本日、
二回目のブログ更新です。
毎日新聞の読者投稿欄に
「年賀状の意味」というような
記事を発見しました。
その投稿者は、
大病を患ったので、
その後の年賀状は
生存証明のようなものとのことでした。
私も同感です。
年に
一度の状況を普段、
疎遠な知人に知らせる役目を果たしています。
(暑中見舞いの風習はありませんので)
「生きているぞ~」という
言葉をよく使います。
しかし、
仲間内では「今回で年賀状は断筆」などとの
寂しい知らせが増えてきました。
何故なのでしょうか?
退職すれば、
普段会う機会も減ります。
出不精にもなります。
メール等で
連絡を取っているのであれば、
日常を知ることができますが、
それが無ければ生きているか
死んでいるかも判りません。
私の場合は、
ブログで普段の状況は判ります。
訪問してくれればの話ですが・・・
また、
昔の仲間とは
山賊の宴を私の都合で開催するので、
そんなメールも電話も良くします。
知人の状況なども
広く拡散するので私のことは
多くの仲間が知っているはずです。
「まだ生きているぞ!」の年賀よりも、
前触れもなく、
ブログの更新が突然止まった時には、
「虹の橋を渡っているぞ!!」と
理解してください。
「ピンピンコロリ」の人生終末を
切望していますので、
それは私としては大往生です。
弔問のコメントは不要です。
見られませんので・・・・
2018.02.18 NO:5365