ども、藤田です。
ガンプラの写真ですけど、この記事ではコラム「僕が考える日本のあれこれ」を作ってみました。
まぁ、単純に言えば今の日本についてあれこれと随筆のように綴るブログです。
写真で釣ったなんて言わないでくださいね笑
グローバル化が叫ばれる中、とにかく英語の習得や海外を知る機会を増やすことに躍起となっている感覚を覚えます。
しかし、それで本当に国際人になれるのでしょうか。
僕は洋画をたくさん観ます。
そして、ライターなんでいろいろな人に会います。
その中で、僕が考えるのは「日本人とは」です。
日本人としての「個」が無い限り、どれだけ外国の方と話しても意味がないと思うんです。
だって、相手は日本人じゃないんですから。
どれだけこちらが英語で話しても、自分の中に確固たる「日本人」がなければ、相手に何か伝わることってあるでしょうか。
僕はないと思います。
こんなふうに書いていますが、僕はひとりの日本人として「日本人」を知りたいだけかもしれません。
僕が洋画を見るのは、単に好きという理由だけではないです。
この島国だけの常識だけで考えていると、日本人という性質や人種について曖昧になっていく感覚があるんです。
なんで曖昧になっていくかというと、非常に同化傾向が強いからです。
簡単に言えば、村的社会とでも言えばいいでしょうか。
以前、このブログでも紹介しました画像です。
日本と言う国は、誰かが「白といえば白」になるんですよね。
この画像で言えば、赤と言えば赤。
青と言えば青になるんです。
今、日本は急速に個人化が進んでいます。
主に、ネットワークの浸透によって起こっています。
しかし、それに合わせてパブリックに対する考え方は進んだのでしょうか。
僕はノーと言います。
先日、神社での張り紙が話題になりましたね。
まぁ、本当に至って普通のことなのですが。
しかし、これだけ日本のパブリックに対する考え方が欠如しているんですよね。
どうしてもプライベートの重要性というか、個人主義が先行している。
でも、卑下して言えば自分勝手。
自由をはき違えている感覚が強いです。
もっと言えば、「個人主義」というムードに焚き付けられているだけの気がします。
それで本当に「個人」が確立していると言えるのでしょうか?
僕にはわかりません。
わからないからこそ、「日本人とは」を考えてみたいんです。
この回は、趣旨説明だけに終わりましたけど。
継続できればと思います。
それでは、また。