漫画・イラスト・小説を書いているむつきです。
多趣味が過ぎて手帳タイムや丁寧な暮らし、温活なども日々邁進中奮闘中☆
家族構成
どもどもむつきですー。
夏休みが明けたので出勤したら職場が戦場と化してました
休み明け後ですぐに連続残業とか。
仕事があるのは喜ばしいことではありますが、なまった体にけっこうこたえる……
そん中でも平日でも掃除した私、えらい
さて本日の本題。
『おうちの中をキレイに保とう!』
と、前回の記事で決めた私ですが
とりあえず二日間はできました。
本当に5分しかかからないものをいくつかやっただけです。
でもちりも積もれば山となる、ということで
ちょこちょこ掃除をしていくとそれだけでキレイになった場所が増え
いくぶんおうちの中が明るくなったような気がします
朝っぱらからクイックルワイパーで掃除している私を見て旦那が
「またなに始めたんだこいつ」
みたいな視線をよこしましたが無視(笑)
自分が食べた物を食洗器に入れられないどころか
食洗器のスイッチを頼むのも嫌な顔をする人にはわからないだろーからな!
家事とはつまるところ自分のためにある。
自分に手をかけてあげる=家事
ということに気づいたんですよ私
「どういうこと?」
と、問われればそのまんまです。
前にもちらっと触れた気がしたと思うのですが、
要は生活は生きる活力である。
生きるためには『衣食住』を伴うものなので、
衣食住を整えてあげることこそが生活を支える根幹となる。
と、いうことです。
建築でいうところの基礎土台みたいなもんですかねー?
ここに不備があると住みにくかったり、
なにかしらきっかけが起きると倒れてしまう。
だから生活の根幹である衣食住を整備するための家事が
まわりにまわって自分のためになるということですな!
決して軽んじてはいけない仕事。
家事をして衣食住を整えたからこそ生きられてるともいう。
でも近年ではこの家事がなかなかに大変になっています。
端的に言えば、それまで家事を担っていた主婦が働きに出たからになりますが、
「じゃあ結局主婦は働きに出ないで家のことだけやってればいいじゃん」
と、思う方もいらっしゃるでしょう。
でもそれは違う。
そういう理屈はもう通じないレベルで、主婦一人が家事全般を担うシステムが崩壊してるんですよ
私、家事についてちょっと調べてみたのですが、
昭和初期の家事時間は10時間。
大正はなんと12時間だったそうです
えげつない
一日の半分が家事に費やしていたとか、どんだけだって感じですよね。
しかもあれです。
当時は家族の人数も多ければ親戚もいたりと
家事の量も半端なかったですが同時に家事の担い手もたくさんいました。
それこそ集落、村規模の単位で分散させてたらしいです。
丁稚奉公というシステムがあったのがその証拠。
子どもが他所のお宅にてお手伝いする。
一般家庭でも低賃金で女中さんを雇ったりして家のことをやってもらってたそうですよ。
現在のように便利家電がなければ家族も多いという状況で
主婦一人が家事をすべてこなす、
なーんてことはなかったわけですね。
この家事=主婦が定着したのは第二次大戦後。
核家族が進んでからになります。
二千年以上ある日本史においてたった70年程度しかないんですよねー。
今の主婦の現状って。
それぐらいしか歴史がないのに、
誰がさも当然のように
「家事は主婦の仕事だ!」
と、ほえてるんでしょうね(笑)
ほんと、笑わせるなよって話です(笑)
家事=生きること=自分のこと
と、考えた時、
主婦に家事を押し付けていた人はつまり
自分のことすらまともにできていないんですから偉そうにするなってな!
ちゃんちゃらおかしいわ
昔はそれこそ自分のことはそれぞれ自分でやっていたみたいですから、
「昔からそうだった」
という理屈は通じません
だって70年しかその歴史がないんですもの。
それ以外の1930年分はどうなの? って逆に問いたいですわ
そんな一部の人間により定着しつつあった家事=主婦の図式は
前述した通り崩壊しようとしています。
「やってみたものの、やっぱ無理だったわー」
って感じで、各メディアで時短家事だったり育児の夫婦間の共有、
女性の社会進出がその結果かと。
ちょっと長くなってきた&出勤時間となったので今回はここまでで!
読んでくださりありがとうございました