前記事「父のこと①」の続きです。


2026年3月17日。


この日は、お見舞いに行くか迷っていました。


母に、「調子悪いのにお見舞いに行ったら、

かえって気を遣わせてしまうんじゃない?」

と言われたから。


それと、私も朝から頭痛で体調が優れず、

お見舞いに行くと 帰りも遅くなるので、

今回は行くのをやめようかな…

と考えていました。


でも 前チーフと現チーフから、

「行ってあげた方がいいよ」

「娘の顔を見たら、お父さんも元気出ると思うよ」

「お父さんのこと、気になるんでしょ?

行かなかったら、気持ちが落ち着かないんじゃない?」と言われて、

やっぱり行くことに決めました🏥


行きのバスで、

妹からLINEが来ていることに気付き、

読みました📱


私の心にグサリと刺さるような

きつい言葉が書かれていて、

頭から離れなくなりました。


父に会うなり、

「妹からボロクソに言われた」

「今、精神状態が参っている」

と話しました。


その頃、妹から父にLINEが来て、

「これからお見舞いに行ってもいい?」と

書かれていて、

今、姉妹 顔を合わせない方がいいと

父が判断して、お断りの返信をしていました。


父が「妹のLINE、見てもいい?」と

訊いてきたので、読ませました📱


指で画面をスライドさせながら、

一生懸命 読もうとする父。


でも、父の体力と気力に限界がきていて、

ちゃんと読めていないようでした。


「はぁー⤵️」と、ため息を付く私…🙍

父も元気がなく、

あまり会話も出来ませんでした。


父のお見舞いに来ているのに、

妹のことしか 私の頭にはなくて、

父のことは何も心配してあげられませんでした。


「そろそろ帰るね」「また来るからね」

そう言って、病室を出ました。


私が病室のカーテンを閉めるまで、

見えなくなるまで、

父はずっとこっちを見て、

手を振ってくれました✋


次の日。3月18日の夕方🌆


伯母からLINEが来ました。

「父が今夜、明日にも急変するかもしれないと

病院から連絡があった」と。


高齢で 足も悪くて、

ずっとお見舞いに行けなかった祖母ですら、

伯母に連れられて、

父に会いに行っていました🏥


その頃、私は…

「祖母がお見舞いに行っているなら、

私は行かない。会いたくないもん。」

「そもそも、あんなになるまで

酒を飲み続けるからいけないんでしょ?

自業自得じゃん」

「私は明日、仕事帰りに行くからいい」

と、冷たい発言をしていました。


ここまで緊急事態になっていても、

父はまだ死ぬわけないと思っていました。


2月に緊急入院した時は 無事に退院できたし、

余命宣告されてから

まだ4ヶ月しか経っていないので、

少なくとも あと2ヶ月は生きられると

思っていたからです。


2026年3月19日(木) 朝4時過ぎ。

父が亡くなったと、

病院から電話がありました。


仕事を休み、病院へ行くと、

父の目は半開き…

顔や体を触ると、まだ温かかった。



「父上… 父上…!佑香だよ!お見舞いに来たよ」

呼びかけても、父の表情は変わらないけど、

口元が一瞬、ピクッと動いたように見えました。


父が亡くなり、悲しみでいっぱいだけど、

実はそれ以上に気がかりな事がありました。


それは…葬式で、

家族や身内と顔を合わせないといけないこと。


父が余命宣告を受けてから、

ずっと恐れていたことでした。


正直なことを言うと、

父に「死なないでほしい」というより、

「死なれたら困る」という

気持ちになっていました。


父 本人にまで

「葬式に出たくない」と話したり、

心理学講座を受けて、

家族とどう付き合っていけばいいか、

心理カウンセラーに相談するほど、

私の中では真剣な悩みでした。


父の荷物を片付け、

「これから実家に行くけど、一緒に行く?

嫌だったら、帰ってもいいよ」と

伯母に言われました。


この2択に、私は本気で悩みました。


心理学講座を受けた時に、

講師から「あなたの憧れの人は誰ですか?」

と訊かれ、

私は「ロールパンナちゃんです」と答えました。


すると講師は、

「ロールパンナちゃんだったら

どうするだろう?

と考えてみてほしいのです」

と言われたのを思い出しました。


ロールパンナちゃんも きっと、

実家へ行くことは拒むはず…🏠️

そこはきっと同じ…。

でも、いざとなったら駆けつける…🎗️

葛藤しながらも、きっと闘う…❤️💙


まさに今、いざという時…なんだよね?

行かなきゃ…頑張って行かなきゃ…!


勇気を出し、「私も一緒に行きます」と

伯母に言いました。


伯母が間に入ってくれたおかげで、

祖母と挨拶だけは出来ました。


その日の夕方、妹からLINEが来ました。
「明日の葬儀屋さんとの打ち合わせ、
同席させてもらってもいいですか?」と。

妹も勇気を出してくれたこと…
父への想いがしっかりあるのだと知れたこと…
姉として、嬉しく思いました。

2026年3月20日。

実家で葬儀屋さんと打ち合わせをした後、
妹とモスで昼食を摂りながら、話をしました🍔

私が軽はずみに言った言葉が、
妹をずっと傷つけていたことを、
話を聞いて初めて知りました。

今まで 話を聞こうとも理解しようともしないで、
私が一方的に言い返してしまったことを、
妹に謝りました。

この姿を、父に見せたかった…。
父と一緒に、3人の時間を過ごしたかった…。
父が亡くならなければ、
出来なかった事なのだろうか…?
父が生きているうちに、
どうして出来なかったんだろう…?

思い返すたびに、
悔しい気持ちになります。

2026年5月9日。
納骨を終え、3日後のことでした。
午前1時20分頃。

布団で眠っていると、
掛け布団を左側に向かって
引っ張られるような感覚がありました。

そのあと、
私の足も左側に吸い込まれそうになりました。

何だろう?と思い、
目を開けようとしますが、
開けることが出来ません。

目を閉じたまま、左側を見ようとすると、
しばらく何も見えず、ボヤボヤしていました。

見続けていると、
白く、骨と皮だけの げっそりした手が
ぶら下がっているように見えました。

「こっちに来て」と言っているかのように、
手が動いていました。

手の奥には、
病人顔で、苦しそうな表情をしている、
父の顔が見えました。
(斜め横を向いていて、目は合いませんでした)

父の顔は一瞬だけ見えて、
その直後に、目を開けられました。

私が寝ぼけていただけかもしれませんが、
それにしては、ハッキリとした現象でした。

お見舞いに行った時に、父から言われた
「帰らないで」
「埼玉の家に行ってみたいなぁ」という言葉。

私が実家を出る時に、
「佑香が居なくなったら、
話し相手が居なくなっちゃうなぁ」という言葉。

父は寂しがっている…
直感的にそう思いました。

この現象を 妹に伝えたら、
「もう苦しまなくて大丈夫だよ
と父に言ってあげて」
と、返信をくれました✉️↩️

父の寂しさや苦しみを
取り除いてあげる事は出来ないのだろうか…?

私にはまだ、仏の世界のことはわかりません。

せめて、仏壇くらい 家に置いて、
毎日手を合わせれば、
少しは父を楽にさせてあげられるかな?
と考えました。


同居していた頃も、
「挨拶くらいはしよう」って、
父が言っていたのを思い出しました。

仏壇が届いてから、
毎日 朝晩、家を出る時と帰宅した時は、
おりんを鳴らして、
手を合わせるようにしています。

父が天国で安らかに眠れますように…🛐


























このLINEが、父の病の始まりでした。



この時はまだ、
ことの重大性をわかっていませんでした。

「ガン」という文字を見てビビったけど、
電話で父の声を聞いたら元気そうだったし、
命に関わるような話はなかったと言っていたし、
治療をすれば治るだろうと軽く考えていました。

厳しい現実を知らされたのは、
2025年11月11日。

父と伯母と一緒に病院へ行き、
医師の話を聞いた時でした🏥

ステージ4の末期。
転移があるので、手術不可能。
余命半年。
抗癌剤治療を受けたとしても、10ヶ月くらい。

その日のお昼。
院内の売店で、父がお弁当を買ってくれて、
3人で食べました🍱

父はずっと無言で、食べていました。

食べ終えると父は、
「抗癌剤治療は受けない。
余命半年なら、もう仕事は退職する。
命のことより、
仕事を辞められる解放感の方が強い」
と話していました。

その後は、人口のクダを入れ、
痛み止めの薬を飲みながら、
緩和治療を受けていました。

2026年1月4日。
父と初詣に行きました⛩️

以前より寒がりになった事と、
歩く速さが遅くなったように感じたけど、
それ以外は普段と変わらないように見えました。

本当に半年で亡くなるのかな…?
そんな実感が全然湧きませんでした。

実感が湧いたのは、2026年2月5日。
2月4日に父が緊急入院したと、
伯母から連絡がありました🏥

緊急入院した翌日にお見舞いへ行くと、
父の姿は変わり果てていました。


げっそりした顔。張りのない声。
看護士に支えられながら歩く🚶
薬を飲む時は、顔を上に向けただけで、
ひっくり返りそうになる。
薬を飲み込むのも辛そう💊

食事は禁止されていて、
水さえも、薬を飲む時以外は
駄目と言われていました。

「喉乾いたんですけど」と看護士に言う父が、
とても可哀想でした。

ここまで来てようやく、
父はやっぱり病人なんだと実感しました。

そして、本当に死んでしまうかもしれないと
焦りを感じました。

2月10日と12日も、
仕事帰りにお見舞いに行きました🏥

食事が摂れるようになり、
顔つきも良くなり、
体力も回復してきていました。

2月12日は退院前日で、
私も病室で、父と一緒に夕飯を食べました🌃🍴

病院の売店で、
お弁当、デザート、コーヒーを
父が買ってくれました🍱🍮☕

私はバレンタインのプレゼントとして、
父が最近よく食べるという
小さいチョコパイと、
まるでこたつソックスをあげました🧦

「タバコ買ってきて」と頼まれて、
アルバイト君に付き添ってもらって、
たばこを買ってきたのも この日でした🚬

こんな体になっても、たばこ吸うんだ…😅
って思ったけど、
父が求めていることを
制限したくなかったので、
好きなように吸わせました🚬

たばこは体に悪いけど、
気持ちを落ち着かせたり、爽快感があったり、
心理面では決して悪いだけではないそうです🚬

夕飯を食べた後、病院のロビーで
父と話をしました。

「生きている間に、やっておきたい事とかあるの?」

「俺も考えたんだけどさ、特にないんだよね。
俺、あんまり欲がないんだよね。
穏やかに過ごせればいいかな。」

父が言う「穏やか」とは、きっと人間関係…
特に家族関係のことを
言っているのだと思いました。

2月13日に、無事退院🏠️

父の緊急入院した時の様子を見て、
大事な話はきちんと聞いておいた方がいいと思ったので、
2月21日に父の病院の付き添いの後、
ガストでランチをしながら、
保険金の受け取り等の話をしました。

3月1日は、父が私の職場に来てくれました!
(父が退職してからは、他の日もよく会いに来てくれていたけど)

うちのアパートの契約更新があったので、
保証人の父に印鑑証明書を持って来てもらいました。
父が保証人でいてくれるのも、
これが最後になるのかな…と思いながら。。

この日は、父と新チーフの初対面!
チーフが父にお寿司を買ってくださり、
父も嬉しそうにしていました🍣

音楽、バンドという共通の趣味があり、
好きなジャンルなどの話を
楽しそうにしていました🎶🎸🎤

「長生きしてくださいね!」と、
チーフが父を元気づけてくれました🚩😃🚩

このあたりまでは 父も元気そうでしたが、
次第にお腹の痛みが酷くなり、
食事も戻すようになってしまいました🤮

2026年3月11日。
往診してくれた病院の判断で、
再び入院することに…🏥

3月12日にお見舞いに行きましたが、
2月に緊急入院した時よりは
元気そうに見えました。

父も、「病院に居る方が安心感があるんだよね」
「病院に居ると食事も摂れるけど、
家に帰ったらまた不安になって
食べれなくなるかもしれない」
と言ってました。

この日は、母も一緒にお見舞いに行きました🏥
父がホワイトデーのプレゼントと言って、
私と母と伯母とチーフの分を
用意してくれていました🍫

「病院の売店で買ったから、
あんまり種類はないけど。
でも、これなら喜んでくれるかな?って
考えながら選ぶのも楽しいんだよね」
と話していました。


写真にはないけど、
ロールケーキも父が買ってくれました!
TOPPOは、
2月に入院した時に買ってくれたものです📷️

3月14日も、母と一緒にお見舞いへ行きました🏥

チーフが駅弁を買ってくれたので、
病室で3人で夕飯を食べました🌃🍴
デザートは、父が売店で買ってきてくれました🍮


付き合っていた彼女のこと…
仕事で浴びせられた 傷ついた言葉…
仕事の悩みから、
「強運」の本を買って読んでいたこと📖
宝くじを買っていたこと…
守護霊のおかげで、今日も生きていられること…
命日は、新たな誕生日…など、
色んな話をしてくれました。

「話していると気が紛れて、お腹の痛みが和らぐ」
「時間の許す限り、帰らないで居てほしい」
父がそう言っていました。

看護士さんが、
「ひとりなら、一緒に病室に泊まる事も出来ますよ」
と言ってくれました。

急で荷物の用意もしていなかったので、
「またそのうちね」と言いました。

離婚しているけど、母ともギクシャクせず
会話してくれて、
病院の出口まで見送ってくれました👋

しかし、週末になり、父が腸閉塞に。

3月17日(火)。
お見舞いへ行くと、
父の顔はやつれ、声はかすれ、頭はぼんやりして、
思うように動けなくなっていました。

「昨日 同級生が来て、
けっこう話が盛り上がったから、
それで疲れたんだ」
と、父は話していました。

私もこの日は体調が優れず、心境も良くなくて、
沈黙状態が続きました。

これが、
父との最後の時間になるとも知らずに。。。

続きは、また別の記事に書きます✏️
















去年と今年、明らかに何か違う。


去年はあんなに楽しかったのに…

あんなに前向きな気持ちになれていたのに…


今年に入って、一気に気持ちが暗くなる。


緊張感が抜けない。

常に何かに追われ、焦っているような気がする。

人を疑う。

すぐイライラしたり、

切ない気持ちになったりする。

生理も2週間続き、出血が止まらなかった。


かといって、無理やり

明るく 前向きに考え、綺麗事を言って、

マイナス感情を閉じ込め、

無かったことにするような、

ことなかれ主義は嫌い。


だから、

「心の闇にフォーカスする」という

今年の目標を立てた。



でも、闇にフォーカスしすぎると、

暗くなりすぎてしまうのかも…と感じ始めた。


2022年10月7日に放送された、

「かがやけ!アンパンマン」というお話が、

期間限定で特別配信されています📺️


そのお話が、

闇との向き合い方を教えてくれるような

内容でした。




再会を喜ぶ3人。
しかし そこへ くらやみまん が現れ、
闇の世界に閉じ込められてしまいます。




「さっきまで あんなに綺麗なお花に囲まれていたのに…」
「もう ここから出られないのかなぁ?」

失望する、
メロンパンナちゃん と クリームパンダちゃん。

ふだん 明るい所で
楽しく暮らしているからこその
絶望感 なのではないか と思う。

私も、実家とピューロランドを
行き来 している時は、こんな感じだった。

去年から今年に変わった時も、
まさに こんな感じです。



そんな中、ロールパンナちゃんは、
「どこかに咲いている花があるかもしれない」
と言います。


「ほんとにあるの?」と言いたげな、
メロンパンナちゃん と クリームパンダちゃん。

でも、ロールパンナちゃんは
真剣に探していました。

ふだん、くらやみ谷で暮らしているから、
闇の世界は慣れているのかもしれない。

でも それ以上に、
闇の中でも、希望を見つけようとする志が、
何より素敵だったのです。

闇から脱け出す事だけが、ゴールじゃない。
闇の中でも、光を見つける事だって、
立派なゴールだと思う。


このお話の重要人物である、
絵描きさん(やなせうさぎさん)が
言っていた言葉も素敵でした。




「僕はこの闇の世界を
絵で明るく照らしたいんだ。
君たちにも描いてほしい。
見ると元気が出て、頑張ろうって思える太陽を。
希望を失った時に 見上げる空を。
見ると勇気が出る花を。
見ると心が大きくなる山を。
闇の世界に、希望の光を届けられるように。」



希望の光… 咲いている花… 探してみるか…🔍️