
#129 「辞めたい」は逃げじゃない。
河原説子さんの居場所探しの人生物語①
こんにちは!
「辞めたい」は逃げじゃない。
河原説子さんの居場所探しの人生物語①を配信しました。
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1.柿の木に登り、川に飛び込む。
東京生まれの"お転婆"な原点
東京生まれと聞くと、
ビルに囲まれた都会っ子を想像する人が多いかもしれない。
けれど、今回お話をうかがった河原説子さんの原点は、
驚くほど自然のなかにあった。
「東京って言っても
西のはずれの山の方に近くて、
家の庭に柿の木があったんです」
子どもの頃から柿の木によじ登り、
歩いて15分ほどの川では、
崖から男の子たちに混じって飛び込みをしていたという。
絵に描いたような、活発でお転婆な女の子。
「東京でも全然違うんですね」と思わず声が出るほど、
山と川に囲まれた環境で、
説子さんはのびのびと育っていった。
2.得意だったはずの「数学」で味わった、
初めての劣等感
小学校、中学校とずっと地元で過ごした説子さんは、
進学先に理数系で名高い学校を選ぶ。
中学時代まで
数学が得意で、
「自分は絶対に理系だ」と
信じて疑わなかったからだ。
しかし、そこで待っていたのは、
これまで感じたことのない劣等感だった。
「高専は、私以上に理系の得意な人たちがたくさんいて、
実験も夜の8時まで終わらないくらいやるんです。
皆さんの実験に対する熱意に対して、
自分って全然熱意ないなって、
ちょっと劣等感を感じた高校時代でした」
得意だと思っていたものが、
環境を変えると
「得意ではないかもしれない」に変わる。
多くの人が一度は経験するこの感覚を、
説子さんは高校時代にすでに味わっていた。
それでも彼女は逃げることなく、
その場所で卒業まで走り切っている。
「その時に、あんまり自分は理系と思ってたけど、
そうじゃないんだなって気づいた」
この気づきが、
後の彼女の"右脳的な強み"への
自覚につながっていく。
3.大学進学ではなく、就職という選択
理系の劣等感を抱えたまま、
説子さんの前には大学進学という選択肢もあった。
しかし彼女が選んだのは、
就職という道だった。
「実験嫌いだし、
理数系得意じゃないし、
このままここを突き詰めてもなって思ったので、
就職してしまったんです」
入社したのは、コニカミノルタ。
配属先は、皮肉にも「研究開発」だった。
理系への劣等感を抱えながらも、
キャリアのスタートは
やはり理系の現場から始まる。
4.大きな会社に入ったのに、
3年目で「辞めます」と言った
研究開発で
働き始めて気づいたのは、
「好きじゃないかも」
「自分の良さが発揮できないかも」という、
じわじわとした違和感でした。
決定打になったのは、
周りにいた同僚たちの姿です。
東大出身のドクターや
マスターが当たり前のようにいる環境で、
彼らは実験のことを
"雑談"として話していました。
「昨日お風呂でこんなこと思いついたんだよね、
今日試してみたいんだ」——
そんな会話が日常的に飛び交う中、
説子さんは
「仕事が終わってラッキー」としか思えない
自分に気づいてしまったといいます。
「もう絶対に無理だと思って」
好きで夢中になれる人たちの中にいると、
自分の"普通"がはっきり見えてしまう。
そんな経験、多くの人に覚えがあるのではないでしょうか。
3年目、説子さんは上司に「辞めます」と伝えます。
5.「辞めなくていいから、
まず異動してみなよ」
ここで説子さんの人生を大きく動かしたのが、
上司の一言でした。
「辞めなくていい。
せっかく、こんな大きな会社に入っているんだから、
転職したと思って
異動してみたら?」
そして配属されたのが、
営業本部のマーケティング部。
研究開発とは180度違う世界でした。
結果は——「なんか自分に合うって思った」。
そこから、仕事が楽しくなっていったそうです。
自分に向いていない場所で無理を続けるのではなく、
"合う場所"に移ってみる。
ただそれだけで、
同じ人がまったく違う輝き方をすることがある。
説子さんのキャリアは、
その好例だと思います。
6.「頼っていい」を体現していた家族と上司
実はこの異動、
説子さん一人の力で
実現したわけではありませんでした。
会社を辞めるつもりで相談した上司は、
彼女を引き止めるのではなく、
人事に直接掛け合い、
「チャレンジ・ジョブ」という
始まったばかりの社内公募制度の一期生として
彼女を送り出してくれたのです。
辞めたい、逃げたい、という気持ちを、
頭ごなしに否定せず、
けれど別の道を一緒に探してくれる人がいた。
説子さんの転機には、
いつも"味方"の存在がありました。
7.迷っている人へ、
「きっと力になってくれる人がいますよ」
もし今、自分の専門や積み上げてきたキャリアと、
「本当はしっくりきていない」という気持ちの間で
揺れている人がいたら——
説子さんはこう伝えたいと言います。
「あなたの力が発揮できる、
楽しい場所は絶対にあります。
腐らずに、
その場所を探してください。
周りには、
そこに行くための
助けをしてくれる人が必ずいますよ」
専門を変えることは、
それまでの
努力を無駄にすることではありません。
説子さんにとっての
「研究開発からマーケティングへ」の異動のように、
環境を変えた先で、
これまで培ってきた視点や粘り強さが、
思わぬ形で活きてくることもあります。
その後、説子さんは
マーケティングだけでなく
広報・宣伝の仕事にも携わるようになります。
コニカとミノルタの経営統合という大きな変化の中で、
さらに新しいことを学んでいくことになります。
まさに「向いていない」と気づくことは、
失敗ではなく気づき。
そして、辞める前に
「異動する」「相談する」という選択肢があることを、
説子さんの経験は教えてくれます。
あなたの周りにも、
きっと力になってくれる人がいるはずです。
8.「もう一度、辞めようと思った」——
順調に見えたキャリアの踊り場
前回、研究開発からマーケティングへと異動し、
「自分に合う場所」を見つけた説子さん。
マーケティング部門で
10年ほど活躍していた説子さん。
しかしフィルムカメラ事業の業績が悪化し、
縮小に伴って
別部署へ異動することになります。
会社が人員整理をせざるを得ない中、
あえてポストを作って異動先を用意してくれた——
本来なら感謝すべき出来事です。
けれど、当時の説子さんは正直にこう感じたそうです。
「つまらないな、と思ってしまって」
そこで彼女が取った行動が、
国家資格の勉強でした。
当時できたばかりだった
理学療法士・作業療法士という
リハビリ専門職の資格に興味を持ち、
「これからは何か専門性がないと」と一念発起。
夜間の専門学校に通いながら、
実に3年間学び続けます。
9.3年間通った専門学校を、
実習の直前でやめた理由
順調に単位を重ね、
実習まで進んだところで、
説子さんはふと我に返ります。
「これが本当にやりたかったことなのかな」
ちょうどそのタイミングで、
かつてマーケティング時代の先輩が
広報部門のリーダーになっており、
「誰かいないか」と
声をかけてくれました。
もともと会社を辞めるつもりだったこともあり、
説子さんは「1年だけ」という条件付きで
広報部門への誘いを受けます。
ところが働き始めてみると、
驚くほど自分に合っていた。
結局、専門学校は残り1年を残してやめ、
広報の道に進むことを決断します。
働きながら学費を払い続けてきた学校を、
あと1年というところで手放す。
この決断について、
ご主人は当時何も言わなかったそうです。
後になって
「あのとき、「なんでその道?違うんじゃない」という想いもあった」と
本音を明かされたといいます。
それでも口に出さず、
見守ってくれていた——
そこにも、説子さんを支え続けた
"信頼してくれる人"の存在がありました。
10. 正月休み明け、
いきなり「経営統合」の発表
広報部門に異動したのは2003年1月1日付。
ところが、その数日後の1月5日、
コニカとミノルタの経営統合が発表されます。
異動したばかりで右も左もわからない中、
いきなり大ニュースのただ中に放り込まれたのです。
社内が騒然とする中、
「社員の気持ちにどう向き合うか」
「社内広報が重要だ」という空気になっていき、
説子さんは慌ただしく
その渦中で動き始めます。
当時、大企業同士の経営統合はまだ珍しく、
しかも過去の事例の多くが
うまくいっていないと言われていた時代。
正解のないテーマに、
手探りで向き合う毎日でした。
けれど、説子さんはこの状況を
「めちゃくちゃ楽しかった」と振り返ります。
11. ネガティブな空気を、
"もったいない"に変えたい
なぜ、混乱の渦中を「楽しい」と感じられたのか。
その理由に、説子さんらしさが表れています。
社内広報という立場上、
説子さんは経営陣に
直接話を聞く機会がありました。
だからこそ、
なぜその決断がなされたのか、
背景や意図を理解することができた。
一方で、現場の社員たちは納得できず、
「なぜそんな決断をしたんだ」
「これから大変だ」と
不満をぶつけ合っている。
その様子を見て、
説子さんはこう感じたそうです。
「すごい人たちがたくさんいるのに、
その方々がネガティブな思いをしてしまっているのが、
もったいない」
優秀な人たちのエネルギーが、
ネガティブな方向に消費されてしまっている。
それを何とかポジティブな方向に向けたい——
この思いこそが、
説子さんの「面白さ」の原点だったのです。
アンケートなどで
すぐに反応が見える社内広報の仕事は、
その手応えを実感しやすい仕事でもありました。
12. そして、2度目の大きな衝撃——
主力事業からの撤退
統合から数年、
社内コミュニケーションの成果を感じ始めていた2006年、
今度はさらに大きな発表がありました。
会社の創業事業である
フィルム・カメラ事業からの撤退です。
関わる社員は約3,000人、
売上高2,000億円規模という、
まさに看板ともいえる事業でした。
当然、社内は統合発表のとき以上に
大きく揺れます。
当時はまだ紙の社内広報誌の時代。
印刷から配布まで1ヶ月ほどかかる中、
発表のタイミングと重なってしまい、
説子さん自身がその内容を知らないまま制作した冊子を、
社員が受け取った瞬間に
ビリビリと破ってゴミ箱に捨てる——
そんな光景を目の当たりにすることになります。
上司のもとには、
部門長クラスの社員が
抗議に乗り込んでくることもあったといいます。
優秀で、会社を思っているからこそ
怒りをぶつけてしまう人たち。
その状況をどうにかできないか——
説子さんの葛藤は、
ここからさらに深まっていきます。
続きは次回
この修羅場のような状況に、
説子さんはどう向き合っていったのか?
次回、その具体的なエピソードをお届けします。
人生から学ぶ
順風満帆に見えるキャリアの中にも、
「なんとなくつまらない」と感じる
踊り場があります。
説子さんはその都度、
逃げるのではなく、
次の一歩を探し続けました。
そして見つけたのは、
「人のネガティブな感情を、
もったいないと感じてしまう」という、
自分だけの原動力でした。
あなたを突き動かす
"もったいない"は何ですか?
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河原説子さんプロフィール
株式会社コーチャル 代表取締役。
コーチングと、
自身の組織変革の経験を活かした
「変革の実行力を上げる」コンサルティングを行う。
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著書に『コーチングスキルで伸ばすリーダー力』(ぱる出版)
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