ヤクザと薬物と虐待と
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虐待の始まり-小学校-

バツイチになった母は、とにかく働いて働いて働いてました。今聞くと「仕事がおもしろかったけね~」なんてあっけらかんと言ってるけど、とにかく働きまくり。母はベジタリアンで鳥、牛、豚ダメ。肉が食べれない人。ラーメンでも肉の汁(普通はダシって言う。)が出てるからと、食べないほど。155cmくらいで体重は当時40キロなかったから、華奢なのにそんなに働いて死なないの?って子供心に思ってたけどね。でも、2人だけの生活は3歳~7歳まで。母が付き合ってた彼氏の子を妊娠したことで母が再婚。 母の彼氏は本当に優しくって、おもちゃが欲しいといえば買ってくれた。お腹がすいたらご飯食べに連れて行ってくれた。喉が渇けばジュース。遊んで~♪って言えば自転車の乗り方教えてくれたり、ドライブつれてってくれたり。本当に優しかった。だから私も「お兄ちゃん」ってついてまわった。 そして、いつものように私が寝るまで添い寝してくれてたお兄ちゃんに聞かれたの。 「やっちゃんのお父さんになってもいいかな?」って。 私は喜んで答えたよ、「お兄ちゃんがお父さんになってくれたら幸せっ!」って。そしてそのまま眠りについて。 次の日激痛で起きた。 「おいこらっ!いつまで寝とんか?クソがきがっ」って罵声。そして、お兄ちゃんにぶちまわされた。血まみれになるまで。 その日、母とお兄ちゃんは正式に入籍。 お兄ちゃんは私のお義父さんになった。

生い立ち-ヤクザ絡みの人生幕開け-

私の父は元暴力団組員。そんな父と結婚した元ヤンの母。 できちゃった婚じゃなく、恋愛結婚(らしい)。当時、父は21歳、母は18歳でした。母いわく、父はヤクザだったから、優しいときは優しいんだけど、ケンカになった時の暴力はとにかく半端じゃなかったらしい。それでも、私が父親のいない子になるのがかわいそうだからって耐えてたんだって。、あるとき父から暴力を受けてた時に、たまたま、振り上げた父の手が私に当たったらしく、母も我慢してた糸みたいなものが切れたんだと思うんだけど、それがきっかけで私が3歳の頃に離婚。でも、父がぞっこんラブで結婚したから、一筋縄には離婚してくれなくて、結局父が刑務所服役中に裁判離婚で逃げるようにして離婚。でもね、ヤクザの捜査網って警察以上だといっても過言じゃない。いまだから私も良く分かるんだけどね。だから、母子家庭なのに健康保険もない、住民登録すらできない、そんな母と私の2人だけの生活がスタートしました。