、別の案ができあがる。



それが、議論の本質だと思う。



だが、日本だとA案に対して「いいやB案」という形で、乱雑に案件ばかりが発生している。



結局は、先ほど出てきた流行語と同じだ。



その案件の内容を理解して形質を変化させるのではなくて、



全く別の案件をぶつけるだけで本質的な解決なんて図る気がないのだ。



このように、さまざまな派閥ばかり生まれる日本という国は、


戦国時代となんら変わらない状態に見えることがある。



内乱がずっと続いている。



形式的な理解だけが進み、結局は同じような思想の人だけで固まる。



そして、派閥だけが生まれて自然と縮小していく。



そんなことの繰り返しが、ここ数年はずっと続いているように感じる。



4・



現代で生きるには、何か大きなマスに入ること以外にないと思われています。



しかし、そのマスが弱体化していて、そのマスに入り切らない人はのたれ死ぬしかない。



そんな社会にしか見えない。



派遣ばかりが膨らむ現代は、まさにそうではないのだろうか。



そのマスが死につつある現代は、今までの、言わゆる「普通」が通用しないのだ。



ならば、別の生きる道を考えなければいけない。



僕だって、自分に少し書くことの力があるとわかり、それを利用して食べていくしかない。



そう考えたから、今の道を選んでいるだけである。



別に今の生活が、成功とか失敗とか、そんな陳腐なカテゴリーで考える暇なんてない。



自分のスキルでどのように生き残るのか。



僕の頭を支配しているのは、それだけである。



はっきり言えば、今の日本に成功者も敗者もいない。



日本全体が、衰退の一途を迎えているのだから。