12/31(日)
深夜に上海を出発した飛行機は順調にイスタンブールに向かっているらしく、うたた寝から目覚めてスマホを見るたびに、時計がジョージア時間やルーマニア時間へと少しずつ変わっていく。
かつて旅したジョージアやルーマニアの地が、今では気持ちの中ですっかり遠くなってしまっていて、そんなかつて自分が旅した地の上にいるというのが現実味がない。
しかしまあ、深夜便かつ西回りの今回のフライトは「夜を追いかけている」ようなもの。
窓の外を覗いてみてもただただ闇が広がる。
しかも12時間の搭乗時間だ。
そうなってくると機内での自分には成田空港に向かうときのワクワクも、上海で感じた旅情のかけらも剥がれ落ち、
いかにこの密閉された刺激の少ない空間で、現地時間に合わせて惰眠をむさぼれるかになってくる。
イスタンブール時間の朝の機内食を済ませぼーっとしていると、少しずつ窓から見える風景が明るくなってくるのが見える。
到着の時刻はイスタンブールの8:30。
日本とは6時間差になる。
標準時子午線があるアンカラよりだいぶ西にあるイスタンブールは日の出が遅く、
到着時刻の8:30はほぼ日の出と同時らしい。
そうこうしているうちに飛行機は無事イスタンブール空港に到着した。
日本の近隣諸国への旅行であれば、着いた瞬間からハッスルするものだが、
12時間のフライトの末に着いた今回のイスタンブールへの到着は、
手短に言って、
ぐったりである(白目)
首が痛い。
肩が痛い。
寝すぎて眠い。
もう帰って自宅のオフトゥンでぬくぬくしたい。
…帰りたい(涙)
イスタンブール空港は広く、イミグレーションまでは15分くらい歩いたかもしれない。
歩きながら少しずつ気持ちがシャキッとしてくる。
そうだ。
とっとと入国して現金を確保して市街へのバスに乗らねば。
〜〜〜〜〜〜
イミグレーションは至ってスムーズで、15分くらいしか並ばずに済んだ。
免税や税関を抜け、空港の到着エリアへと急ぎ足で入り、
そして手慣れた手つきでATMで現金を入手。
しようとしたところ。
するはずだったところ。
さっそくATMにカードを吸われた。
////心の声////
おおおおおおおおいおいおいおい!!!!!!
おいATM!!!!
動け!!!!!
うーーごーーけーーー!!!!
なあ!
おい!!
・
・
・
おいおい。
なあ旅の神様、それではひどいナリよ〜(涙)
。。。僕、なんかここ最近悪いことしたかなあ?(涙声)
あ、
隣のおじさん見てたでしょ!?
やばないすかこれ?
////心の声終了////
と、ATMに隣接する両替所のおっさんに助けを求めたところ、
両替所が管理しているATMだったようで、
そのおっさんがATMを開けてくれ、
事なきを得たのであった。
いやあ。
上海行きの飛行機が無料アップグレードされたり、
イスタンブール着いて最初のATMにカード座れたり、
あとついでに、日本で買ってきたSIMカードが繋がらなかったり、
今回色々と持ってるな、俺。
こういう荒れそうなときは、
ヘタに無難なこと無難なことを選択して事なきを得ようとするよりも、
ハードラックとダンスするにかぎる(迫真)
なんかありますよね。
一つビッグイベントもしくはビッグインシデントがあると、
止まっていた時計が急に動き出すかのように、
もしくは最初の上り坂を登り切ったジェットコースターが長い上り下りを超高速で走り出すように、
次から次へとのっぴきならねえことが起こり続けるカオスな時期。
もしかしたら今回の俺、それかもしれない。
ということで、今回は予想不可能ゾーンに片足を突っ込みそうになった場合は、
すすんでもう片方の足も差し出すことにする。
〜〜〜〜〜〜〜〜
で。
空港から市街に向かうバスには朝10時頃に乗った。
2019年にできたこの新しいイスタンブール空港は、イスタンブールの旧市街から40〜50km離れているのだが、
空港からはメトロを乗り継いでいくかバスで市街に行かなくてはならない。
空港と街の中心までのアクセス線があるわけでなく、あくまでバスと既存の鉄道網に付け足して済ますところがバス移動大国トルコらしい。
さて。
朝のトルコの日差しは弱々しい。
緯度は日本の東北地方と同じくらいの位置にあるのだが、
夏のバケーションの地のイメージが強い地中海地域に位置するイスタンブールではあるものの
冬の地中海沿岸の空気は湿っており、薄ぼんやりとした雲がずっとかかっている。
うすぼんやりとした空模様の中、郊外をバスでドナドナされているが、
まだ旅情というよりもフライトの延長線にいるような、日常の延長線上にいるような感覚がしてならない。
旅で溢れる脳汁よ、どこへ行った。。。
30分ほどの乗車の末に、旧市街のアクサライという街に到着した。
久しぶりのトルコの空気。
チャイ屋でチャイをしばいているおっさんたちの風景が実に懐かしい。
行き交う人々はいかにもトルコ系な顔から、ブロンズの髪の人、ちょっとモンゴルが入ってる人、
このバリエーション豊かさがイスタンブールなのだったと、改めて実感する。
街に薄っすらと漂う空気はヨーロッパの香水の匂いを帯びており、
かつてヨーロッパを旅したときに感じていた、常にいい匂いを感じるから常に街を歩いていて心地良い感じを思い出す。
なるほど、かつてヨーロッパを旅した時に感じた、
なんとなくいい匂いがするからなんとなく常にハッピーな感じは、
この香水の匂いのおかげだったのだと、合点がいった。
そして、その後訪れた東南アジアやその他途上国で感じた、飛行機のタラップを降りた瞬間の
熱気を帯びた排気ガスの臭いにワクワクする感じは、ヨーロッパで感じたあの香水の匂いとは逆の刺激にエキゾチックさを感じたからなのだろう。
さて。
今回は地球の歩き方を持ってきていないしSIMカードも繋がらない。
それでもこれまでの旅で同じ状況でもなんとかしてきたので、
今回もなんとかなる。
どこに行くというあてもなく、まずは心が赴くままに散歩を始めることにした。
歩き始めてまずは、大通りを横断する地下道へと入った。
そうだ。
トルコやブルガリアあたりは街に地下道を作って、
さらにその地下道には店が軒を連ねるのだったと、
過去の旅の情景が色々と蘇ってくる。
旅をしていると、過去の街の風景が一気にフラッシュバックしてくることがあるが、
今回もさっそくそれが始まった。
旅は既に忘れてしまった過去を一瞬でフラッシュバックさせ、そしてときに別個の事象が一本の筋が通った知識体系にしてくれる。
ふらふらと街を歩いていて、イスタンブールという街、人々の行動の基本様式が見えてくる。
旧市街には6階建てくらいの高層建築がどこまでも広がり、かなり欧米建築を意識しているものも少なくない。
アジアでよく見る有象無象のマンション建築にかなり欧米チックな建物が混ざるその様は、
相当な期間東南アジアより西に出ることのなかったここ数年の私の目には、
ワンアンドオンリーなものに見えてくる。
イスタンブール空港にはたくさんの喫煙所があり、喫煙所でないところでもタバコを吸っている人がいる自由さがあったが、
町中でも喫煙はかなり自由なようで、チャイ屋の軒先だけでなく大通りでも堂々と歩きタバコが行われている。
特筆すべきはトルコ女性の喫煙率の高さで、「ヤンキーでもギャルでもない女性が堂々と歩きタバコを行っている」のだ。
まあまあ。
トルコ人からしたら、日本の都市を歩いていて「マジかよ!日本では女性もべろんべろんになるまで酔うし、路上で缶チューハイを飲んでる女性もいる!!!」と思うだろうし、お互い様だ。
その一方で、世俗国家トルコといえども一応イスラム的な配慮があるようで、レストランのメニューには酒がなく、酒屋か居酒屋に行かなければどうやら酒は手に入らないようだ。
世俗的といえば、もちろんスカーフを纏っている女性もいるが、かなりウエスタンなファッションに身を包んだ女性が多いし、いちゃいちゃしてるカップルはあまり見かけないが、それなりのオープンさを感じる。
そうだこの感じがトルコだった。
10年以上訪れていないと、この感じを忘れてしまうものなのか。
そして、アクサライから見どころがぎゅっと詰まったスルタンアフメット地区までの通りには、いたるところにジャーミィ(モスク)がドンと鎮座している。
ビザンチン様式の教会建築の影響を多大に受けたと思しきドームと、高々とそびえ立つミナレット(尖塔)。
どのモスクもでかさが半端ないのだが、広場に隣接していることもあり、市民生活に完全に溶け込んでいる感じがたまらない。
そう、ローマ時代の遺物さえ生活に溶け込んでいる、それがトルコだ。
このモニュメントはコンスタンティヌス帝の時代のもので、
まあつまり1700年前のもの。
そこら辺に「世界史」が転がっている。
日本でいうと古墳みたいな時期のものがいまだに現存して生活に溶け込んでいるのは、
いわば日本史の辺境に生まれた自分からすると、少なからず不思議な気持ちを持たずにはいられない。
それだけではない。
ゴシック建築に影響を受けたと思しきこんなモスクにも、ビザンティン建築の影響ゴリゴリのこんなモスクにも狙わずに出会うことができるのがイスタンブールだ。
あまりに良すぎて頭がバグりそうになる。
で。
街を歩いていくと、さらにイスタンブール最大のグランドバザールに辿り着いた。
日曜日なのでバザールの門は閉まっていたものの、その周辺にも市が広がっており、歩くのが大変なくらい人がごった返している。
ヨーロッパ的な街の要素とアジア的な喧騒の要素、それを両立しているのがイスタンブールだと、バザールの喧騒と大通りのシャレオツな町並みに、つくづく思うのだった。
そして俺は見つけた。
海外旅行者が困ったらとりあえず行く場所、
「i」の字が目印のツーリストインフォメーションを。
SIMフリースマホを持ち歩き現地SIMを使うことが一般化した2020年代には、だいぶ重要度が下がってしまったと思しき観光案内所だが、
今回旅行ガイドを持たず、さらに事前に準備したSIMカードも動かないという状況の今、
現地の観光案内所を見つけるというのは、古風なJRPGでいうならば街でまず最初にセーブポイントと回復ポイントを見つけるくらい大切なことなのだ。
で、無事ゲット。
「ぼくは、イスタンブールのちずを、てにいれた!」
いやあ久しぶりだ。
地図を手に入れることが嬉しいだなんて。
土地勘が若干あるイスタンブールだから不安を感じず、スマホに残ってる地図アプリのキャッシュデータでごまかしごまかしやってきたけど、
地図があると格段に楽。
あとはSIMカードがちゃんと動いてくれると嬉しいんだけどなァ。。。
〜〜〜〜〜〜〜
しばし歩いていくと、いよいよこの街最大の見所集合体、スルタンアフメット地区に辿り着いた。
イスタンブールがまだイスタンブールと呼ばれる前、すなわちコンスタンティノープル、
その前はビュザンティオンと呼ばれていた時代から街があった場所で
ビザンツ時代にはハギア・ソフィア大聖堂を築き、
オスマン帝国がイスタンブールを都にしてからは政治の中心トプカプ宮殿が築かれた地区だ。
~~~~~~~~~
一度話をぶった切って、スルタンアフメット、イスタンブールの地形的な話をしたい。
歴史的に豊かなオリエントとヨーロッパの結節点にあるのがイスタンブール。
そして、黒海と地中海とのボトルネックになっているのもまたイスタンブール。
陸上海上問わず交易にはこれ以上にない重要性を持っている都市だ。
で、さっきの画像を拡大するとこんな感じなのだが
黒海と地中海(厳密にはマルマラ海)を接続する、ボスポラス海峡の地中海側の出口に位置するのが
イスタンブールの旧市街で、赤い四角で囲ったエリアをさらに拡大すると、
地中海から国会への出入口の小高い丘にスルタンアフメット・モスクを中心とした、
旧市街が広がっていることが分かる。
いかに重要な地域の中でも重要な場所を中心に築かれていったか分かるこの感じに、
マジで萌える・・・(悶絶)
~~~~~~~~
いよいよここに辿り着いてしまった、スルタンアフメット地区に。
初めてのトルコ旅行で衝撃を受けたエリアに。
色んな国を見てきた中で今回自分は何を感じるのだろう。
ということで最初は通称ブルーモスクこと、スルタンアフメット・モスクに行くことに。
ブルーモスクは17世紀に作られたもので、現在世界遺産に登録されており、世界で最も美しいモスクの一つとされる。
いやあ。
これはただただすごい。
幾何学的に追求した繊細な美。
そして、でけえ。
でけえは正義。
素晴らしい。
なんというか、繊細さと華やかさが突き抜けている。
ヨーロッパでいうところのロココ美術感があり、かなりお上品な感じがする。
分かりやすい金満感を感じる東南アジアの仏教寺院ばかり見てきたがために、かなりの新鮮さを感じる。
仏塔に金箔を塗ったくったお寺ももちろんいいけどね!
お次は隣のアヤソフィアへ。
アヤソフィアはもともとビザンツ帝国時代に建造された教会をイスラムのモスクに作り変えたもので、ビザンティン建築の最高峰と呼ばれる。
モスクをキリスト教会に転用したスペインのコルドバのメスキータとは好対照をなしていると言える。
アヤソフィアを見ようという心の準備がまだできてないうちに、ブルーモスクから歩いているとそのすがたが視界に入ってきた。
準備してないのに視界に入ってくるなんてもう勘弁してくれと思ったが、
だってデカいし、
街の造りがそうなってるから仕方がない。
姫路駅から出てすぐに姫路城が視界に入るくらい、分かりやすい街の作りなのだ。
で、
こちらは年末年始ということもあって非常に列が長く、
もし今年が厳冬であったら並ぶことを躊躇していたレベルだ。
30分か1時間は並んだかもしれない(涙)
で、並んだだけの感動はアヤソフィアに入った瞬間に感じた。
ブルーモスクももちろんすごいが、入口からすでに重厚さを感じる。
そして靴を脱いでいよいよ礼拝堂に入ろうと思って中を覗いた瞬間に、
あまりに圧倒的なでかさと重厚さと華麗さを兼ね揃えている姿に、
ひとり声を出して悶絶してしまった。
ここ数年の旅でも指折りの衝撃で、
雷に撃たれたかのような衝撃と、溢れんばかりの脳汁に、
礼拝堂の中でもひたすらに悶えた。
「マジかよ~~~」と独り言を言いながら観光スポットを見て感動するのは、
ちょっといつ以来か思い出せないくらい久しぶりだった。
まじで、アヤソフィアを見ずして死んだらそれは不幸だと思う。
「イスファハーンは世界の半分」ならもう半分はアヤソフィアだ。
アヤソフィアを見たらお次は隣りにあるトプカプ宮殿も見たいということで歩いていると、本日のアザーンがアヤソフィアとブルーモスクのミナレットからけたたましく響いてきた。
旅行者として聞くとその厳格な調子の節回しに一抹の緊張感を覚えるものだが、
これがイスラムの世界の生活音なのだ。
日本のお寺の朝の鐘の音(ぼ~~~~~~~~んんんんんんん・・・・・)と
対比してみると、アザーンの持つ緊張感は社会の秩序維持装置としてのイスラムを感じざるを得ない。
俺は今、確実に、イスラムの国を旅をしている。
〜〜〜〜〜〜
で、トプカプ宮殿だけど。
広くて見るところがたくさんあるが、宮殿の建物の中に博物館を突っ込んだような感じだ。
もちろんその数々の展示品にはロマンを感じたが、
ぶっちゃけ、
並んでまで見るほどか?
という感想のほうが強く、
見る順番間違った(涙)
今日見た観光スポットより先に見ておけばもっと感動できた。。。
〜〜〜〜〜〜
トプカプ宮殿にケチをつけつつ観光し終わったときには、午後3時に差し掛かろうというときだった。
バックパックを背負いながら歩いたので、いい加減体が限界に近づいてきたのでホテルにチェックインしたい。
そんな今回の宿はトプカプ宮殿から歩いてすぐのシルケジというエリアのホテルだ。
シルケジという名前は前にイスタンブールを旅したときに知っていたが、
シルケジの雰囲気はまるで記憶がない。
「京都を旅したけど祇園の記憶がない」くらいの極端な記憶の欠如だ。
はたまた、本当にシルケジは素通りしたのかもしれない。
で。
シルケジに来ると、より一層街が華やかになり、より一層ツーリスティックになるのをすぐに感じた。
お土産屋とレストランとホテルと両替しかない。
いわゆる「沈没」する街を最大限まで経済的に発展させた感のある街だ。
そんな街を歩いていてレストランを冷やかしてみると、
安価だと思っていたケバブが、日本で食べるより高い(愕然)
ケバブを食べにトルコに来た訳ではないが、その値段の高さに愕然とする。
おいおいと思い酒屋に入ると、酒のレートはかつてトルコを旅したときと大して変わらない。
まさかと思いタバコの値段を確かめたら、日本より安い。
もう一度言うが、沈没する街ではない
そんなことばっかりしてるわけにはいかんと思い、ホテルにチェックイン。
うーんこれで30ユーロかといった狭い部屋(推定6畳前後)。
チェックした感じ、最近流行ってる南京虫がいないだけマシか。
〜〜〜〜〜〜
今日のまとめとして。
久しぶりに東南アジアを越えた街に来たが、
一言で言って、
悶える(恍惚)
東の文化も西の文化も同時に味わえるのだが、それがパッチワークではなくてシェイクされたカクテルのようにきれいに混ざり合っているのを感じる。
それは観光名所を見てそう行っているのではなく、街で行き交う人々、街に通底する匂い、何気ない風景、一つ一つに西と東両方を感じざるを得ない。
義務感を感じるほどに行きたい観光名所を行き終え、明日から2日間はフリータイム。
さて何しよう。