「女の理想型」として何度も紹介してきたマリリン・モンローですが、実際のところ彼女の人生はどうだったのでしょうか。

詳しく見ていきたいと思います。

1.1 誕生から成功まで
1.2 成功の代償
1.3 恋愛と結婚
1.4 精神の悪化と死
1.5 幸せではなかった

 

1.1 誕生から成功まで

モンローは、1926年6月1日、アメリカのロサンゼルスで生まれます。

母親が精神病を患っていたため孤児院などで育てられており、この頃のモンローは性的虐待やネグレクトなどを受け大事にされなかったといいます。

〇サクセスストーリー

不幸な幼少期とは対照的に、モンローは大きな成功を収めます。

・駆け出し

1945年、19歳のモンローは工場で働きます。

この時に、たまたまモデルとして撮られた写真が雑誌に掲載されたのをきっかけに、ハリウッドへの道を歩むことになります。

1946年、20歳になったモンローはフォックスと契約を交わします。この時の週給は75ドルで(当時の最低賃金)、無名の男優や女優と同じランクでした。また、この頃に50ドルの金が欲しくてヌードモデルになったこともあります。

 

・成功願望

やがてモンローはスターになることを強く願うようになります。ニューヨーク・ポストの記者でハリウッドに大きな影響力があったシドニー・スコルスキーは、モンローが駆け出しの頃から死ぬまで信頼できる友人として交流があったといわれる人ですが、彼はこう言います。

「マリリンが必死になって自分を売り込もうとしているのがよくわかった。女優、それも映画スターになりたかったんだ。何をもってしても、このマリリンを抑えることはできないだろうと思ったね。気迫、決意、欲求、あれはもう抑えようがないほどのものだった」

 

・セックスシンボル

地下鉄の通風口の上に立ちスカートが風にあおられてめくれるシーンや、ぴったりと体についた黒のスカートと真っ赤な上着を着て腰を左右に振りながら歩く「モンローウォーク」など、性的な魅力を売りにして人気を博します。「夜は何を着て寝るのか」と聞かれ、「シャネルの5番よ」と答えた話は有名です。

やがて、「アメリカで一番美しい人」「有史以来、最も男にもてた女」「20世紀を代表する愛の女神」などと称され、セックスシンボルとしての地位を確立していきます。

 

・演技力

マリリン・モンローと聞くと、性を売り物にして男性から人気を得ただけの人といったイメージを持つ人も多く、当時のマスコミからも「演技力もないくせに大女優になろうなどという身の程知らずのばかげた野望」などと叩かれていました。

しかし、モンローは努力して女優としての実力も兼ね備えていきます。著名な俳優や劇作家などを多数輩出している「アクターズ・スタジオ」の創始者であるリー・ストラスバーグから、直接指導を受けに行ったこともあります。リーは次のように、「20世紀最高の俳優」と評されるマーロン・ブランドの次に抜きん出た実力だったとモンローを評価しています。

「私は、何百人もの俳優、女優を育ててきたが、他に抜きん出ていたのは、わずか2人だけだった。第一にマーロン・ブランド、次にマリリンモンロー・・・」

また、実存主義の哲学者、ジャン・ポール・サルトルはモンローを「現存する最高の女優」と評しています。

他にも、モンローを実力のある女優として高く評価する声は多くあがります。

「マリリンはついに女優になった。彼女にとってうれしいことに、また成功へのたゆみない努力で、この映画のマリリンは純粋に演技派の女優であって、おつむの弱い女性、セックス・シンボルなどではないことを見せている」(ニューヨークタイムズの映画評論家)

 

「彼女に、あれほど光彩陸離たる才能があるとは思ってもいなかった。実に見事な演技を見せた。顔や肌、髪、身体から、えもいわぬ輝きがあふれてくる。演技するだけで、私をゾクゾクさせ、ぎゅっとつかんでくる。その背後にあるものは、いうまでもなく圧倒的な色気だよ。見ているだけで、絢爛たるものだった。身近に寄っても、匂いをかいでも、手でふれても、ひたすらゴージャスなんだ。それこそ、あの子の才能だった。私は彼女に夢中になった。今でも夢中だよ」(映画監督のジョシュア・ローガン)

 

「マリリンは喜劇女優としては、まぎれもなく天才だ。マリリンには人を惹きつけずにおかない妖しい魅力があって、これはほかの映画女優の誰にもない。私には、女優をしている伯母さんがいる。撮影にはいつも時間ぴったりにやってくる。セリフは完璧に入っている。仕事で迷惑をかけたことは一度もない。けれど、映画館の切符売り場で、彼女は14セントの値打ちしかない。私のいう意味がわかるだろ?」(映画監督のビリーワイルダー)

映画監督のローガンは、モンローが心身共に健康であれば、史上最高のスターになるだろうとまで言っていました。

「彼女はかつてないほどの大スターになるだろう。ただし、自分の感情と健康をコントロールできれば、の話だが」

 

1.2 成功の代償

成功の代償は大きなものでした。

〇過労

当時のモンローはフォックスに都合がいいように使われていました。その頃の様子を知る人はこう言います。

「彼らの姿勢は、まるで撮影さえ終わればマリリンがどうなろうが構わないとでもいうような感じでした」

「彼らはあの映画を撮り終えること、それも早く取り終えることにしか興味がなかったのです」

フォックスは、モンローが、呼吸器系の病気の中でも、極めて危険な慢性副鼻腔炎になった時でさえ、まともに取り合おうとしませんでした。当然モンローは、フォックスのやり方に不満を持つようになります。

「あの人たちにも、高熱と副鼻腔感染症を押してコメディを演じなければならない立場になってみてもらいたいものだわ」

当時のスタジオドクターの未亡人は言います。

「夫はあの人たちに信じてもらえなく、がっくりしておりました。いまにして思えば、夫のいうことを信じなかったのが、あの不幸な結果を招いたのではないでしょうか」

このような働かせ方はモンローに限らず、当時のハリウッドでは常識でした。モンローを診察していた医師はこう言います。

「当時、ここでは精神分析と人工中絶が同じネオンサインを出している診療所で受けられたくらいでね。なにしろインチキな時代だった。いかがわしい医者がやたらに流れ込んで、口先ひとつで自分を売り込んでは成功したものだった。市場は繁盛していたよ。なにしろ神経がまいっている俳優や女優がごろごろいたからね」

主治医は「ウイルス感染、仕事からくる過労、衰弱、ひどい気管支炎」と診断し、当時の新聞には「マリリン 入院!」という見出しが何度か出されています。

 

〇精神の不安定

モンローの精神状態は常に不安定でした。

・遅刻

モンローは異常なほど遅刻することが習慣化していました。あまりに遅刻が酷いので、キューカー監督はあるプロデューサーに皮肉をこめてこう忠告します。

「君はマリリンを、時間通りにセットに来させることができると思っているのか?君に良いことを教えてあげよう。たとえ君が照明のライトが溢れているスタジオ内でマリリンと同棲したとしても、彼女は第一日目の撮影から時間通りにやって来ないだろう!」

モンローが小さい頃から憧れていたという俳優クラーク・ゲーブルと共演した時でさえ同じ調子でした。

「彼女がどんな問題を抱えているか、そんなこと知るものか。そんなことより、おれはあの子が好きだよ。しかし、まるっきりプロ根性に欠けている。撮影ではいつも待ちぼうけを食わされて、おれももう少しで頭にくるところだった」

酷い遅刻癖があったモンローですが、モンロー自身は遅刻することに反省するどころか、喜びさえ感じていました。ある時、モンローはこう言っています。

「外出するため着替えるとき、私はできるだけのろのろとするの。自分が遅刻しているとつぶやくことで、私はハッピーな気持ちになるの。人は私を待っている、人は私を求めている」

 

・扱いずらい

ローガンはモンローにさんざん手こずった経験から、こう忠告していました。

「ああしろこうしろと言ってはいけない。注文をつけたら最後、おどおどするばかりで、彼女から演技を引き出すことはできない」

同じく映画監督のビリーワイルダーもこう言います。

「マリリンは、することなすことまるで予測がつかないから、もうお手上げだった。その日、どんなことになるのか、まるっきり見当がつかない。私はしょっちゅう気をもんでいた。今日のマリリンはどういう性格でやってくるのか。協力してくれるのか、それとも何もかも滅茶苦茶にするのか。あの子が怒ったりしたら最後、一ショットも撮れない」

映画で共演することになったイギリスの名優、ローレンス・オリヴィエは最初、マリリンの演技を見た時は、「あざやかな喜劇女優であり、さらには最高にすばらしい女優」と称賛していました。しかし、何度も遅刻したり、上手く演技できなったりといったことが重なると、終には怒りが爆発します。

「芸能界の偉大なるゲイノー人、なんの訓練も受けていないし、訓練したところでどうしようもない、本能だけで演じている女優さん」

 

・劣等感

高い人気がありながら、モンロー自身は常に劣等感を抱いていました。

「どうして私はこんなに苦痛を感じるの?それから、どうして私は他の人たちよりもつまらない人間だと感じるの?いつだってそう感じてきた、人間未満のように」

 

〇恐怖

モンローは、様々な恐怖に苦しめられていました。

・演技恐怖

女優として認められれば認められるほど、モンローは演技をするのが恐くなっていきました。

映画監督のジョージ・キューカーは言います。

「彼女はすっかり神経をやられてしまって、ひとつのシーンをやりとおすことすらできない状態だ」

「俳優たちは誰もが激しい不安、不幸、恋の悩みなどを経験する。しかし、マリリンにあっては、他のものだった。極度の恐怖だ」

衣装担当アシスタントもこう言います。

「マリリンはカメラの前に立っていると心が乱れてしまうのです。自分が変に見えはしないか、ちゃんと演技ができるだろうかと酷く恐れて、トレーラーから一歩も出られなくなるのです。極端な舞台恐怖症でした。すばらしい才能があったのに、どうしても自分に自信がなかった。ついに自分を信じることができなかったのです」

こういった恐怖感を克服しようとしますが、モンローにはどうにもできませんでした。

撮影中にモンローは、自分の頭に浮かんだことや演技ノートを手帳にメモすることがありましたが、スタッフの一人が好奇心からそれを見た時にこう書いてあったといいます。

「私は何を怖れているのかしら?私は演技できることがわかっている。でもこわい。私はこわいのよ、怖れることはないわ、怖れてはいけない。私は怯えてはならないことを知っている。しかし、怯えは、まったくなくならない。ああ、どうしたらいいの!」

ピーター・ハリー・ブラウンは、自身の著書「マリリンモンロー 最後の17週」の中でこう言います。

「全時代を通じて世界に並ぶ者のない、最高にフォトジェニックな女性が、自分の姿を世に送り出してくれる装置(撮影カメラ)が死ぬほど怖いというのは、なんとも皮肉な話だった」

 

・夜の恐怖

モンローは、幼少期の体験から夜がトラウマになっていました。

「安らかな気分になれなかったの。夜になると、いろんなひとが出たり入ったりしていたの。そして日が昇ると、子供たちの何人かがもうそこにいなくなっている。そんなことがあって以来、暗闇のなかではどうしても安心できなくなったの。いまでも、さらわれていってしまうんじゃないかって」

「なぜ夜が明けるまでの時間について、人は『短い時間』などと言うのか、私には最も長い時間なのに?」

「私にとって夜は、恐ろしい、果てしなく続く昼間でしかないのです」

「昨夜はまた一晩中起きていました。ときどき夜の時間が何のためにあるのか、わからなくなります。ほとんど私には、夜なんてものはないように思える。長い、ただ長い、恐ろしい一日でしかないかのように」

 

・狂う恐怖

モンローの母グラディスは精神病を患っていたため、モンローは自分にも遺伝して精神病となり狂ってしまうのではないか、という恐怖に駆られていました。

ある時、モンローは衣装デザイナーにこう言っています。

「毎日少しずつ頭がおかしくなっていくの。脳みそがなくなってくみたい。気が狂うんじゃないかしら。そんなとこ人に見られるのはいや。もし、あたしがほんとうに気が変になったら、どっかへ連れてってかくまってね」

周りの人もそれを聞いていました。

「彼女は狂っていたわけではないが、自分は狂ってしまうのではないかという、激しい恐怖心をいだいていた。精神病のことを死ぬほど恐れていたのだ」

「だんだん気が狂ってくるという考えにとり憑かれてるみたいでした」

 

・老いる恐怖

モンローは、老いて美しさがなくなっていくことへの恐怖を感じていました。ある人はこう言います。

「彼女はとても怯えていた人。自分が年老いて醜くなって、だんだん下り坂になったら、本当の親友にも見捨てられてしまうと思い込んでいた人」

写真を撮る予定だったある時のことです。

「彼女は、3時間遅れて部屋にやってきました。あとでわかったのですが、自分の部屋を出る前に、3回もヘアーのシャンプーとセットをやり直したんですって。自分に最高の美しさがなくなってきている、世間の人は自分の美しさが色褪せてきていると噂するのではないか、そんなことがいつも彼女の悩みだったんですね」

アシスタントの1人もこう言います。

「インタビューや公衆の前に姿を見せるときには、ひたすら座りっきりで、ただもう化粧を直したり、髪の手入れをしたりするんです。時には、窓の外をじっと何時間も見ているっきりで、髪の毛をぐしゃぐしゃ引っ張ったりして、あんまり心配しすぎて、最後には吐きそうになったこともありますよ」

 

・無数の恐怖

その他にも、モンローは生涯を通じて無数の恐怖に苦しみました。

「私は一生こわくて仕方がないんです。今でも。いろいろなことがこわくて、たとえば電話をかけようとして受話器を手に取るのさえ」

モンローの婦人科医もこう言います。

「彼女は、人生の現実におびえ、不安に駆られていました。精神的にひどく苦しんでいた女性でした」

また、別の担当ドクターも「絶えずノイローゼに怯えている」「極度に神経質で怯えきって、混乱している」と指摘します。

 

〇スターの苦しみ

スターになることを強く願っていたモンローですが、今度はそのスターの生活が苦しくなっていきました。

「こんなことできない。もうがまんできないわ。つくづくいやになったの。なぜこんな生活をしなければならないの?誰かわたしを連れ出して。わたしは普通の生活をしたいの」

「ひとりでいたいのに、いつも誰かが、それもたくさんの人が、そこにいるのよ。まるで見世物だわ」

「恐ろしいのは、周囲を何十人ものスタッフに囲まれて身動きできないでいる日々、何度も何度も次の言葉で引き留められる日々。『スタート』『カット』『本番』『本番13回目』『本番25回目』」

「私のことを、『マリリンは落ち目の女優だ』もう終わったのだと言う人がいるわ。実のところ、もう終わったのだったら、ほっと安堵するわ。というのも、100メートルのランナーがテープを切って、大きな吐息をついてこうつぶやいているような気分だからなの。

『これでよし、もう終わった』

ところが、実際は何も終わっていなくて、相変わらず再びはじめなければならないの、相変わらず。テープを切ったのに!別の作品を撮るのよ!監督なんかとっとと消え去ればいい!」

・イメージに苦しむ

モンローは、大衆が作り上げたイメージに苦しんでいました。

「わたしの体は、男のひとに火を点けるの。スイッチひとつで電灯がつくみたいにね。でもそこには、人間的なものなんてないわ。みんながわたしにあまりにも期待をかけるものだから、わたしはときどき、いやでいやでしかたがなくなるの」

「私は女として失敗者よ。男の人たちは、セックスシンボルとしての私ばかり求めたわ。向こうが作り上げたイメージだったし、私が自分で作り出したイメージだった。男たちはそういう私ばかり求めていたけれど、私はそれについていけなかったのよ。私の体だって普通の女と同じなのよ。とてもついていけないわ」

「人々は、まるで私が人間ではなく、鏡であるかのように眺める癖があった。彼らは私を見ないで、私の中の猥褻なところしか見ようとしない。それから彼らは仮面をつけ、私を猥褻な女扱いする」

「わたしは自分を道化に見せて、そのたびに、自分の夢を一片ずつ削りとっていくのよ」

モンローの夫アーサー・ミラーも、「(モンローは)劣等感にさいなまれていて、ほんとうの友達ができないこと、世間の人は魅力的な肉体に眼をつけるだけで、あとは何も見ていない」と言っていたといいます。

そして、「わたし自身って?わたし自身って何なの?だれ?」とモンローは自分を見失っていきます。

 

・グリーンソンの分析

モンローは、1959年からラルフ・グリーンソンという精神分析医のカウンセリングを受けています。グリーンソンはカリフォルニアきっての精神分析医として高名で、国際的にも名声がありました。グリーンソンによる、モンローの分析はこういったものでした。

「自分が比類ない美女、おそらく世界一の美女と思って、おのれの容姿に誇りと喜びをおぼえていた。家で誰も見ていないときには、まるっきり自分を見失ってしまうのに、公衆の前では圧倒的な魅力にあふれた女性として、一般大衆の夢にならなければならないことに、いつもひどい苦痛をおぼえた」

 

〇薬物

恐怖や過労といった様々な苦しみを解決するために、モンローが頼ったのが薬でした。

・薬物は常識だった

1日18時間働けるよう、ハリウッドでは人気スターやスタッフに覚醒剤を中心とした薬物注射を打つ習慣があり、モンローも打たれていました。当時のスタジオドクターはこう言います。

「当時は日常茶飯に行われていた、当たり前のことだったという点に留意して頂きたいと思います。何十年も、正当な処置としてきたことだったんです。あの当時、薬物はスター俳優たちに仕事を続けさせるための、道具のひとつにすぎませんでした。われわれ医師は、板ばさみの状態でした。ある医者が処方しなくても、別の医者が処方したでしょう。50年代に私がマリリンを診るようになった頃には、誰もが薬物を使用していたのです」

 

・薬が効かなくなる

18歳から薬物をやっていたモンローは、徐々に薬が効かなくなっていきます。強い睡眠薬を10年以上もほとんど切れ目なく服用し、一刻も早く効果が出るようにカプセルをピンで突っついて穴を開けたりしていました。当時のモンローをよく知る人はこう言います。

「マリリンは睡眠薬をいっぺんに5錠も飲んだ。5錠も飲まないと効かなかったんだ。7錠で致死量に達するんだから、彼女は何年間も、あと2錠で死ぬという分量を飲みつづけていたわけさ。ときには致死量ぎりぎりまで飲むこともあった」

 

・過剰摂取

薬の量を把握していたと自負するモンローですが、それでも過剰摂取で意識を失っては息を吹き返すということを何度も繰り返します。

 

・中身はボロボロ

胆嚢炎で病院に運ばれた時、担当ドクターは「外見は絢爛たる美女が内部は病気の塊と知って驚愕した」と言いました。

 

1.3 恋愛と結婚

なにせモンローは「世界一モテる女」といわれるような人で、自身も男好きであったため、男はとっかえひっかえのような生活を送っていました。たとえば、モンローとデートしたある男性がこういうエピソードを語っています。

「7時半の約束で迎えにいったことがあった。ホテルの部屋をノックすると、『ちょっと待って』という声がした。そこへハンサムな若い俳優が僕と同じように花束を抱えてやってきた。お互いに顔見知りでね。まあ2人並んで待っていたわけだ。そいつはマリリンとデートの約束があるというから、こっちも同じだと答えた」

〇結婚

モンローは生涯に3度の結婚と離婚を経験しています。

・1回目

1942年、16歳の時に母の友人の勧めで、航空機の整備工をしていたジム・ドガティーと結婚します。しかし、4年後の1946年、モンローが女優の道を歩むことにジムが理解を示さず離婚します。この時の結婚生活について、モンローは後にこう振り返っています。

「動物園に入れられたみたいだったわ。実際、あたしたちの結婚はセックスつきの友情みたいなものだったの。あとになってから、結婚なんてだいたいそういうものだってわかったけど」

 

・2回目

1954年、28歳の時、すでにトップスターとなっていたモンローは、日本でも高い知名度を誇るメジャーリーガー、ジョー・ディマジオと結婚します。ディマジオとの結婚生活はわずか9か月だけで破綻してしまいますが、後述するように、ディマジオは、離婚後もモンローをサポートし続けます。ディマジオは、モンローが死んだ後も、週3回墓にバラを贈ることを20年間続けるなど、最もモンローを愛した男といってもいいような存在となってます。

 

・3回目

1956年、30歳の時、劇作家のアーサー・ミラーと結婚しますが、性格の不一致などを理由に1961年に離婚します。

 

〇子供

モンローは、「完全な人間」になることへの願望を持っていました。

「私の言いようもない嫉妬心は、普通のティーンエイジャーが持っているものではなくて、自分自身に対して、完全な人間でありたいと願う気持ちから起きてくるのだ」

それが、子供を産むことで叶うと思っていたため、モンローは、子供を強く欲しがっていました。

「あたしは完全な女になりたい、子供を産みたいのよ」

しかし、モンローは妊娠と中絶を何度も繰り返すことになり、29歳にして13回の中絶手術を受けます。結局、その願いは一生叶うことはありませんでした。

 

〇大統領との恋愛

1959年頃に、モンローは当時のアメリカ大統領、ジョン・ケネディと知り合い夢中になります。

「あのころのマリリンは、大統領が手招きすればたちまち応じるといった感じでした」

「彼女はそれこそ大変な興奮ぶりでした。世界中でこれほど重要な人はいないって言って。そのケネディと付き合っていると言ってましたね。何しろ、ウキウキしちゃって、小娘みたいにはしゃいでいました」

・大統領の乱交

モンローは、ケネディ大統領だけでなく、ケネディ大統領の弟であり司法長官でもあったロバート・ケネディとも関係を持つようになります。ジョンもロバートも結婚していたため、モンローとは不倫関係でした。

ケネディ兄弟は、その地位を利用して派手な性生活を送っていたような人たちで、2人にとってモンローは欲望を満たすためだけの存在でした。つまりセフレ系の浮気です。

「ジョンもロバートもまるでハレンチだったのよ。まるで高校生みたいに、女の子と手当たり次第ってところだったわ」

「ジョン・ケネディにとってセックスなんてコーヒーのお代わりか、デザートぐらいのものだったわ」

「ホワイトハウス史上に並ぶもののない、セックスと、誰かれ構わず人を集めるパーティと、アルコールとドラッグへの耽溺という、いささかあさましいパレードを繰り広げている」

「ジョンは、マリリンモンローとセックスをすることに関心があったのではなく、当時最高のスター女優とセックスをしたかったのだということを、彼女は理解していませんでした。彼にとって彼女は、ひとつのシンボルにすぎませんでした。決してそれ以上のものではなかったのです」

 

・ロバートへの恋

モンローは、やがてジョンよりロバートに真剣に恋をするようになります。

「ロバート・ケネディは、まさに格好いい男を演じていたね。浮ついたところなど微塵も見せず、ニコリともしない。マリリンはもう首ったけだった。知的で天才肌の男に夢中なのかもしれません。あのタイプに弱いからねえ。自分をもて遊ぶことはないと思ってたんだね。そんな目に会うのはもうまっぴらだったでしょうから」

 

・秘密を漏らす

ある時、ロバートとモンローが会っているところを駐車場係員に目撃されたことがあります。この時は、護衛のシークレットサービスが「目も耳も口もついているだろうが、見ざる、聞かざる、言わざる、だぞ」と言って口封じしました。こういった情事はケネディ兄弟にとってトップシークレットでした。

このような厳戒態勢の中、ケネディ大統領の45歳の誕生日に、この日のために特注したドレスを着て「ハッピーバースデートゥーユー」を歌うなど、親密は関係がしばらく続きます。そして、ケネディ兄弟との仲が深まるにつれ、モンローは2人との関係を周囲に話すようになります。

 

・捨てられる

すると、ケネディ兄弟はモンローを警戒し始め遠ざけるようになります。モンローが、ケネディ家のイメージを著しく損なう危険性のある人物とされたのです。

「彼女が自分のホワイトハウスとのつながりや、そこで耳にした秘密をぺらぺら口にしはじめたとき、ケネディ家はどういう措置が必要か悟りました」

「彼らはクリーンなイメージを大事にしたかった。いろんな女性と関係をもってはいましたが、ひとつでも表沙汰にするわけにはいかなかったのです」

そして、モンローがプライベート回線で連絡しようしてもまったくつながらなくなります。突然捨てられたと思ったモンローはショックを受け激怒し、「あの最低男」などと罵ります。

「彼女は怒り、傷つきました。激怒したと言っていいでしょう。一夜にして、あっさり捨てられてしまったんですからね。やがて彼女は、利用するだけされたのだ、と思い始めました」

「電話連絡を断たれたとき、彼女は気も狂わんばかりに取り乱していました。それほどショックだったんです」

「大統領がプライベート回線を不通にしたときの打ちひしがれようは、大変なものでした」

 

・盗聴

これまでのモンローとケネディ兄弟との密会の多くは、ケネディ兄弟に敵対する犯罪組織などに盗聴されていました。たとえば、ケネディ大統領との性交の経過を盗聴していた、ある私立探偵はこう言います。

「別荘からおよそ500ヤード離れた場所で、強い電波をキャッチしたのでそのまま受信態勢に入ったんだ・・・・。しばらくしてその声が誰かわかって仰天したなあ。男の声ははっきりしたボストンなまりで、すぐに大統領とわかった。で、女の声がなんとマリリンモンローだったんだ・・・・。二人はしばらく話をしていたが、やがて服を脱ぐ音がして、ベッドに入って性交を始めたよ・・・・」

 

1.4 精神の悪化と死

精神はますます悪化していきます。

〇自殺願望

モンローは常に自殺願望を持っていました。それがわかるエピソードがいくつかあります。

・1955年

アクターズスタジオ時代に、モンローと一緒に学んでいたディロス・スミス・ジュニアは言います。

「彼女はいつも僕に『自殺しましょうよ』と言って誘った。教室でも僕のノートによくそう書いたものだった。この娘は長生きしないなと思ったよ。この娘は死にたがっている、僕はそう感じた。死の願望が強かったのは、それが自由、逃避を象徴するからだと思う。彼女には素晴らしい活気のある美しさが輝いて見える時があったが、大体は湿っぽい水面下に、僕らよりもっと下の水中に沈んでいる部分が多いというか、別の世界にいる感じだった。あの世への関心が強くて、まるでこの世では溺れているようだった。彼女はときどき自殺したい衝動に駆られ、結局は彼女の母親のようになるのではないか、そして肉体的苦痛、慢性の肉体的苦痛に悩まされはしないかと怯えていた。僕は悲観論者というわけではないが、マリリンに対する僕の予測は常に死だった。彼女を完全に助けてやれることは誰にもできないと思う。

僕がそう言うと、リーストラスバーグは激怒し、そんな考えを受け入れようとしなかった。仕事をすれば彼女の内に蓄積されていく闇がいくらかは外に解放されると、リーは願っていたんだと思う。でもその闇は無視できないほど暗く深く強力だった」

 

・1956年

この年に、3年ぶりにモンローと再会したという女流詩人のイーディス・シットウェルはこう言います。

「わたしが見て自殺するという気がした人のリストを作ったら、まず彼女の名前をあげたでしょうね」

 

・1957年

この年にモンローは流産していますが、流産した日の晩、薬物の過剰摂取により昏睡状態になったことがあります。この時は、夫が救急車を呼んで何とか一命を取り留めました。また、同じ年の別の日、モンローが薬の飲み過ぎで医者が睡眠薬を吐き出させていた時にはこう言っています。

「死んでもよかったのに、運が悪いわ。酷いわ、みんな嫌なやつばかり、みんな。ああ、どうしてこんなに・・・・」

そして、窓の外を指さしこうつぶやきます。

「ここからひと思いに飛び降りたほうが早いわね。あたしが死んだって聞いても、誰も、どうってことないもの」

 

・1959年

13階の自分の部屋から、ナイトガウンのまま鉄柵を超えて飛び降りようとしたことがあります。この時のことをモンローはこう言います。

「下に茶のツイードのスーツを着た女の人がいたわ。ここで飛び降りたら、その女のひとまで巻き添えにしてしまう。5分か10分、そのまま待ってたけど、その人は動かないし、私は寒くなってきたの。仕方がないからお部屋に戻ったわ。でもその女の人さえいなかったら、絶対飛び降りてたわ」

 

・1960年

この年のクリスマスに、モンローのメイドであるレーナ・ペピトーンが、寝室の窓から身を乗り出し、外の鉄柵にしっかり手をかけていたモンローを目撃します。レーナは、モンローの腰に必死にしがみついて押さえますが、モンローは泣きながらこう訴えます。

「レーナ、やめて。放っといてよ。死ぬんだから。あたしなんか死ねばいいんだわ。何のために生きてきたの?あたしには誰もいないのよ。クリスマスなのに!」

また、「正真正銘の薬は死ぬことよ」とも語っています。

 

・多くの自殺未遂

これら以外にも、モンローは何度も自殺を考え、自殺未遂を図っています。

「人間らしい感情がなくなったり、考えることといったら死ぬことばかりっていうときが何度もあった」

モンローの主治医の一人はこう言います。

「当時、私の診察室で彼女の語ったことを聞いた人なら、彼女の死んだ理由がわかるでしょう。世間に知られている以上に、何度も自殺をはかったことがあるのです。しかも、睡眠薬だけでなく、もっと強力な薬物にも頼ってました。最後に、これからどうなっても私は関知しないと言ってやったのでした」

 

・死にたくなかった

本心から死にたいと思っている人はいません。モンローも、死にたいと願いながらも、どうしても「生きたい」という欲求が出てきたと言っています。

「助けて 助けて 助けて 生命が近づいてくる気がする わたしの望むすべては死ぬことだけなのに・・・・」

 

〇精神病院

モンローは、マリアンヌ・クリスという精神分析医の勧めで精神病院に入院したことがあります。

ところが、この病院では病人扱いどころか囚人扱いを受けたといいます。モンローは、重症の精神病患者を拘束するための個室に入れられたのです。ドアは外側からカギをかけられ、着ていたものは剥ぎ取られ、浴室にはドアもついていませんでした。閉じ込められたモンローはパニックに陥り、目立って狂暴になり、カギのかかったドアを叩いたり、ガラス窓を壊そうとしたりします。この時の様子を看護婦が見ており、「ドアを開けて!お願い!ドアを開けてったら!」と叫んでいたといいます。この時の恐怖体験について、モンローはこう言います。

「あの狭い一室に閉じ込められてわたしは狂いそうだったわ」

「もう悪夢さながらだったわ。病院の連中は、私に拘束衣を着せたのよ。私は両腕を緊縛されて身動きもとれないのよ。何をされても防ぎようがないわけ。なにしろ好奇心の対象で、私の魂に関心をもった人なんて一人もいなかったわ」

「精神病院にはまるで人間的な温かみがありませんでした。あの病院は私をとても辛い目に遭わせました。自分が犯してもいない犯罪のために監禁されているような気がしました」

しかし、「モンローは狂っている」と思われていたため、誰も出してはくれませんでした。

そこで、モンローは必死で退院したがっていることをストラスバーグ家の人々など友人たちに訴えます。この時、モンローが送った文章は次のようなものです。あえて誤字脱字はそのままにしてあります。

「ドクタークリスはニューヨークびょういんの、せいしんぶんせきに私を入れて、ふたり、ドアホ医者をつけました。こんなひとはわたしの医しゃになるべきでありません。あたしがご無沙汰しているのは、かわいそーな気違いな人たちといっしょに閉じこまれているからなの。こんな悪夢にずっといたらあたしは気違いになると思います。どうか助けて、リー。ドクター・クリスに連絡してあたしが正気だとつたえてください。どうか助けてくださいませ。ドクター・クリスがあたしがだいじょうぶといっても、あなたはあたしがだいじょうぶじゃないといってくださいませ。あたしはここにいるべき人ではない!」

しかし、こうした訴えもむなしく、彼らは親族でないため法的な問題から何もできませんでした。結局、最後はこのことを知ったディマジオが、モンローを無理やり連れ出します。

精神病院を出たモンローは、「私を精神病院に入れたのは明らかに判断ミス」と言い、このような目にあわせたクリス医師を激しく責めます。クリスは、怒り狂ったモンローを見て酷く怯え、モンローを入院させたことを後悔します。

「わたしはおそろしいことをしてしまったんだわ、とてもおそろしいことを。ああ、そんなつもりではなかったのに」

ただ、この精神病院への入院を通じて得るものもありました。他の入院患者と比較して、「この人たちと自分は違う」「自分は狂っているのではない」とモンローは気づいたのです。

「私はいつも母のように発狂するのではないかと心配だったけれど、精神病棟に入れられてみると、他の人が気違いなのだと納得したわ。私はあくまで、いろいろな問題を抱えているだけだったのよ」

今でも原因が解明されていない精神病です。当時はもっとめちゃくちゃだったに違いありません。間違って入院させられたという可能性は大いにあり得ます。リー・ストラスバーグの娘であり、モンローと長く一緒に過ごした女優のスーザン・ストラスバーグは「マリリンは間違って病棟に入れられたんです」と言います。

この経験を通して、モンローは医者に対してこう批判します。

「医者というのは本の中で学んだことにのみ興味を持つのではなく、もっと臨床上の患者のことで経験を積まなければならないのではないでしょうか。人々の話に、人生は苦しみであるという人々の話に、もっと耳を傾けて、もっと色々なことを学ばなければならないのではないでしょうか。医者は自分たちの規律を気に掛けるあまり、患者を放っておき、患者が死んだ後になって初めて関心を示すふりをしているような気がします」

モンローが入院した時には、「どうしたのか」と尋ねる医者に対してこう返しています。

「どうしたのかって私にわかるはずがないでしょ。それをつきとめるのが、あなたたちの仕事じゃないの」

そして、こう不満を漏らしています。

「人間と関わっているのなら、どうして人間の内面を、もっと理解しようとしないのでしょう」

「ああ、なんてことでしょう。人間は月にまで行こうとしているのに、脈打つ人の鼓動には関心がないみたい」

 

〇晩年

晩年のモンローは特に不幸なものでした。

・孤独

モンローは、深刻な孤独感に苦しみます。

「ひとりぼっち!!!!!!!私はひとりぼっち、いつだってひとりぼっち、どうしようもなく」

「ほら、星たちを見て。あんなに高くきらきら輝いているわ。だけど、一つ一つがとても孤独なのね。見せかけの世界なんだわ」

モンローの秘書はモンローについて「私の中では、一番空虚な人でした」と語ります。

「本当にマリリンの生活は虚無だったわ。友達にも会わない、外出もしない、本なんか読んでいるところは一度も見たことがありませんでした。とにかく何一つないんです」

この秘書は、自分のかかりつけのヘアドレッサーから「マリリンモンローの私生活の話を聞かせてくれ」と聞かれた時にこう答えています。

「あなたの24時間の生活のほうが、マリリンモンローの2週間よりももっと忙しくて、もっともっと充実しているのよ」

グリーンソンとのカウンセリングも毎日行われ、1日に2,3回の時も頻繁にありました。グリーンソンは言います。

「私は、他者との関係における彼女の空虚に驚かされた。これがどこまで深いものでいつまで継続するのか、予断を許さない」

「彼女は孤独地獄にいる」

モンローから家に呼び出されたというラジオジョッキーのトム・クレイは言います。

「女が男を誘うようなよくある手口じゃ全然なかった。生きる方向を見失った孤独な女が誰かに胸のうちを訴えたかっただけなんだね」

「あるとき、彼女に聞いてみた。『どうして君はそんなに寂しがり屋なんだ』って。マリリンが言ったっけ。『あなた、40もお部屋のある家に入ってみたことがあって?あたしの寂しさったら、その40倍もあるのよ』って」

また、モンローの家を訪れた人は、家の中の印象についてこう言います。

「あの家の雰囲気が嫌だった。なんとなくゾッとするような、薄気味悪い感じでね。まるで孤島といった感じ。世間から隔絶した砦というか、世間に対して胸壁でぐるりと囲んでいるような感じがあった」

 

・荒れる精神

モンローの精神はどんどん荒れ果てていきます。

容姿に気を使わなくなったり、部屋が汚くなったりしていきました。モンローの美容師は言います。

「何週間も髪を洗わなかったり。だから、彼女をマリリンモンローに仕立てるのに9時間もかかったのです」

モンローの部屋の様子について、モンローの秘書は言います。

「汚れきって、不潔で、見るからに荒れ果てて、犬の糞までカーペットに散っているありさま」

その一方で、2時間も顔を洗ったりと異常な行動も目立つようになります。

また、「こんちきしょう」「あんなクソ映画に誰が出てやるか」と言葉遣いも荒くなります。

「いつもあられもない言葉を吐き散らして、声に刺々しいものが強くなってくる女で、マリリン神話の、低い息遣いの舌ったるいベイビートークの片鱗もなかった」

そして、自宅の改築にあたった職人の一人と性交を持ったり、タクシーで帰ってきた時にタクシー運転手を家に引き入れたりと、モンローは見境なく性交するようになりました。

グリーンソンは、「男性に対する姿勢としては相手かまわず見境なく性交する傾向が増大した」と言います。

 

・苦しみのピーク

周囲の人たちはこう口をそろえます。

「驚きましたよ。肌が青ざめ切っていて、蒼白で、生気がないんです。あの肌はどう見ても健康じゃなかった。見るからにゾッとしたけど、顔もよくよく見るとボール紙みたいなんだ」

「疲れ切った様子で・・・・あんなにいきいきしていた彼女がこんなにも変わってしまったことが信じられなかった」

「かわいそうに、あの子が苦しんでいるのは傍目にもよくわかりましたよ」

「マリリンは心身ともに病んでいたばかりではなく、欲求の深層にひそむエネルギーの源泉、魂において病んでいた」

「まるっきりお色気なんかなかったな。絶望的な気持ちになっていたんだと思う。眠れないんだ。自分がどんなに無価値な人間か、そんなことばかり話すんだ。あたしは根無し草で、醜くて、みんなが優しくしてくれるのは、お金儲けの道具になるときだけなんだわ。そんなことばかり。あたしには、もう誰もいない、誰もあたしなんか愛してくれやしない、って。子供がいないってことも言っていました。聞かされる方まで落ち込むようなことを、いつまでもいつまでも、しゃべり続けて。もう、生きてても仕方がない、っていうんです」

モンローをどうにもできないと、誰もが感じていました。

「誰もが、もう友情や同情だけでは間に合わなくなっているのに気づいているようだった。マリリンは何かもっと暗い、もっと危険な闘いにはまりこんでいて、それも、闘う相手は世間でも男たちでもハリウッドでもなく、彼女自身のなかの悪魔だったのだ」

親交が深かったストラスバーグ家の人たちも言います。

「リーだってもうどうすればいいのかわからなくなってるわ。あの人がこんなに無力な状態に落ち込んでいるのを一度も見たことがない」(リー・ストラスバーグの妻)

「わからないのは、彼女が何度も自殺しようとしたことだ。わたしに理解できないのは、マリリンはとっても頭が切れるのに、その上とっても美しいのに、どうしてこれほどみじめなのかということだった」(スーザン・ストラスバーグ)

死ぬ1か月前にモンローに会った人は、「死人みたいだった」と語り、死ぬ前日に会った人はこう言っています。

「あのときの彼女の姿は忘れられません。もうまるで病気、重病人でした。身も心もボロボロという感じで。これはただごとではないと直感しました。クスリでもやたらに飲んだか、何かに酷く脅えているみたいでした。あんな様子のマリリンは一度も見たことがありませんでしたよ」

 

〇死

1962年8月5日、自宅の寝室で全裸で死亡しているモンローをメイドが発見します。36歳という若さでした。

死の直後の様子について、警察よりも早く連絡を受けたグリーンソンはこう言います。

「ベッドにうつ伏せになって顔を押しつけるようにして、両肩の下まで裸体のままだった。傍に寄ると右手に受話器をしっかりと握っているのが見えた。最後の力を振り絞って、誰に、何を、訴えたかったのだろう」

また、その少し後に到着した鑑識のガイ・ホケットはこう言います。

「すでに死後硬直が始まっていて、死体をまっすぐにするのに5分ばかりかかった・・・・。まっすぐ寝た格好で倒れていたわけじゃない、半分、胎児のような姿勢で縮こまっていた。髪は手入れのし過ぎらしく、バサバサで酷い状態だったね。綺麗なんてもんじゃないよ、どこがマリリンモンローだ、ってなもんだった。メークもしていない、髪はバッサバサ、くたびれ切った体で、まるでかわいそうな少女が死んだみたいな格好だったよ」

・死因

モンローは、自殺したのか、殺されたのか、未だにはっきりとわかっていません。

<自殺説>

マスコミは「モンローは自ら大量の睡眠薬を服用して死亡」と、自殺として大々的に報道しました。

ロサンゼルス郡の検視官は最終的に「自殺の可能性が高い」と発表し、ダリル・ゲイツ警察署長も「明らかに自殺といえる」「彼女は多量の睡眠薬を飲んで自殺した。これが真実だ。何もそれほど珍しい事件ではない。ただ、自殺したのがマリリンモンローだったことが珍しいだけなのだ」と語ります。

 

<他殺説>

一方、モンローは誰かに殺されたという説も浮上してきます。たとえば、ケネディ兄弟が不倫関係などの秘密を暴露されるのを恐れ殺害を依頼したといった具合です。

また、モンローの作品も撮ったことがある映画監督のジョン・ヒューストンは、薬物を与えていた医者がモンローを殺したようなものだと言います。

「マリリンを殺したのはハリウッドではない。彼女を殺したのは、あのいまいましい医者どもだ。彼女は薬物のせいで頭がいかれてしまった。医者どもは彼女を薬物中毒にした」

このような見方をする人は多く、当時の医者のやり方を皮肉ってこう言う人もいます。

「私に言わせれば、医師たちは、薬よりも毒を処方するほうが多かったですから」

 

<事故死説>

薬を飲み過ぎてしまい、たまたま致死量に達してしまったといった具合に、モンローは事故死したという説もあります。

ロンドン大学医学部の名誉教授、ケイト・シンプソンはこう見ています。

「それより前に飲んだ量と一緒になって、結果的に致死量に達したと考えられます。モンローが睡眠薬を濫用していたことはよく知られていますから、それで、先に飲んだ薬の蓄積効果に気がつかずに、もう一度同じ量を嚥下しても大丈夫と思ったのでしょう。もし、これが事実とすれば、マリリンモンローの死は自殺ではなく、悲劇的な誤算ということになりますね」

また、死の直前にモンローから電話を受けていたと証言する人もいます。

「マリリンから電話があって、薬を飲み過ぎたらしい、どうやら規定量をオーバーしちゃったみたいと心配していると言ったんだ」

このように、モンローは謎の多い死に方をしていますが、彼女が苦しんでいたことは間違いありません。

 

・グリーンソンの苦悩

晩年のモンローを誰よりも診ていたグリーンソンは、モンローの突然の死に大きなショックを受けます。

「とても信じられなかった。こんなにもあっけなく、簡単に、こと切れてしまうとは」

そして、彼は自責の念に苛まれます。

「マリリンはかわいそうな女だった。私は彼女を救おうとしながら、かえって傷つけたまま死なせてしまった」

「私は明確な目的を持ってそれらのことをしたのだ。あの特別な女性に対する私の特別な治療法は、ただ一つしかない、と当時の私は信じていた。しかし、私は失敗した。彼女は死んだ」

グリーンソンは、精神分析学の創始者といわれるジークムント・フロイトと親しい関係でした。フロイトの娘で、イギリスの精神分析家であるアンナ・フロイトに、グリーンソンは次のような手紙を送っています。

「私は彼女に対して希望を持ち、彼女の病状はよくなりつつあると考えていました。ところが、彼女は死に、私は自分の知識が、自分の希望が、自分の毅然とした態度が、ことごとく十分でなかったのを悟りました」

「彼女を奇妙で、不幸な女にしてしまった最後の男は私です。本当に何とかしようと頑張ってみたのですが、彼女の過去の人生での経験、さらには現在の人生での経験によって彼女の中に蓄積された莫大な破壊力にはうち勝つことができませんでした」

「何よりもまず私は悲しみ、がっかりした。私のプライドが打撃を受けただけでなく、知識も打撃を受けました。自分を精神分析療法の知識の良き代表者だと思っていただけに。今度のことを乗り越えるには、私には時間が必要でしょう。結局は、私の心に傷跡を残すことになるでしょう」

グリーンソンの未亡人も、この時のグリーンソンについてこう言います。

「マリリンの死は、彼にとってとても辛いものでした。とりわけ彼を苦しめたのは、マリリンの症状がとても良くなったと彼が考えていたときに、彼女を失ったからなんです」

その後、「他の人間になりたい」と言ったり、グリーンソンの精神状態がおかしくなります。グリーンソンの同僚たちは言います。

「情熱が彼の中から消えてしまった」

「彼は仕事を続けても、その後は自分の殻に閉じこもってしまう。少しおかしくなった・・・・」

「彼は顔を変えたがった。彼は自分の顔を失ってしまった」

 

・葬式

30人ほどの関係者だけでモンローの葬式が行われました。

葬式はディマジオが取り仕切り、ハリウッドの映画関係者も出席を許されなかったといいます。

 

・ケネディ兄弟の暗殺

モンローの死の3か月後、ケネディ大統領が暗殺されます。この時、大統領は46歳で、テキサス州をパレード中でした。大統領を暗殺した犯人は、日本の厚木基地で勤務した経験もある海兵隊員リー・ハーヴェイ・オズワルドという24歳の男です。

この事件の2日後に、オズワルドはマフィアと関係が深いジャック・ルビーという男に、テレビ中継中に至近距離から撃たれ殺されます。

また、大統領が殺された5年後の1968年に、今度は弟のロバートが暗殺されます。ロバートが42歳の時です。

 

1.5 幸せではなかった

これまで見てきたように、モンローの人生は不幸なものでした。モンローは、世間的な成功では幸せになれないということを何度も言っています。

「名声を得るってことは特別な重荷を背負うってこと」

「名声なんて消えるものよ。だから、名声よさらば。私も一度は手にしたわ。名声なんて失われても、私はいつも移ろうものだと思い続けてきたわ。だから、一度は経験したけど、私が生きる場所ではないわ」

「有名であるということ、それは毎日の減食療法みたいなもので、満たされることがないのです。嬉しいと思うことはあっても、一時的なものです。ちょうどキャビアみたいなものね。食べるときは素敵ですけれど、食事ごとに毎日毎日それが出てきたら、素敵ではなくなります」

「わたしには名声があった、でも、それはわたしの住む場所ではない」

「人気が出るということは孤独を倍増させることね」

「映画女優であることは、メリーゴーランドの上で生きているようなものなのよ。旅行しても、メリーゴーランドの上をぐるぐる回っているだけ。街角のあちこちに人々がいるが、私は人々を知らないし、人々を見ない。いつも同じ警官、同じインタビュー記者、同じあなたのイメージ。日々、言葉、顔がただ再び戻って来るためにのみ通り過ぎていく。『その夢はすでに見た』と人はよく口にするが、そうした夢の中でのようなもの。そしていつも最初の場所、同じ場所に戻って来るの。映画は子供用のメリーゴーランドだわ」

「ハリウッドでは100万ドル、10億ドルを稼ぐ人たちがいるのに、記念碑や博物館がないのにお気づき?誰一人、後世に何も残さなかったわ。ここに来る人々は、ただ物体になって、撮りまくられるしかないの!私はこうしたアメリカの騒々しい一団に加わりたくない。彼らは一つの場所から次の場所へと、猛スピードで理由もなく走り回って人生を過ごしている」

「映画スターになるってことは、それを夢見ているときのようには決して心地良いものではないわ。一度でも私が出演の依頼を断れば、もう2度と再びスターの役は回ってこない。選択は2つに1つ、スタジオの奴隷になるか、それともファンには手の届かない有名人のままで終わってしまうか」

「プールの底にいるような気持ちなの。上に浮かび上がるには足で水を蹴ればいいんだけれど。どうしたらいいのかわからないの。私はプールの奥深くにずっと潜んでいたいような気持ち・・・」

「あたしは一度も楽しい思いをしたことがないの、一度も愛されたことがないのってときどき思うことがあります」

「たぶん私はこれまでずっと本当に誰かの妻になることを怖れていた。人生からわかっているのは、人は誰かを愛せないこと。絶対に、本当には」

「なぜわたしはこの世に生まれてきたのかしら。なぜわたしはこうやって生きてるのかしら。何をわたしは他人からもらい、何をわたしは他人に与えているのかしら。マンションの90階に、ほとんど天上に住んでいても、まるで地下のどん底の人生よ」

「私は人生に落胆してしまっている。物心ついたときからずっと」

「私はときおり人間が本当にやりきれなくなる。人が私と同じように、誰しも、みな問題を抱えていることはわかっていても。けれど私はもううんざりしたわ。理解しようとか、許そうとか、いろんなことを探し求めて、もう、本当に願い下げだわ」

これはモンローに限ったことではありません。

モンローの自伝を書いたベン・ヘクトは、「ハリウッドでは誰もが共通の危険にさらされている。それは、遅かれ早かれ必ず神経衰弱になるということだ」と言います。

アメリカの俳優ディーン・マーティンと24年間の結婚生活を送ったジーン・ビーガーは、アイドルやスターたちの実像についてこう見ています。

「私はああいう人たちをポスター人間って呼んでいるのよ。みんな輝く有名人だけど、薄っぺらで裏は真っ白。そういう連中なんて映画の中の役でしかないのよ。私は何も斜に構えた言い方をする人間じゃないけど、あの人たち、どうなったかみてご覧なさい。たくさんのモンゴメリ・クリフトたち。たくさんのマリリンモンローたち。エリザベステイラー、デヴィッドボウイ。実人生ではお互いに惹かれあったりして、社交的におしゃべりもするし、お互いにまっすぐ相手に向かって寄っていくわ。でも、人間として何の意味もありゃしない」

スーザン・ストラスバーグも自分自身についてこう言います。

「金銭、成功、名誉、そういったものを手にすればするほど、わたしの人生はめちゃくちゃに崩れていく。まるでマリリンみたいに」

「手にした鞄に入っているのは才能、名声、成功、幸運、若さ、美しさ・・・・だが、たったひとつ、幸福だけはつかむことができなかった。そのころのわたしはまだ子供で、お伽噺のようなハッピーエンドを信じていた」

マーロン・ブランドは言います。

「成功、名誉、若さ、金、美しさのすべてを手にしている女性が、どうして自殺などすることができるのだろうと誰もが考えるだろう。誰にも理解できないことだ。彼女の手にしているものこそ誰もが欲しているものだったからだ。だが、マリリンモンローにとってはそういうものはすべて価値がなかったんだ」

 

〇成功を捨てられなかった

一方、一度スターになると執着し捨てることが難しいとも言っています。ある時、苦しそうにしているモンローを見かねて、友人が「仕事を辞めて欲しかった子供を作ったり、好きな場所で好きなように家庭生活を送ってはどうか」と勧めたことがありますが、モンローはこう返しています。

「それはどうしてもできないの。わたし、スターダムや名声からは離れられないのよ」

また、モンローをよく知る人は、「マリリンは、女優の仕事を捨てられなかった。それが、精神にあれほどの不安をもたらすものであっても」と言います。

これはモンローに限ったことではなく、スーザン・ストラスバーグは次のように表現しています。

「他人から見られることに執着し、とり憑かれていた。それにとり憑かれると病気になるとわかっていながらも味蕾にふれた瞬間に、美味と快感が味わえるため、食べずにいられない。そんなものに似ていた。それをいったん味わうと、子供のように満足し、愛されていると感じるが・・・・次の瞬間に消えてしまうと、もう一口味わいたくなる」

 

〇すべて無力だった

モンローの苦しみを理解しようとしたり、助けようとする人は多くいました。しかし、結局、誰もモンローを救うことはできませんでした。アンナ・フロイトは次のような手紙をグリーンソンに送り、たとえすべての精神分析家が束になったとしてもモンローは救えなかったはずだと言っています。

「医者というのものは、よい結果を得るために絶えず考えあぐねているもので、失敗したときなどは心に耐えがたい痛みが残ります。でも、こうした場合私は自分たちより強力な何かによって負けたのだと考えることにしています。その強力な何かに対しては、精神分析療法は総力を結集しても弱すぎる防衛手段なのです」

 

以上、マリリン・モンローの生涯を紹介しました。

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付録 成功と恋愛と幸福
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