色んな学びが出来るのは

 

それが出来る心の余裕と、

時間があるから、、という気がします。

 

姑の自宅介護をしているときは

 

わが娘のように可愛がってくれた姑を

自宅で最後まで面倒見るぞ、と

思っていたのですが

 

大柄な姑とガリガリの私では

着替えさせるのも思うようにいかず

 

次第に体力が奪われていき

 

寝たきりの姑より

私の方が、病人みたいになっていきました。

 

それを思い出すと

 

現在96歳の姑のお世話をしている

70歳の彼女の大変さが良く分かります。

 

 

彼女は

「有難うどころか

たまにやって来る娘に、私のことを愚痴ってるのよ」

 

と、憤懣やるかたない様子です。

 

そんな時

 

「豊かな気持ちでいること」

 

「愛から選択すること」

 

「ゆるすこと」・・・・・・

 

などと言うと

余計にイライラさせてしまうようです。

 

 

姑の下の世話に

撒き散らかされたゴミの掃除

病院への送り迎え・・・

 

昼間はご主人が留守なので

彼女が一人でやっておられます。

 

気立ての良い人でも

体力的に疲れてくると

 

なにが、豊かな気持ちでやねん。

なにが、愛やねん。

許すこと?

 

・・・となりますね。

 

私も、もう少し彼女が落ち着いてから

潜在意識の書き換えを提案しようと思います。

 

余裕がない、、、というのは

私にも覚えがあります。

 

あんなに可愛がってもらった姑ですが

認知症で寝たきりとなると

 

もうかつての姑ではなく別人です。

 

掛かり付けのお医者さんは

 

「普通の人と思ってやったらアカン。

宇宙人の世話をしていると思ってやりなさい」

 

というアドバイスをくれたのです。

 

介護はやってみると、ほんと、大変です。

 

だから

介護をしている人に

 

「もっとこうしてあげたら?」とは言えません。

もうギリギリなのですから。

 

 

私も70歳になり

高齢者と呼ばれるようになりました。

 

どこまで自分の健康管理ができるのか

今後の課題になりました。