1330 : もぎりの名無しさん 2019/11/09(土) 20:27:47

転職活動がお祈り手紙ばかりで焦っていたけど【既に採用されていた】と意図。

後は面接以外はゲームやラグビー観戦など自分の好きな事に集中してなるべく嫌な事は考え無い様にしてたら第一志望の会社から採用の連絡が来た

入社日まで日が空いていたのでノンビリと寛ぎつつ【今の内面、全ての現実が完璧だった】と意図したら自分が持っていた株が高騰

売ったら家でゴロゴロしていただけなのに1日分働いたのと同じ位、儲かった


「苦労しないと金は稼げない」という概念はエゴの嘘だった



今後は
①意図する→②必要最低限の行動はする(面接に行く等)→③後は嫌な事は考え無い様に好きな事、心地好い事に集中して過ごす

で行こうと思う


多分、上手く行くと思う。

達人さんに質問して答えて貰っても現実が変わらない人は多分、答えて貰う事で安心を得るだけで、それっきりだからだと思う


何でもいいから徹底的にやるのが正解なんじゃ無いかな?



1332 : こっぱみじん sage 2019/11/09(土) 20:38:33

>>1330さん


実にお見事です。パーフェクトです。


早速エゴの嘘がバレましたね。

「苦労しないとお金は稼げない」はエゴがよくつく嘘ですよ。

常套句です。

華麗にスルーしてください。


もう何も言うことありません。素晴らしい! 

みなさん、1330さんのおっしゃる通り、実践ですよ!



1334 : 1260 sage 2019/11/09(土) 21:04:32

こっぱみじんさん、何度もありがとうございます。
また質問なんですが、「別の領域」つまり本当の私が主体になると、世界はどういう風に見えるんですか?
視界に入るもの全てが「私」に見えるんですか?
「私の」身体という感覚は薄まるんでしょうか。
ラマナ・マハルシは「私は誰か?」という質問を自分に問いなさいと本に書いてますが、
こっぱみじんさんの見える世界はどうなっているんでしょうか。
質問ばかりですいません。



1336 : こっぱみじん sage 2019/11/09(土) 22:30:04

>>1334の1260さん

あっ、ちょっと待ってください。ひょっとしたら誤解があるかも。

僕はこれまで何度も本当の自分は「別の領域」なんですよと言ってますね。
これはあくまで「本当の自分」=「別の領域」という意味です。
「個」としての自分=「別の領域」という意味ではありません。


普通の「個」としての僕らは、100%完全に別の領域と一致することは不可能です。
そうすると充足のみの世界となり、物理現実に存在することが非常に難しくなります。
なので「個」としての僕らができるのは、「極めて別の領域に近い個」が限界です。


僕が充足を見てくださいねというレスで書いているのは

・別の領域に近い属性を持ってる「個」

・別の領域の方向を向いている「個」

になってくださいねという意味です。

でも限界まで別の領域に近づいた人はたくさんいると思いますよ。
前述の臨死体験をしたアニータさんとか、キリスト、ブッダ、いわゆる聖者といわれる方々です。

僕はまだペーペーの新人なので、「別の領域に近い(でもまだまだずいぶん遠い)属性を持つ個」ぐらいかなあ。

以下は、あくまで僕個人の感覚ということでご了承ください。



1337 : こっぱみじん sage 2019/11/09(土) 22:31:50


僕の認識は日々変更されている(深まっている)感じがするのですが
最近の僕の感覚だと「僕の身体」という感覚は前よりもずっと薄いです。


なんか勝手に動いてるなーというのを後ろでぼーっと眺めている感じです。
下手に思考で考えないほうがスムーズに動く事が多いです。

例えば野球のボールを打つとすると
「よっしゃ、ホームランかっ飛ばしてやるぞー!」とピッチャーをガン見せずに
勝手に身体が動いてホームランを打って「あ、僕、今球を打ったわ」と眺めているような。



自分がオートマで動いているのをぼーっと眺めている時間が前よりも長くなってます。
思考が止んでいて、エゴが静かな状態が割と長く持続します。
僕の身体は外側にあるというか、世界とフラットになっている感じです。

ちゃんと自分の身体だと分かっていますが、前よりも柔らかい感じ。
(立位体前屈ができるとか、180度開脚ができるとか、そういう意味ではありません)
現実も同じです。結構ぐにゃんぐにゃんっぽいというか

がっしりと固まってなくてどうにでもなるような……。

……む、難しい! これすごく言葉にしづらい感覚です。




1339 : こっぱみじん sage 2019/11/09(土) 22:36:14


そして、僕の視界に入るもの全ては「僕自身」なんだなーとぼんやり知ってる感じですね。
内面がダイレクトに外側になってるような。
「世界=自分」「他人=自分」だと体感的に分かってるような。

でも僕は桑田さんのように、トイレの蓋になったり天井になったりできるレベルじゃありません。

例えば現実社会でちょっと困った人がいたとしますね。
なぜか突っかかってくるとか、聞かれたくないプライベートなこと(お金に関して)を何度も聞いてくるとか。


以前の僕だと「あーあ、参ったなあ……」と胸がずーんと重くなったり
「もー、いーかげんにしろよー」とイライラしたりしてました。
昔の僕は落ち込みやすく、怒りやすい性格だったんです。


でも今の僕は
「へえ、なるほどー、僕はまだまだお金に関するこだわりがあるんだなあ」
とその人を興味深く見ているというか、ぽかーんと眺めている感覚です。

ニュートラルな感じです。
顔文字で言うと( ´,_ゝ`)ふーん的な。


逆に現実を見て、今まで気が付かなかった僕の性格や
思い込み、観念があぶりだされてくるから面白いんです。

ネガティブな出来事を面白がるって変な感覚ですよね。
でもなぜかそうなってしまうんです。

毎日が新鮮で、冒険のようです。ワクワクの連続です。