学生時代の仲良し3人組だった一人が
58歳で亡くなりました。
3人の中では一番丈夫な子でした。
丈夫さがアダになった、、、
ような気がしてなりません。
彼女の死には
私も関わった一人として
反省点として残っています。
大阪難波に温熱サロンを開いたときに
招待状を送ったのです。
彼女は
子宮体ガンの手術をして
抗がん剤治療中でした。
手術をした後
なぜ、抗がん剤をするのか
分からなかったのですが
髪の毛も抜け
体調は良くなさそうでした。
「病院で椅子に座って
呼ばれるのを待ってる時にね。
ふーーっと意識がなくなって
気絶したの。
ザードの坂井泉水さんはね。
あれは自殺じゃないと思うわ。
私、分かるのよ。
ふーーっと 意識がなくなるのよ」
と、副作用の辛さを話してくれたのを
覚えています。
さて、温熱ですが
せっかく遠くから来たので
朝と夕方の2回入る
ということを、3ヶ月続けました。
そして
検査に行った彼女は
「ガンが、どこにもなかったんだよ。
もう、感謝、感謝、ですーー」
と喜びいっぱいに連絡してきました。
私は
懐かしい友人との会話に夢中になり
生活改善のアドバイスを
何も言ってなかったのです。
ガンになる前と同じ生活をしていては
また、なってしまう・・・
これを伝えていなかったのです。
プロデューサーがどんな仕事なのか
知らなかった私は
彼女の滅茶苦茶忙しい仕事ぶりを
ただ、聞いているだけでした。
体力があるから
こんなに働けるんだなぁ・・・
なんて、感心してる場合じゃなかったのです。
時間に追われ
神経を張り詰めた毎日では
体は悲鳴をあげる・・・
「もうちょっと
体を休ませたほうが良いよ」
というと
「そういう訳にもいかないの。
○○のコンサートの準備をしないと
いけないのよ」と
彼女は、自分の仕事に充実感を
感じていたようです。
仕事を語るときの目は
生き生きしていましたから・・・
検査結果が良かったので
それっきり、温熱に来なくなりました。
まどろっこしい、時間の掛かる温熱に
3ヶ月も取られてしまったことを
悔やむかのように
猛烈に仕事に取り掛かりました。
10ヶ月経って
「大腸にガンが見つかったの
小さいのがばら撒かれているのよ」
と、がっかりしたような声で
連絡がありました。
私は
「もう一度、やり直そう」
と言ったのですが
「こんなこと、やってられないわ。
やっぱり抗がん剤にするわ」
・・・・・・・と、彼女とはそれっきりになりました。
1年後、もう一人の友人から
彼女の訃報を知りました。
温熱が
ガンの治療法だと
勘違いさせてしまった私の責任です。
あの世へ行ったら
彼女に謝ろうと思います。