9838:何だったのか?「桐島聡」の人生とは | 温故痴人のブログ

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1970年代に起きた連続企業爆破事件の1つに関わったとして指名手配された「東アジア反日武装戦線」のメンバー、

桐島聡容疑者(70)と名乗る人物が、29日朝、入院先の神奈川県内の病院で死亡したことが捜査関係者への取材でわかりました。

 

 

私と彼とはほぼ同世代です。

 

1970年と言えば、

結婚して息子が誕生した歳です。

 

私は将来を夢見て

結婚し、初めての長男に涙していた時です。

 

会社から帰れば、

風呂が沸いており、ささやかながら暖かい

夕食も待っていてくれました。

 

一日の出来事が夕餉の話題です。

 

「息子に代わったことはなかった?」などの話が

私の感じた家庭の暖かさでした。

 

その時に20歳の桐島容疑者は

武装戦線の一員として、

企業爆破をして体制の転覆をはかっていたとは・・・・・

 

その後、指名手配され

地下に潜り込んで偽名で世間を憚って早50年が経過しました。

 

 

 

聞けば、

偽名で土木会社に就職し、

給料も振り込みには出来ず?手渡しで受け取っていたという。

 

きっと振込口座が開設できなかったのでしょう。

 

健康保険や

厚生年金の積み立ても出来たかどうか疑問です。

 

今から半世紀を振り返れば、

彼の人生は一体何だったのでしょうか。

 

結婚も出来ず、子もなく、当然孫もいないのでしょう。

 

武装戦線も地下に潜ったままで、

その活動に対して、

社会からどれほどの支援があるのでしょう。

 

末期の癌に罹患し、

余命いくばくもないと知った時に

「最後ぐらい、本名に戻りたい」との哀れな人生です。

 

事件を追っていた

警察関係者もきっと無念なことでしょう。

 

例え、

被疑者死亡で送検が出来たとしても・・・・

 

嘗て、桐島聡と顔を並べて

指名手配されていた「大坂正明」

約半世紀地下に潜っていたことを思い出します。

 

それ比べて、

私は堂々と妄想街道を今も爆走中です。但し、車いすで・・・・

 

右手は今も指名手配されていますが。

 

2024.01:30  NO:9838

 

 

【参考引用】

桐島容疑者 名乗る人物死亡 爆破事件の遺族「無念でならない」

2024年1月29日 18時35分

 

1970年代に起きた連続企業爆破事件の1つに関わったとして指名手配された「東アジア反日武装戦線」のメンバー、桐島聡容疑者(70)と名乗る人物が、29日朝、入院先の神奈川県内の病院で死亡したことが捜査関係者への取材でわかりました。

警視庁はDNA鑑定などで確認を急いでいて、本人と確認されれば、容疑者死亡のまま書類送検する方針です。

 

昭和49年から翌年にかけて過激派の「東アジア反日武装戦線」が起こした連続企業爆破事件のうち、昭和50年4月に東京 銀座にあった「韓国産業経済研究所」のビルに爆弾を仕掛けて爆発させた事件に関わったとして、メンバーの桐島聡容疑者が爆発物取締罰則違反の疑いで全国に指名手配されていました。

 

捜査関係者によりますと、今月25日、桐島容疑者を名乗る人物が神奈川県内の病院に入院しているという情報が警視庁に寄せられ、DNA鑑定などで確認を急いでいました。

 

この人物は末期のがんと診断され治療を受けていましたが、29日朝、死亡したということです。

 

この人物は、数十年前から「内田洋」という名前で神奈川県藤沢市内の土木関係の会社で住み込みで働いていたことが分かっていて、「最期は本名で迎えたい」などと話していたほか、▽事件当時の詳しい状況や▽家族構成など関係者しか知り得ない情報を説明していたということです。

 

こうした状況から、警視庁は、桐島容疑者本人の可能性が高いとみて、DNA鑑定などで確認されれば、容疑者死亡のまま書類送検する方針です。

 

事件からおよそ半世紀がたつなか、突然、逃亡を続けていた容疑者を名乗る人物が現れ、長年の捜査が大きな転機を迎えていましたが、この人物の死亡により、一連の事件の解明がどこまで進むのかが今後の大きな焦点となります。

 

 

1971年11月に起きた渋谷暴動事件で、警察官を殺害したとして殺人などの罪に問われた過激派「中核派」の構成員・大坂正明被告(74)に対し、東京地裁(高橋康明裁判長)は22日、懲役20年(求刑無期懲役)の判決を言い渡した。