9826: ある一夏の思い出(黒部源流:上の廊下)その5 | 温故痴人のブログ

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第五日目(最終回)

 

 良く眠れた気持ちの良い目覚めである。

 

黒部湖を右手に見ながら

歩き続けるとやがてダムの堰堤に出て来る。

 

  台風のせいか

ダム湖には流木がびっしりと表面を覆い尽くしている。

 

ダムから「扇沢」まではトロリーバスを利用する。

 

  松本まで降りてきて

列車待ちの間に「無事下山」と家に電話を入れる。

 

親父から

職場で「捜索隊」を作ると大騒動になっていると叱られる。

 

  「扇沢」で電話を入れれば良かったのである。

 

計画より下山が一日遅れ、

台風が丁度信州の真上を通過したので余計に心配したのであろう。

 

 親や友人の有り難さを意識もせず、

無事?下山した安心感から気が抜けてしまったのである。

 

  とにかく色々有ったが

どうにか土産も買って大阪にたどり着く事が出来た。

 大阪に帰り、

地獄を見た同じ日に近くの山に登っていた

兵庫県の「御影高校山岳部」のパーティーの事件を知る。

 

 

 

 

台風の為、

テントを止め避難した山小屋が

小屋ごと土石流に流され、

引率の先生を含む若い7人全員の命を奪って行ったのである。

 

 まかり間違えれば

我々の記事が載っていたかも知れない。

 

まかり間違わなくても僅かな差で助かった気がする。

 

 山の天気を舐める事の恐さを知る教訓になった。

 

後書き 

 帰ってすぐに登山道具を取り上げられた事は

今更言う必要はないであろう。

次の年にやはり登山の計画は立てられなかった。

 

しかし、あの景色が忘れられず

その次の年に再開する事を「親父」は止められなかった

 

2024.01:18  NO:9826

 

【参考引用】

御影工高山岳部員遭難

 

50年 飯田で追悼式 /長野

長野

毎日新聞 2019/8/6 

慰霊碑の前で追悼の言葉を述べる牧野光朗市長=長野県飯田市上飯田松川入で

 1969年8月5日に飯田市で発生した神戸市立御影工高山岳部員ら7人の遭難から50年を迎えた5日、飯田市上飯田松川入の「遭難之地」慰霊碑前で追悼式が行われた。同市、飯田消防署、同市日本赤十字奉仕団などから約30人が参加し、7人の冥福を祈った。

 

 同高山岳部5人と担当教諭2人は中央アルプス縦走の途中、台風の集中豪雨に遭遇。西俣川沿いにある…