こんにちは。


お立ち寄り下さりありがとうございます。



この所雨が続いてましたが今日は明るいお天気です。この後関東は曇るみたい…


昨日外を車で走ってると桜があちこちで満開桜

桜を見ると必ず思い出す…


今日は母の命日です。


もう、20年になるんだな…


それは20年前の3/23日、母は実家の三重から私の家に来る日で。

朝10時、夕飯をテイクアウトでお寿司にしようと電話で話して何を食べるか聞いて
いつも通り「後でね!」と電話を切りました。

それが最後に聞いた母の声になった…


母が到着する夕方まで子供を連れて公園にいた所に姉から電話が…
「ママが倒れたって!」

姉も詳細がわからず…とにかく家に戻っててと。

すぐ家に戻り留守電を聞くと
「母ちゃん倒れたー」
父の悲痛に叫ぶ声が入ってました。

来る途中で倒れたのか、どんな状況だったのか何時頃だったのか全くわからないまま時間が過ぎて…

脳出血で緊急手術になると。

姉との電話でもすぐに実家に行きたいと伝えても反応薄いし
兄も次の日仕事あるからすぐには行けないとか…

もう、薄情な上2人の事を信じられないと怒りを感じてだけど…
自分1人では子供を抱えてその時間から電車に乗る勇気も無くただただ悲しくて悔しくて泣いてしまった。



どのくらい経ったか姉から電話が来て
旦那が実家まで行ってくれるから準備しておいて!出る時連絡するから!と。


仕事があるから行けないと言っていた姉でしたが後で聞くと
義兄も姉もこの数時間の間に次の日からの仕事を人に代わってもらう手はずを整えてくれてて…

ノンストップで三重まで車を走らせ…深夜2時頃病院到着。


集中治療室の母は頭に包帯、管が繋がれていて
先生から倒れてから発見されるまでに左脳の半分が壊死したので切除した…と。

このまま目を覚ますかはわかりません。もし目を覚ましても言葉も喋れるかもわからない、もっと言えば自分の事もわからないかも…と。

それでも生きていてくれた…

家に帰ると暗くなった家族の中で姉の息子達と1号娘が普段通りに過ごしている事が唯一の救い。

そして毎日母に会いに病院へ行き母の手や足をさすりながら
今日は晴れてるよ、暖かくなったよ…

日に日に暖かくなり桜が咲いて…


29日の夕方6時 父と姉と母の子供の頃からの友人と集中治療室で母に声をかけていた時

母の耳元で…桜が咲いたよ…

ずっと目も覚まさない母の目元に涙が出た…ように見えた…

そして明日ね…と。


家に戻って買って来た夕飯を食べ始めた時…家の電話が鳴って…


母が急変…

急いでみんなで準備して…もう子供の気持ちとか考えていられなかった…

ただただ涙が溢れて…慌てて車に飛び乗った。


病院に向かう車で何も理解出来ない2歳の娘が
ママ、お肉は?と。

食べ始めたばかりの唐揚げを途中で放り投げ出て来たので
無邪気に唐揚げの行方を気にしてた…みんな泣き笑って…そうだよね、そうだよね、ごめんね。と。

泣きながら病院の廊下を駆け抜け病室に入ると
心臓マッサージの最中だった…

助けて!助けて!と何度も叫んだけど…

今の状態でも胸の骨が砕けるほどだから…と。

もうかわいそうで見ていられず…


もう楽にしてあげよう…集中治療室には子供が入れず倒れてから1度も会っていなかった孫達も中に呼び入れ
娘がちゃーちゃん起きろ!と呼んでいた…寝てると思ってたみたい。



そして母は息を引き取った…



家に戻ると長女はお肉食べたい!と。

泣きながら娘に食事させて…


そんな話を昨夜長女にしながら泣いてしまった…


今でも鮮明に覚えている…


たった1週間の内に季節が冬から春に変わった事…

娘は今でもおばあちゃんがいるお友達を羨ましがる…きっと母も孫の成人式や結婚式を見たかっただろう…


次女は母を知らない…でも母の生まれ変わりなのではと思う。

亡くなった次の年、命日のちょうど1ヶ月後に生まれた次女。

母のちょっと変わった指が次女に…きっと母が私の所に帰って来たんだと。

いつも母は私の側にいるんだな…


今日は一日母を想う…





お読みいただきありがとうございました☆