昭和24年生まれの私は
病気で恐ろしいのは、結核、と思っていました。
その頃は
結核が死の病でした。
舅の妹さんは、結核で亡くなりました。
舅も結核を患いましたが
楽天的な性格から
「あんなのは藪医者や」と気にせず
とうとう、病気の方が逃げていきました。
姑も胸を患い、
レントゲンを撮るたびに
肺に影が残っているようでした。
こんな時代でしたが
今は二人に一人が癌になる時代
とまで言われるようになりました。
昭和の時代では
乳がんは西洋人の病気と言われていました。
日本人には少なかったですね~
私と夫の、共通の記憶では
子どもの頃のご飯は真っ白ではなく
ちょっと茶色いご飯でした。
「ご飯に鰹節を乗せて醤油をかけただけの
ネコまんまを食べた。
ご飯にバターを乗せたバターライスを食べた。
味噌汁ぶっかけごはんを食べた」
・・・と
共通の話題で盛り上がることもありますが
それに比べると
今は食卓が随分、豪華になったような気がします。
一度、幕内秀夫先生のお話を
聞いたことがありますが
「何を食べてよいのか、分からなくなったら
カタカナを止める、と覚えていてください」
というのが記憶に残っています。
ケーキなら饅頭
パンならご飯
ラーメンやパスタなら、うどん
ポタージュなら味噌汁
食べ物全部には当てはまらないけど
覚える目安として、分かりやすい感じがしました。
治療所を開いて20数年経ちますが
当時は潜在意識のことも知らず
心が病気に関係していることも気にせず
シンノオルや温熱をやっていました。
何も考えずに
ひたすらその人の体が望む薬草のエキスを
フーチで選び出して塗っては温熱する
という、その繰り返しでした。
癌で温熱に来られる人は
手術や、抗がん剤治療を受け、
その後、再発した・・という人がほとんどでした。
標準治療を受けずに、いきなり
「姉が手術、抗がん剤で苦しんで死にました。
なので、私は西洋医学の治療は受けません」
と、言って来られた人もいます。
その人は、大腸がんでしたが
エキス温熱で上手くいきました。
病院で再検査をすると
大腸にあった癌は無くなっていました。
この人は、上手くいった例ですが
癌はそれぞれ違います。
種類も違うし、ステージも違う。
何が何でも手術はしない、と言う人がいますが
状況を見て、手術をした方が良いのでは
と思うこともあります。
例えば、胃の入り口を癌で塞がれて
食べ物が落ちていかない場合や
あまりにも大きくなり過ぎた卵巣嚢腫は
癌化していってることもありますから
病院でよく調べてもらって
思い切って手術した方が良いと思うのです。
子どもが欲しいから卵巣を取るのは嫌だと
頑なに手術を拒んだ人がおられましたが
このまま温熱していると
手術のタイミングを逃がしてしまう、と思い、
「この大きさでは
温熱では追いつかないから
手術をした方が良いよ」というと
「センセイは子どもがいるから
そんなことが言えるんです」と怒られました。
温熱を終了させてもらったのですが
何年か経って
彼女が亡くなったという知らせを受けました。
苦い経験です。
何を選択するかは、本人の問題とはいえ
手術できるなら、やったほうが良い場合もある
ということも考えておいて欲しいと思います。
もう一人、卵巣嚢腫で温熱に来られた人は
すでに妊婦さんのようにお腹が膨らんでいて
これは温熱しても、追いつかないだろうと
思い切って手術を勧めたのですが
手術で取り出した塊は
なんと5キロもあったそうです。
こんな大きな塊が
あの親指ほどの卵巣にあったのですね。
彼女は今、お元気にされています。
何が何でも、手術を拒むのではなく
思い切って決断する必要もあると
考えた方がよいのでは、と思います。
長い文章になりましたが
お付き合い下さって、ありがとうございました。