この夏と水星の魔女と加齢 | 女道S

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人生はセーラームーンと共に。

今年の夏は暑かった。冷房のない北海道で、しかも網戸がないためまともに外気も取り入れられず、家にいる間はずっと扇風機の前から動けず、就寝時一晩中扇風機を回していても暑さと汗の気持ち悪さで何度も目覚めて、ひと月以上まともに熟睡できなかった。熱中症にもなりかけた。

しかしこの夏はいつにも増して元気で充実していた。水星の魔女にはまったおかげだ。まるで自分が恋をしているかのように楽しかった。心から夢中になれるもの、好きなものがあることのありがたさをかみしめていた。思い出すことすら切なくて苦しくて、二か月くらい本編を見返すこともできなかった。

苦しすぎて居ても立ってもいられず、たぎる思い抑えられず、真夏の夜の街を意味もなく数時間歩き回ったこともある。この夏の異様な暑さを凌駕するほど、私の水星の魔女熱は激しかった。

 

それも今では良い思い出。最近はかなり落ち着いて、通常の日常を過ごしている。

ようやく地に足がついたのに、渦中のころはこんなに苦しいなら早く落ち着いて普通の生活を送りたいと思っていたのに、なんだろうか、今のこのわびしさは。

水星の魔女はウテナ以来の大はまりのアニメだった。一度はまると長い私のことだから、これで数年は楽しい日々が続くと思っていた。しかし、明らかに落ち着きつつある。

もちろん今も水星専用Twitter(X)アカウントのタイムラインを追うのは楽しい日課ではあるが、一時ほどの夢中さではなく、手あたり次第だった同人誌の購入も落ち着いてきた。pixiv漁りも前ほどの頻度ではなくなった。

水星の魔女の物語は素晴らしく、登場人物もみな魅力的だった。まさに私が求めていたものだった。私の人生で最後の大はまりかもしれないと思った。

なのに、たった数か月でこんなに落ち着くなんて、どうしちゃったのだろう、私は。熱狂する気持ちが持続できないのは年齢的なものなのだろうか?

水星の魔女熱が少しずつ鎮火し始めたころに、おっさんずラブ不動産編の続編が出ることを知った。

おっさんずラブ不動産編は水星の魔女ほどではなかったが、ウテナ以来久しぶりのはまりだった。映画を五回も見に行ったほど夢中になり、転職して間もない私の苦しい日々を支えてくれ癒してくれた。

それなのに、あれから数年たった今、続編の話を聞くまで思い出すこともほぼなくなっていた。pixiv漁りも同人誌購入もずいぶん前にやめ、Twitterのおっさんずラブ専用アカウントを見ることもなく、株の情報収集アカウントに転用していた。

 

なんと薄情な人間になり下がったのだろうか、私は。春田と牧くんにあれほど救われたのに。

おっさんずラブ続編の話は素直にうれしいが、果たして前と同じ気持ちで楽しめるのか、のめりこめるのかとの不安も捨てきれなくて、ほんの少しもやもやした思いを持ちながら放映を待つ状態である。

 

まだギリギリ消さずに生き残っていたおっさんラブTwitterのタイムラインで、たくさんの人たちが大喜びしていていることを心からうらやましいと思った。そんな純粋で素直な気持ち、私はもう失ってしまったのかもしれぬ。

ちらっとだけ見たテレビ番組で脳科学者だかが、加齢と共に脳の中の好奇心とか新しいことに挑戦しようとか思う部分が減少してゆくなどと言っていて、なんとなく腑に落ちた。

歳を重ねると白髪が増え、肌はたるみ、全身の機能が低下することも避けられないように、大好きなものにすら昔と同じくらいの強い情熱を維持できないことも、老化現象の一部として受け入れなければならないのかもしれない。

そこまで考えて、あれ? でも逆にこの歳でこんなにも夢中になるものと出会えたのってすごいことじゃないか? と言うことは、もしかしたらこの先もまた何かにはまれる機会もあるのかもしれないし、まだまだ人生捨てたものじゃないのかも? とも思った。

飲食と老後資金のことにしか興味がなかった私を、ふた月ほど廃人に近い状態にし、こんなにたくさん同人誌を購入させるなんて、すごいじゃないか水星の魔女! 物語の力おそるべし!

逆に、若い時に食らっていたら心臓発作で死んでいたかもしれぬな。とりあえず、生きててよかった。

 

ありがとう、水星の魔女。一時よりは気持ちが落ち着いてきたとはいえ、もちろん今も大好きだし、この先も死ぬまで大好きであることには変わりはない。

 

余計な通り越し苦労ばかりせずに、おっさんずラブの続編も素直に楽しみにしておこう。