本日、
二回目のブログ更新です。
昔を
思い出すような記事に出会いました。
「消えたオート三輪」という車種です。
今、
街で普通に走っている車は
殆ど四輪車です。
かつてはオート三輪と言って
三輪自動車がよく走っていました。
我家も田舎で
運送屋をしていたのでオート三輪がありました。
私の記憶では
4歳ぐらいの時に角ハンドルの
オート三輪で変速機を股の間に置いた
自動車の記憶があります。
変速のポジションはH形でした。
ドアーもなく
雨除けのカバーがドアー替わり、
椅子は会議室で使う
折り畳みの椅子があったのを鮮明に覚えています。
シートベルトもなく、
急ブレーキを踏めば助手席から
転げ落ちます。
この椅子です。
私もその被害者の一人です。
どうにか
大怪我はせずに済みましたが、
今では考えられない安全配慮です。
エンジン始動は
バイクのようにキックを踏んで掛けました。
逆回転防止策が無いので
エンジンがかかった時に
キックでアキレス腱を傷つけます。
確か「ケッチン」とか言いました。
当時は
日本の狭い道を走るのに
回転半径の小さな車が好まれたのでしょう。
国道でも
地道で狭かったことを思い出します。
この車もありましたな~
先に車が走れば、
間隔を開けないと巻き上がる
埃で前が見えません。
埃が沈む距離が必要になります。
それと安定が悪かった。
稻束を高く積み上げて
急ハンドルを切ればすぐ横倒しになります。
曲がりくねった
細い道はより慎重な運転が必要です。
積み荷をすべて降ろして
車を起こします。
また、
手作業で積み上げるという作業に
親父も嫌気がさしたことでしょう。
ダイハツのミゼットは
中学校のグランドで乗りました。
タイに行ったときに
トウクトウクというタクシーにも・・・・
今は
セブンイレブンで
三輪車を時々見ますが・・・・・・
まず、乗ることはもうないでしょう。
2020.12.01 NO:8459
【参考引用】
消えたオート三輪
かつて日本を駆け回っていた三輪自動車! なぜ現代では「消えて」しまったのか?
11/30(月) 6:20
そういえば、最近すっかり三輪自動車の姿を見なくなった。
第二次世界大戦後、全国の街中で数多く走っていた三輪の自動車。2人乗りの小さなサイズから、中大型のトラックまで、さまざまな種類があった。
どうして姿を消してしまったのだろうか?
まずは、マツダが2020年1月の創業100周年を記念して編纂している100年史(社史)の第一弾である、「マツダ 100エピソード」集から見ていこう。
マツダ(当時・東洋工業)が自動車メーカーとして初めて製造・販売したのが、1931年(昭和6年)発表の三輪トラック「マツダ号・DA型」だ。
「マツダ100エピソード」によると、この当時ですでに日本の街中には三輪自動車が多く走っていて、マツダの競合は15社ほどいたという。そのほとんどが海外製パーツを流用して自動二輪車を改造したものだった。
そこでマツダは純国産にこだわって、貨物輸送の新しい道を開拓したのだ。
時は流れて1950年、登場した「CT型」は業界初の最大積載量1トン越えを実現した。目的は、あくまでも貨物トラックであるため、積載量を増えることが商品性を高める最大の方法だった。
筆者の記憶では、高度成長期初期のマツダといえば「オート三輪(三輪トラック)」というイメージが強かった。
そこで、発想を大きく転換して、ダイハツは小型三輪トラックを発案した。それが、あの「ミゼット」だ。
試作車のボディ寸法は全長2540mm×全幅1200mm×全高1500mm、エンジンは240cc・8馬力だった。量産初期型は249cc、後期型は305ccとなった。初期型のキャッチコピーは裏通りもスイスイ走るイメージ「街のヘリコプター」だった。