赤裸々の私。

赤裸々の私。

長らく心身の不調と闘っている私。
30代前半の等身大の私。
同性のパートナーとふたり暮らす私。
ありのままの私を赤裸々に載せています。
かっこ悪い自分ばかりだけれど、読んでくれている方々が少しでも心穏やかに暮らせることを願って。。

 

 

お久しぶりのブログです。

最近の私はと言えば、できることを着々と頑張れている日々です。

 

今年へ入ってから関東へ引っ越し、4月から新しいお仕事が始まりました。

正直、前職の苦しさが大きかったので、今は大きなストレスも無く、心身ともに安定した状態で働けています。

 

実は今、主治医の方と、減薬を少しずつ進めています。

現在、安定して働けていることと、回復して来ているおかげで、薬による眠気が出てくるようになり、薬の量を減らした方がいいのではとなりました。

そのため、こまめに病院に通いながら、少しずつ少しずつ減薬を進めています。

このまま調子が良ければ、二種類飲んでいる薬を一種類に減らすこともできそうです。

 

もう五年以上同じ薬を飲み続けているので、このまま一生薬を飲み続けなければいけないのかなと思い、その覚悟もしていました。

それがまさかの急展開で、私自身とても驚いています。

環境を変えたことで、こんなにも好転するとは思ってもみなかったので、診察中、驚きと喜びで涙が出そうになりました。

 

心身共に不安定な中でも、キャリアアップは諦めたくなく、私だって責任ある仕事に就きたいし、給与も着実に上げて行きたい。でも、どんなに勉強し、スキルを身に着けても、休みがちな私が信用してもらえる訳もなく、信用されていない私の望みが叶う訳もない。この先ずっと停滞したまま、気持ちを殺し、働き続けるのかなと思っていました。これが私の苦しみの根源でした。そのため、環境を変え、未来が見えるようになった今、その自分の未来のために頑張れるようになりました。

転職と関東への引っ越し、この決断をできた自分に感謝です。もちろん、パートナーの存在があったからこそできた決断でもあるので、パートナーに対しても、本当に感謝でいっぱいです。

 

前職はすごく苦しみが多かったのですが、精神面と技術面で、大きく成長できた期間でもありました。そして、その経験があるからこそ、今頑張れている所もあるので、必要な経験だったなと思っています。

 

精神面では、何度も何度も打ちのめされ、良くも悪くも、人もしくは企業への諦めみたいなものを覚えた気がします。

会社は必ずしも社員を守ってくれる場所ではないのだと、分かっていたつもりでも、実感として理解したのは、今回が初めてでした。これまで私は本当に恵まれた企業に勤めて来たのだなと感じました。

こういう経験のおかげで、苦しいことや悲しいことがあり、落ち込んだ時の立ち直りがとてつもなく早くなりました。そして、自分の機嫌を取るのが大変上手になりました。

何より、仕事での苦しみの最大値を味わった気持ちなので、ちょっとやそっとじゃ落ち込む事も少なくなりました。それでも、これ以上の苦しみを味わう可能性が全く無い訳ではないので、自分の機嫌を取る手段は増やして行きたいです。

 

技術面では、幸いなことに自分で勉強した内容を実務として落とし込める機会が結構あり、何事も挑戦させて貰えたので、プログラミングの実務経験を少し積むことができました。

そのおかげもあり、今の会社に入ることができたので、その点は良かったです。

また、施策やプロジェクトの進め方など、こうしたいを実現するためにどうしたら良いかを自分で考え、経験できたことは今すごく活きているなと感じます。手探りで、自分で考えながら進める業務に抵抗感なく挑めるのは、これまでの経験のおかげだなと思います。


ただ、これらは、苦しい環境から抜け出し、今順調に働けているからこそ言えることではあります。そうではなかったら、こんなポジティブな感情を持つことはできなかったと思います。

未だに許せていないこともたくさんあり、恨みみたいな気持ちが完全に消えることもありません。

だけど、こんな風にポジティブな感情を持てているのは、当時の自分が擦れることなく、全てを糧に、前を向いて歩き続けた結果であると思っています。

当時の色々が今に活きているのは、あくまで自分の素直さと努力のおかげであり、会社への感謝は一切ありません。これはちょっとだけ意地みたいな気持ちであり、幼稚な感情だなと思わなくもないです。だけど、こんな風に自分を肯定できるのも、回復した証拠だなと思います。

 

そんな幼稚な感情も、全部ひっくるめて、「私」だもんね。

 

 

 

 


本当に本当に大変遅ばせながら、あけましておめでとうございます!


昨年もたくさんの方々にブログを読んでいただき、とても嬉しかったです!

本年もちょこちょこと更新するので、気が向いた時に読んでくださると嬉しいです!



実は昨年は私にとって、なんとも苦しい一年でした。

主にお仕事面で、苦しさや悔しさ、悲しみ、理不尽をたくさん味わった1年でした。

そのせいか、2023年は「透明人間」って印象が自分の中で強くて、何も残せず、何も進めず、実際は全然そんなことないのだけど、何だか振り返ると、そんなマイナスな言葉がたくさん出てくる1年だったのです。


ただ、そういう嫌なことが起こった時の向き合い方みたいなのも、少し成長したなと思える年ではありました。

嫌なことがあった時に、全ての活動が停止するのが常だったのが、今はどうにかこうにか心を無にして、踏ん張れるようになったり、少しでもポジティブな方に心を持って行けるような自分になれているなと感じます。




そして新年早々、実はお引越しをしました。

元々関東に住んでおり、2年半ほど前?に大分へ移住したのですが、なんと関東へ舞い戻りました!


その大きな理由としては、自分のやりたい仕事が大分では叶わなかったからです。


地方は本当に仕事がないと、実際に行ってみて初めて、地方の現実を思い知りました。


今の仕事を続けるでもよかったのですが、私はどうしてもエンジニアになりたかった。

元々はエンジニアへの異動もできますよと言う言葉を信じて入社したものの、結局今の職場では、それが叶わないと分かったので、転職を考えました。


転職先を大分で探したものの、現実は厳しいもので、一緒に住んでいる恋人と話し合い、関東に戻る決断をしました。


ただ、大分へ移住したことへの後悔は全くないです。

地方で暮らしたいという憧れを持ち続けたまま、年齢を重ねるよりも、まだ身軽な今の年齢のうちに、ポンと大分へ飛んで行けたことは、本当によかったなと感じました。


また、恋人と一緒に地方に住んでみて、改めて私たちには関東が合っているなと再確認できたことも、すごく有意義でした。


やってみたいなで人生終わるよりも、もし万が一失敗したとしても、やってみることにすごく大きな価値があるなと感じた経験でした。



そして、4月からまた新たな挑戦が待っています。

関東での新しい職場が決まりました。


次に転職するなら、スキルを積み上げて行ける仕事に就きたいと考えており、そんな願いが叶う職場だと感じています。


4月から環境が変わる方も多いかもしれません。

自分を信じて、自分のペースで歩いて行くのは難しいかもしれないけれど、そうやって、一歩一歩着実に進んで行きたい、そんな風に思います。

私もそうやってまた新たな道を進んでいきます。



 
 
 

実家の愛犬が天国へ旅立ちました。

 
私が人生のどん底に居た時に出逢い、たくさんたくさん支えてくれた。一緒に居てくれた。
あの子と出逢って居なければ、たぶん今の私はここには居なかったと思う。
それだけ大切でかけがえのない可愛い可愛い子。
 
実家へ帰る度にいつも全力で喜んでくれて、お散歩が大好きで、絶対に人を噛んだりしない優しい子でした。
 
ここ数年は病気と闘っていて、あと何回会えるかなって、会う度に思っていた。
思っていたのに、またねってお別れしたのが、最後になるなんて微塵も思っていなかった。
 
亡くなって丸一ヶ月が経ったのに、思い出すと涙が出る。
 
でも意外だったのは、どうしてもどうしても悲しくて涙が止まらない時に、亡くなった愛犬の写真や動画を見ると、気持ちが落ち着いたこと。
考えることや思い出すことを避けるよりも、思い出に触れることで涙が止まったことがとても不思議だった。
たくさんたくさん思い出して、泣いて、乗り越えて行ければと思う。
 
当たり前かもしれないけれど、別れって突然なんだなと、今回改めて実感して、本当に会える時間を大切に生きたいなと思った。
 
生きとし生けるもの皆いつ死ぬか分からない。
ある日突然大切な人に会えなくなってしまうかもしれない。
日々の生活に忙殺されて、忘れてしまいがちな現実を、亡くすということを通して改めて実感する。
 
本当は日々意識しながら過ごして行きたいけれど、私はそんな聖人君子ではないので難しい。
 
ただ、実家に帰る度に誰かが歳を取ったなと感じたり、自分も歳を取ったなと感じたり、そういう感覚を大事に生きれたら、日々を少しは有意義に過ごせるのだろうかと思う。
 
私も大人になったけど、自分が思う大人とはかけ離れていて、両親が思うような大人ともかけ離れているかもしれないけれど、私は私でいていいんだと、自分のペースで進んで行けばいいんだと言ってくれる存在のおかげで、私は自分が嫌いじゃないです。
 
たくさんたくさん愛をくれた愛犬の存在も、私を肯定してくれる存在のひとりでした。
私と一緒に居てくれてありがとう。
あなたのおかげで、私は今ここにいます。
そういう存在が居てくれるのは、私は十分に幸せ者。