「好きになっちゃいけない人なんて
居ないんじゃないかしら?」
とは、おっさんずラブの天空不動産編の第二話でマイマイが牧に言ったセリフ。
このセリフ、大好きです。
おっさんずラブ全体を象徴してる名セリフだと思ってます。
(その他にももちろんいろいろあるんだけどね。)
好きになっちゃいけない人なんて、居ない。
この言葉が多くの人を切ない気持ちにさせ、共感されているということは
多かれ少なかれ、好きな人に対して後ろめたい気持ちを誰もがもっているということなのだと思います。
どこか恥ずかしい気持ちを持っているというか。
でも、なんで?
なんで後ろめたさを感じなければならないの?
それこそ好きな人がいたら、
オサラブの武蔵みたいに、
「はるたんが、好きでぇ〜〜〜〜〜〜〜っす!!!」
と思い切り叫んでスッキリすればお互いハッピーな気がするのだけども、
なんで躊躇しちゃうんだろう?
世間体がどうとか。
自分に自信がないとか。
理屈つければいろいろ出てくると思うんだけど、
理屈なしでもなーんか、恥ずかしい気持ちってありますよね。
私だけ??
これを潜在意識的に考えてみたら、なかなか深くなりました。
まず、前提として好きな人って極論を言えば自分じゃないですか。
と言うことは、エゴとしての自分が、全体としての自分を好きになるという事ですよね。
これは一体どういうことかと分解してみると。
恋というのも自分の美しさに共鳴している現象の一つだと思うんです。
「花が美しいのはあなたの中に美しさがあるから」
とはよく言ったものではありますけれども、
相手の素敵なところというのもまた私が創造したものなわけですから。
その類いだと思うんですよね。
じゃあなんで苦しくなっちゃうの?と言ったら
そこからはエゴなんじゃないか?
って思います。
夢もへったくれもないかも知れませんけれども( ・∀・)
よくよく考えてみると、
恋というシチュエーションはとてもエゴを刺激される因子が多いんじゃないかということに気づきました。
まず、繰り返しますけれども
恋をしている相手も自分自身の投影な訳ですから
それは紛れもなく自分にのなかにある素晴らしさに共鳴しているんですよ。
つまり、恋というのは自己愛に繋がっていく訳です。
でも、自分を好きになれないなら嫌いになることで特別になりたがるエゴはそれを全力で阻止しようとする。
だから、恋すると『でも私なんて〜』みたいな負の思考まみれになりがちになる
!
しかもそれは表層意識より深いところで無意識に行われているから、好きという感情をすっ飛ばして、苦しくなっているんではないかと。
この構造、わかって貰えますかね?
私も今日それに気づいて
ハッ!!!
となりました。
エゴ助めー!って感じで( ・∀・)
あとは、単純に
生命の防衛本能として現状維持が大好きなエゴにとってみれば、
相手の好きなところに共鳴してもらっちゃ困るんじゃないかというのもあると思います。
これはうまく言葉で示せないんですけれども、
相手の素晴らしいところに魅せられているというのは
新しい価値観を取り入れようとしているということ。
いわば、今までの価値観からズレた方向にシフトしがちなんですよ。そこでまたエゴの反応が出てくる。
それからエゴは全体性から分離するのが大好き。
だけど恋をすると「あの人とくっつきたい!」みたいな、分離とは反対の方向に衝動的になっちゃうというのも一つあるのかなぁと思います。
あとは、「あの人のことをもっと知りたい!」
とかって考えて思考がぐるぐるしがちになっちゃうというか。
今まで挙げただけでも4つ出てきましたけれども、
恋という漢字一つとってみても、エゴを刺激されまくりだということが分かって頂けたかなぁと思います。
だから叶わない恋も多いんだと言うことにも気付いたんですが。
で、私は気付いたんですけれども恋の必勝法もやはりエゴの構造に気を付けるかどうかなんじゃなかろうかと。
続く。