何度観ても、府に落ちなくて、

ずっと考えている映画があります。


『それいけ!アンパンマン いのちの星のドーリィ』という映画です🎦



☺️「えっ?僕が何のために生まれてきたか?
そうだなぁ…困っている人を助けるためかなぁ。」

👧「うそ!アンパンマンは みんなにかっこよく見せたくて、そんな嘘をついてるのよ。
誰だって 自分が一番大切でしょ?
わざわざ 人のことを助けたいなんて変よ。」

☺️「僕だけじゃなくて、誰にでも 人を助けたいって気持ちはあると思うよ。
それに、僕も最初はわからなかったんだ。
でもね、困ってる人を助けた時に、
心が温かくなって、その時 わかったんだ。
僕が何のために生まれてきたのか、
何をして生きていくか、
何が僕の幸せかってことも。」

~・~・~・~・~・~・~・~・~

「困っている人を助けた時に、心が温かくなる」
って、どういうこと??

私も、みんなの要望に応えながら
生きてきたつもりだけど、
心が温かくなったことがない。

むしろ逆に、冷たくなる感覚を味わった事の方が、何度もある。


「社員になれ」と言われたから、
準社員になってあげたのに、
誰も喜んでくれているように見えない。

「もっと責任を持ってやれ」とか、
「もっと積極性を持て」とか、
「今度は正社員になれ」とか、
「ゆくゆくはチーフになれ」とか、
みんなの要望は、更に大きくなる。

私がどこまで、みんなの要望を叶えてあげたら、
満足してくれるんだろう…?
永遠に終わりが見えないような気がする。

そもそも、私の人生なのに、
どうして みんなの思い通りに生きていかなきゃ
いけないの?って思うのが、とても 大きな疑問。


毎月、叔母の言うことを聞いて、
法要に立ち会ったり、
接心修行を受けたりしてきたのに、
私の弱みを見つけては、
「もっと祈りを深めろ」とか、
「精進のために、もっと様々な活動に取り組め」とか、
無い物ねだり ばかりされる。

「個性を生かす」とか、
「一人ひとりが大切な、かけがえのない存在」とか、
「今 あるものに 感謝しよう」とか、
綺麗事を言うくせに、実際は否定ばかり。

まず 自分が興味を持って、
前向きに取り組んでいきたいと思う気持ちを
大切にすることが、
幸せへの近道なんじゃないの?って思う。


…とにかく気疲れが半端ない。

こんなに相手に合わせて
動いてあげたんだから、
少しくらい、心が温かくなってもいいはずなのに、
頑張れば 頑張るほど、
どんどん 心は冷たくなっていく。
イライラしていく。

私には、アンパンマンの気持ちがわからない。





そんな私の20代人生が、もうすぐ終わります。

気疲ればかりの20代だったので、
30代は、「いいひとをやめて 悪いやつになること」
「嫌われる勇気を持つこと」
を目標に掲げています。

だけど、自分で決めた目標なのに、
なかなか意気込めないのです。

そこに邪魔をする心が現れるから…



祖母のことを散々嫌って 出て行ったのに、
「ママと仲良く頑張ってね」と笑顔で言ってくれて、
私の姿が見えなくなるまで、
祖母はずっと手を振って見送ってくれた👋

念願の 祖母と離れて暮らせる日が来て、
あんなに待ち遠しかったはずなのに…
嬉しかったはずなのに…

祖母の最後の姿を見ながら、
「どうして分かり合えなかったんだろう?」
「もっと仲良く暮らしていける方法はなかったのかな?」
「冷たい孫でごめんね」
…と思ってしまった自分がいる。

これが、「優しい心」の正体なのだろうか?

「心が温かくなる」って、こういう感覚の事をいうのか…?
でも、「心が痛くなる」という風にもとれる。

心がふたつあると、
自分の意思や考えがブレブレになる。

何をするにも中途半端で、
最後まで成し遂げられない。

「良い心」と「悪い心」、
ふたつの心と
どう向き合いながら 生きていけばいいか、
今後も学びが必要です。


気まぐれで発信している、
私のX(旧Twitter)です↓
良かったら、覗いてみてください👀