約100年前、日本に友好のシンボルとしてハナミズキがアメリカから贈られた。

 

 

日露戦争の終結のため1905年のポーツマス条約の仲介をしてくれた米国への謝意を表し、日本とアメリカの友情に願ってもないチャンスだと考え、桜を日本からアメリカへ贈る準備に取り掛かった東京市長。

 

明治の終わり頃、アメリカでは来日経験のある人達の間で、日本の桜を讃える声が相次いだので、「アメリカの人達にもあの美しい桜を見せたい」という想いもあった。

 

東京市長は2千本の桜をアメリカに贈ったが、害虫が発生し、焼却を余儀なくされた。それから後、害虫に強い桜の苗木の調達をして、6040本が無事アメリカに到着した。

 

日米親善の証である桜はその後、多くの人々の熱意によって守られ、見事に成長し、今ではワシントンDCにあるポトマック公園で「桜まつり」が開催されている。

 

その返礼として、日本にアメリカのハナミズキが寄贈された。その背景には、もう1つ別の米側の想いがあるのではないかという説がある。ハナミズキはキリストが磔(はりつけ)の刑に処せられたとき、その十字架の木材はハナミズキであった。

「クリスチャンにとって、ハナミズキはとても大事な木。背があまり高くならないのは、2度とハナミズキを十字架にしないようにという想いがこもっているからだといわれている」そうだ。

 

ハナミズキには、もう1つエピソードがある。「9.11」の同時多発テロで友人を亡くした一青 窈(ひとと・よう)さんが涙しながら、平和の願いを込めて作った曲、「ハナミズキ」!

 

9.11の起こったニューヨークは水辺の都市だった為、彼女は事故当時「客船タイタニックの事故」を連想したようです。

船が沈みゆく中、救命ボートにあとひと少し乗れるという時、『自分と好きな人が助かる』よりも『好きな人とその人が好きな人』を助けたいという想いを皆んなが持てば、もっといろいろなことが変わるのではないかと感じ、彼女はそれを歌詞に託したというのです。

 

人と人はやさしさを交換できないものか」という想いを込めて、作った曲らしいです。

 

ライブで一青 窈さんはこのように語っていたそう。

 

自分の好きな人の幸せを願うことは当たり前にできること。
一歩進んで、好きな人の好きな人、ひとつ先の幸せを願ってください。
その気持ちが皆に連鎖して、やさしい世の中になると思います。
まずは私から、あなたとあなたの好きな人が百年続きますように…

 

空を押し上げて 手を伸ばす君 五月のこと 
どうか来てほしい 水際まで来てほしい 
つぼみをあげよう 庭のハナミズキ 
薄紅色の可愛い君のね
果てない夢がちゃんと 終わりますように 
君と好きな人が 百年続きますように 

夏は暑過ぎて 僕から気持ちは重すぎて 
一緒に渡るには きっと船が沈んじゃう 
どうぞゆきなさい お先にゆきなさい
僕の我慢がいつか実を結び
果てない波がちゃんと 止まりますように
君と好きな人が 百年続きますように

ひらり蝶々を追いかけて 白い帆を揚げて
母の日になれば ミズキの葉 贈って下さい
待たなくてもいいよ 知らなくてもいいよ
薄紅色の可愛い君のね 果てない夢がちゃんと 終わりますように
君と好きな人が 百年続きますように

僕の我慢がいつか実を結び
果てない波がちゃんと 止まりますように
君と好きな人が 百年続きますように
君と好きな人が 百年続きますように

日米の友好関係のことかもしれないし、日米に限らず、すべてのことにも当てはまるような気がスル。

 

今でも駐日大使から日本に「ハナミズキ」が贈られています!

 

平和と友好のシンボルとして贈られた「ハナミズキ」!この心を忘れないで!←トランプさん!キョロキョロ

 

今日も1日、平和でありますように!照れ