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ブランディング・ヘアスタイリスト マッキーのブログ

お客様を”ブランド化”するべく、かっこいいヘアスタイルのお手伝いをしています。    

 
(画像はネットからお借りしました)

相対性=相対性(そうたいせい、relativity)とは、他との関係のなかにある(相対)、という性質のこと。


人間が絶対できないことの一つに自分の目で自分を見る、というのがある。

おおかた自分の人間性とか性格というのもは、実は自分の”思い込み” や ”自己判断”が中心なのではなかろうか?(あとは他人の評価や占いなどなど、、、(笑))

要は自分の思い込みと他人の評価には、きっとそれなりの開き(差)があるはずだ!

そうすると、自分での判断も他人の評価もどちらも正しくもあり正しくなく、間違ってはいないけど間違ってる、、、ということになるのかな!?


具体的に言うと都会で働いていて(生活していて)忙しく自分がノロマで判断力が鈍いと思ってるとしよう!もちろん会社や他人の評価も同じだとする!!

だがしかし、同じ人が今度はゆったりした田舎や人口が少なくゆったりとした離島で生活し始めたとする。

そうするときっと今までの思い込みや他人の評価などとは、だいぶ違って来るのではなかろうか?

だから人間は自分を自分で決めつけてしまうのも、他人の評価で自分を判断することも、どちらも正しくはないということだろう!!

人間性なんて相対的(他との関係)で変わっていくんだからさぁ~~!


これぞ「人間性なんて相対性理論」!!(笑)


もし自分の自己評価や仕事や生活に不満や納得がいかなかったら、環境を変えちゃうのがいいかも!


もちろんそれをするには、本人の勇気のある判断力と行動力が必要になるけどね~

最後に大事なことを言います。

当然ながらそれの結果的が”良くなった”としても”悪くなった”としても、それは完全な”自己責任”となります。

何やっても「他力本願」、、、じゃねぇ~~!!(>_<)

 

強〇儚〇者たち


愛する人を守るため
大切なもの築くため
海へ出たのね
嵐の中で戦って
突風の中生きのびて
ここへ来たのね

この港はいい所よ
朝陽がきれいなの
住みつく人もいるのよ
ゆっくり休みなさい
疲れた羽根を癒すの

だけど飛魚のアーチをくぐって
宝島が見えるころ
何も失わずに
同じでいられると思う?

人は弱いものよ
とても弱いものよ

愛する人の未来など
遠い目のまま言わないで
声が聞こえる?
私の部屋へいらっしゃい
甘いお菓子をあげましょう
抱いてあげましょう

固い誓い交わしたのね
そんなの知ってるわ
“あんなに愛し合った”と
何度も確かめ合い
信じて島を出たのね

だけど飛魚のアーチをくぐって
宝島に着いた頃
あなたのお姫様は
誰かと腰を振ってるわ

人は強いものよ
とても強いものよ

そうよ飛魚のアーチをくぐって
宝島がみえるころ
何も失わずに
同じでいられると思う?

きっと飛魚のアーチをくぐって
宝島に着いた頃
あなたのお姫様は
誰かと腰を振ってるわ

人は強いものよ
そして儚い〇〇

 
この秋(10月)からどうやら本格的な花粉症に見舞われています(>_<)

今までハッカ油で対処していたのですが、、、イマイチ

で、ネットで調べたところこのティーツリーオイルが有効らしい!!

使い方はアロマオイルとして、お風呂に一滴、ティッシに一滴垂らしてマスクにIイン、、、などなど!!


早速、今日から試してみるガッテン!!

よくテレビのニュース(あまり見ないけど)でキャスターが交通事故を取り上げて、「~~容疑者を・・・」と事故を起こした運転手を、さーも偉そうに私たち一般市民を名指ししてますよね!!

はっきり言わせていただきます!

テレビ局は「バカ」なのか~~~!?(もちろんバカなんですけど!)


何かの事件ならまだしも交通事故を起こした一般市民を取り上げて、いかにも”事件”であるかのように扱うあの卑劣さ!(ただの交通事故をそんなにも「交通事件」にしたいのか~?)

確かに事件の可能性のものもあるだろうけど、それは希でしょう!


なのにちょっと大きい交通事故を取り上げて、いかにも”事件性”を臭わせるあの伝え方!(そんなに運転手を悪ものにしたいのかぁ~~!?)

当たり前ですが、運転するものは誰でも絶対に事故を起こさない!、、、という保証はない!

運転をするものなら誰でも交通事故を起こす可能性があるわけだ!

ならばあの交通事故の報道は、明日の自分の可能性は誰にでもあるということだね~!


テレビはさぁ、本当はそんな交通事故なんかじゃなくて、世の中のもっと重要な出来事をちゃんと報道しなくてはならないものなのだが・・・。


とにかくテレビばかりを見てると、確実にこっち(自分)が”バカ”になると思いますぜ~~

明日からの3日間、石垣島に行ってまいりま~~す(^O^)

楽しい旅にするよ~~ヽ(*´∀`)ノ

ですから3日間はブログお休みしま~~す

帰ってきたら石垣島の旅の記事、たくさんアップしますよ~~~\(^^@)/
よく「ビジョンを描こう」「夢を描こう」という。

それで個人がビジョンを描くことは簡単なこと!…なのかな?!

ビジョンは「未来像」とか「理想像」という意味。


で、結論から言うとさほど難しい事ではないので簡単だと思う。

だがしかし、まず考えて(知って)欲しいのがお金を中心とした考えでそのビジョン(年収や報酬額)を描くことは後に回したほうがいいと自分は思う。

なぜなら現在の日本社会では格差社会にすでに突入してるから、すでにお金持ちとのハンデ(キャップ)は大きいからね!

まぁ別にお金持ちになりたいが悪いわけではないけど、現実にはとても厳しいというわけだよね。

実際にブルームバーグは2013年5月、最高経営責任者と一般労働者の賃金格差は204倍になったと報道していたから、たとえば、年収500万円の賃金をもらっている労働者の204倍と言えば、10億2000万円になってしまう。

これが現実というやつだ!

そこに(お金持ちに)近づこうとすると並ならぬ努力か運は必要になりそうだよね!?


それなら生き方のビジョンならどうだろう!?仕事のビジョンならどうだろう!?

ならば遊びのビジョンは?

ほら、意外と結構簡単に描けちゃそうだよね~~。


「ビジョンはまず簡単なとこから描こう!」がイイのかな(笑)

そうやって一つひとつ出来ることから、出来そうなことからやっていければきっと大きなビジョンも描けるかもね!


あの野球選手のイチローでさえ3割はヒットで、7割は凡打なのだから、わたくしたちも先ずは3割程度のビジョン達成率でいいかもね~~

そうやって修正(反省)しながら、少しずつ達成率の確立を高めてまいりましょう!

わたくしたちは生きてる間は”人生の現役”ですから、まだまだこれからですよ~~

「人々が苦しむ事柄のほとんどは、その人の心を支配する誤った信念です。苦しみが多いならば、まずあなたの信念が正しいかどうか検討してみる必要があります。」(ジョセフ・マーフィー)

そもそも”信念”て何?って話になっちゃいますね~~(笑)

信念
それが正しいと堅く信じ込んでいる心。

・・・ということは自分の信念を検証したり、疑問に思うこと自体が難しいということになるよね~!!

だって「それが正しいと堅く信じ込んでいる」んだからね!

人は誰でも自分に都合がいいから、この場合は逆に少しくらい緩い信念でいいのかな!?

で話を少し戻して「人々が苦しむ事柄のほとんどは」のほとんどってのも、現在の日本の社会においては「何」なんだろう?

大きく分けるときっと”恋愛””仕事”なのかな!?(大雑把でスミマセン!)


で、「まずあなたの信念が正しいかどうか検討してみる必要があります」とあるけど、ニホンジンの多くは物事を”良い・悪い”か”好き・嫌い”のどちらかで判断する(と思う)!

だから自分がどちらの人間なのかよ~~く知っておくことも必要かも!

”良い・悪い”ならいろいろ勉強して判断して訂正も可能だけど、”好き・嫌い”で判断すると「お前気に入らねえぁ」で理屈も道理もなくなるから自己中心的になるよね!

まぁ、どちらも絶対的ということでもないから、時には都合よく入れ替わったりするのが人間なのかもしれないね!


自分の結論から言うと、普段から自分をよく知る努力、自分の馬鹿さ加減を知っておくことは大事なことですね~~

また、自分の「思い込み」を絶えずチェックして修正する努力もかかせませんね!

では、また後ほど。
よく「自分の回りから自然に人が離れて行くからそれは仕方ないこと」みたいな意見があるが、一歩踏みとどまってよく考える必要もあるのではないか!?

もしかしたら社会の変化に気が付いてなくて、その結果に自分勝手に言い訳をしている可能性はないか!?

言いとか悪いではなくよく考えることが大事なのではないのか!

下↓の記事で子供たちが失ったものは、同時に大人も失ったものでもあるのではないでしょうか!!



~以下↓転載記事~

http://plaza.rakuten.co.jp/moriheikou/diary/201511090000/

「社会の変化とともに子どもたちが失ったもの」
(5)

カテゴリ:カテゴリ未分類
昔、子どもたちがまだ学校というものに通っていなかった時代には、子どもたちは「お手伝い」を通して大人から様々なものを受け継ぎ、「仲間との遊び」を通して、人と人とのかかわり方を学んでいました。

一人前の社会人になるためにはそれだけで十分だったのです。

そして、明治になって「学校」という制度が出来ても、昭和二十年代ぐらいまでは、学校以外の場ではそれに近い状態が続いていました。

でも、昭和三十年代ごろから高度経済成長が始まると、大人たちは、家のお手伝いや仲間との遊びよりも、学校での「お勉強」の方が大切だと考えるようになりました。

そして、それまでよりも子どもたちをお勉強に追い立てるようになりました。

車も増え、それまで子どもたちの遊び場であった路地裏にまで車が入り込み、子どもたちを排除し始めました。

子どもたちの遊び場であった「池や林があり、虫がいっぱいいるような空き地」は整地され家が建ちました。

整地されなくても「危険」ということで柵が立てられ、入れなくなりました。

何百年と子どもたちの遊びを受け入れてくれていた神社なども、子どもを排除するようになってきました。

その代わりに「公園」というものが作られるようになってきましたが、その公園でも子どもらしい遊びは禁止されています。

大人が子どものために作った公園では、大人が用意した遊具で、大人が決めたルールに従って遊ぶことしか許されていないのです。

そのような変化の中で、「遊び場」と「遊ぶ時間」を失った子どもたちは群れを作ることも出来なくなり、必然的に「仲間」を失いました。

そして、社会全体がパーソナル化される中で、子どもたちの遊びもパーソナル化されてきました。

そして、一人でも遊ぶことが出来るようなおもちゃや機械がどんどん開発され、子どもたちをターゲットにして売り出されるようになってきました。

それまでは、大人の経済活動とは無縁だった子どもたちも、しっかりと大人たちの経済活動の中に組み込まれるようになったのです。

いまや、「子ども産業」は非常に大きな産業になっています。

さらに大人と子どもの間の壁もなくなり、子どもも大人も同じ情報に接し、同じ遊びをするようになりました。その結果、「子どもの心とからだの育ちに寄り添うような遊び」は失われてしまいました。

自然の中で、木々や草花や虫たちと対話するような遊びも、ごっこ遊びも、水やドロンコと遊ぶ遊びも、木登りやがけのぼりのような遊びも、大けがをするかもしれないような危険な遊びも消えてしまいました。

そして、安全で、清潔で、楽で、しかも刺激が強い遊びをお金を出して買うようになって来ました。

今の子どもたちにとっての「仲間」とは、同じものを持っている者同士、同じ情報を持っている者同士、一緒に行動する者同士のことであって、お互いに助け合ったり、対話したり、遊びを作ったり、切磋琢磨したり、ケンカしたりし合うような関係の「仲間」ではありません。

悩みを相談することも出来ません。

非常に形式的なんです。

じゃあ、社会の変化とともに子どもたちが失ったものを補うような形で「学校のあり方」が変わってきたのかというと、学校は相変わらず知識を覚えさせるだけの場のままです。

それだけでなく、お母さん達に協力させて、家庭の中まで学校化しようとしています。

その結果、子どもたちは「居場所」や、「仲間」や、「生きる喜び」や、「自分の心とからだを成長させる場」や、「親子の信頼関係」や、「家族の笑顔」を失ってしまいました。

今、多くのお母さんたちの心配事は子どもの成績のことばかりです。

私はここに書いたような変化をつぶさに見ながら成長してきました。

~転載終了~