推進派が「当ブログの世帯主に対して署名捺印はおろか、説明すらしていないのに、世帯主の異なる親の署名捺印を得たから当ブログの親の責任だ」と人を介して批判されてきました。推進派は多大な負担を強いる規制をかけようとしている人間に対してこのような言い草です。このような言動があったと感じる批判を多々きけば、地域の人間でないと差別され、人権を犯された被害者はどう思うでしょうか。被害者の人権いつ回復するのでしょうか。また同意・了承を得たい人間に対して、全く関係ない人間がこのような発言を伝え放てば、相手はどういう気持ちになるでしょうか。、”子供の安全”という大儀をかかげれば、何でも通用するという考えを少しは見直してほしいものです。そこまでどうこういうのなら運動活動に加わっていない差別された世帯主の親と推進派との間でどういう契約書が交わされているのか明らかにせよ。
これでは「署名捺印がほしいなら要望する側が行うものだぞ!都合のよいように年寄りを使うな!そもそも推進派は物事をお願いしておいて、それが上手くいかなかったらお願いしていた親御さんにその責任を転嫁するのか!ふざけるな!推進派はもっと正々堂々と真摯に運動活動をしろ!」というような形になるのではないか。今後はわざわざ住民の争いごとに介入するような集団等が、我々の前に現れ、筋の通らない批判をするものが出てこないことを祈るばかりです。

(この記事は未完。よってつづく)