危機一髪 (ダイハード1) | 温故痴人のブログ

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今回は遠い昔の思い出話を掲載してみたい。

それは、半世紀以上前の私が小学校5年生の頃の話である。
ある日、学校から帰る道に選んだ近道は鉄道の上の道であった。

家に着く目前に長さ100m位の「魔の鉄橋」がある。
小さな丘に沿って線路は右にカーブしているので、向側が見えない。

ここまで来た時、信号機が既に降りていた。
もうすぐに汽車が来るという合図で、決して渡ってはならない事は誰もが知っている。
しかし、この信号は何時も早くから降り、永い間待たされる。

後で「こんなんやったら、もうとっくに渡り切ってしまっているのに!」と悔しがる事が多い。
レールに耳を押しつけ「音はせん!」大丈夫である。
今日も「まだけえへん!」と勝手な判断。

この当時の紀勢線は、まだ電化も複線化もされていない。
紀勢西線と呼ばれ、途中でお終いであった。
単線の為、鉄橋の幅もせまい。

こういう様に見極めを付けて渡り出すのであった。
線路の間には、点検用に板2枚が枕木の間に鉄橋の端まで敷かれている。

この板の上が唯一の歩道である。
歩くのがやっとの広さであるが、そこはもう慣れたもので、
その上を走る事も出来る敏捷さと、バランス感覚を当時は持っていた。

鉄橋の中央部に来たその時、衝撃が突然襲ってきた。
山の影から、真っ黒い巨体が目の前に現れ、
まだ、来る筈のない「蒸気機関車」の雄姿は取り返しの付かない現実に
直面した事になる。

「列車が来るまでに走り、渡り切れるか?」
「鉄橋の端でぶら下がるか、川に飛び降りようか?」
「線路の上に伏せようか?」
「元に戻ろうか?」

一瞬の内に、これらのどれを選ぶか「感ピューター」が計算を始めた。
計算スピードが遅ければ、そのままあの世への直行便となる。又、間違った答を選択すれば、
もっと惨めな自殺になる。

走って渡り切るのは、相手に近づくだけに今からでは渡り切れない。不可!
ぶら下がるのは、その回避行動に時間が掛かる。不可!
川に向かい飛び降りるのは、高さ10m程もあり、水もないので足の骨折は免れない。不可!
線路に伏せてやり過ごすのは、いくら子供とはいえ列車との隙間は狭く、引っかけられそう
な気がする。引っかけられれば一貫の終わり。不可!

この様な事を計算して、一番ましな方法は元に戻り切る事にした。
間に合うか、間に合わないか?後は「神のみぞ知る」である。
取るべき道が決まれば後は走り切るだけ。

クルリと渡って来た元の方に、向きを変えると後はもう一目散に「走る」、「走る」!
後ろからは、蒸気と煙を吐きながら「竜巻」が迫って来ているのであろうが、
振り返って見る余裕はない。

ただ、「ゴー」と言う音と、運転手が慌てふためき鳴らしている「ピーピー」という
警笛がけたたましく背中に張り付いて来ていた。

「もう、すぐ戻り切れる!」、「間に合ってくれ!」と祈りながら走る距離の遠い事、
まるでスローモーションを見ているようであった。

鉄橋を戻り終わって線路から横に飛んで逃げた。
この時、時間が止まってしまった。

正に、その時を待ちかねていた様に「ゴー」という地響きと共に
地獄からの使いは横を通り過ぎ去って行った。

実に、間一髪の差であった。
一瞬の判断ミスをしていれば・・・?
ようやく、その地獄への道となった「鉄橋」を渡り、家にたどり着く頃になって、本当の恐
さ、恐ろしさが現実味を持って、甦ってきた。

歯が、足が「ガタガタ」と鳴る、身体も身震いが止まらない。
65歳となった今までも、これ以上の経験はない。
一番の恐怖の思い出である。

狭い田舎である。
こんな無謀な挑戦者は直ぐ判明したようで、
後で、駅から呼び出され「もう二度と鉄橋は渡りません」と誓約をし、
小学校からも、同じように叱られたのは言うまでもない。


「喉元・・・!」の諺は生きている。
すぐ約束は忘れた為、「ダイハード2」に続くのである。

今こんなブログを書けるのも生き延びたからと感謝しなければ・・・。


2013.01.16 NO:126

  小学校3年生の同級生(切目の浜で)学年全員です。私もこの中に。

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