ここで言われる自我なる存在は脳が担当する[思考]くらいに、思っていれば良いかな。
そして[思考]を捨てるのではなく。
[思考]の結果生まれる、次元が一つ上の[感情]を重視しなさい程度で良いかと。
今の価値観だと逆になるけど、[思考]が結論を出した内容で、生まれる[感情]も変化する。
直接干渉出来るのは、3次元の肉体では当然、脳の思考になる。
だからこそ現代人は感情を無視して思考に偏りがちになるが、材料の思考が粗悪品だと、生まれる感情もまたろくでもないレベル。
そうすると、そのうち本体たる感情が、何かと問題ある食材ばかり回してくる思考にクレームを入れるようになり、精神病理が発症する。
良質な感情を生み出す思考をすれば良い。
要は同じ現象を見て、与える評価でその人の幸福感は変わる。
悪意の思考で卑下するか、善意に解釈して、ましな考え方を採用するか程度の問題かと。