2/22(木)
"何を経験しても新鮮で、どんな些細なことでも心を震わせていた時期はすでに終わっていたのだ。(中略)どのような経験をしても、これは以前にどこかで経験したことがあると感じてしまうということでもあった。"
沢木耕太郎氏の『深夜特急』からの引用だ。
旅の期間が長くなったり、旅に行くことを重ねていくと、たびたび陥るこの感覚。
沢木耕太郎氏はまた別な言い回しで「旅には幼年期、少年期、青年期、壮年期、老年期がある」とも書いている。
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初めて海外旅行、3ヶ月間に渡るヨーロッパ周遊をしたとき、バックパックには数冊の『深夜特急』を携えて、バスや電車の中で読んでいた。
描かれていた氏の旅の初期の高揚と、俺の旅の初期衝動は一部共鳴する部分があったが、どうも心象も風景もピンとこない部分があったのを覚えている。
そして氏の旅が終局を迎えようというところで、「この先は読んではいけない」と感じ、それ以来最終巻はいまだに読んでいない。
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初めての海外旅行からはや13年。
当初は「次はない」と思い5年のパスポートを買ったのに、結局更新する際には10年のものを買い、海外で仕事をするということをミャンマーで実現するというおまけつきだ。
行った国は40を超えたあたりから数えるのを止めてしまったし、タイ、ミャンマー、フィリピンあたりは入国回数はもはや覚えていない。
そんな2024年現在に改めて冒頭の沢木氏の言葉を読み返すと、以前に増してつくづく腹落ちするものを感じる。
旅の幼年期。
初めての海外。
憧れの英国。
「May I help you」と店員さんが教科書通りに本当に言うんだと机上の話と現実の擦り合せ。
バスや電車に乗るのもドキドキ。
「海外、怖いと思ってたけどたのしー!」
旅の少年期。
安心感があるヨーロッパから出て、イスラム圏のトルコやモロッコでワチャワチャ。
自分の特性が読めず、ネパールにてキャッシュカード紛失。
泣く泣く帰国。
その後東南アジアやインドなどの近場で予定に縛られない自由な旅を覚えていく。
「海外に行けばとりあえずたのしー!」
青年期。
キューバや旧ソ連圏などで、ネットに情報がない街や移動方法も出たところ勝負でなんとかなる旅行を覚える。
ミャンマーで生活し、たぶん100年後も変わらないだろう村落を旅し、ブレーキの効かないバイクで穴凹だらけの道をツーリングし、
そして様々な旅界隈の方と出会い、自分の限界を知る。
そしてバンコクとヤンゴンは何か新しいことをする場というよりは、定点観測地点となる。
「次はどうやったら海外楽しいだろう?」
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そして今、自分は旅の壮年期に差し掛かった。
針の穴を通すような無茶な(現地に行ってみると案外無茶でもない)旅程を繰り返すことに魅力を覚えなくなり、
いったことのない国に強行して行くこともなくなり、
そもそも海外に行くのも、会社のカレンダーと相談するようになった。
そしてそんな中で、過去の残像と重ならない場所を探し、拾い損ねていた世界の素敵な場所を探し求め今回は、、、
まーーーーたフィリピンだよ🌝🌝🌝
塩辛いか油っこいかその両方かの現地飯、
徒歩のほうが速いのではないかという渋滞、
自分の感情と理性をシャットアウトしないと陰々滅々とした気持ちになる、大通りで見かける子連れの売春婦たち、
またフィリピンか…
いや。
その風景はフィリピンではなくマニラだ。
マニラには用はない。
今回の目的地はボラカイ島。
フィリピン、否、東南アジアでも指折りのビーチリゾートだ。
男が一人ビーチリゾートに行くブログは需要があるのは知っているが、
俺がそのようなブログ記事を書くことに全くもって、興味がない。
でもって、今回の旅はこの記事をもって更新はないかもしれない。
さて、間もなく成田空港。