苦しみの根源である死は解決することができ、仏教では「悟り」といいます。第1巻では「悟り」が実在する世界であり、人生の目的でもあることを科学的な知見を交えて詳しく説明しました(第1巻「悟り」)。
欲求段階説で知られる心理学者のアブラハム・マズローは、悟りは自然に発達する生物学的な意識の状態だと主張しています。
また、神経科学者のアンドリュー・ニューバーグ(トーマス・ジェファーソン大学医学部教授)は、悟りを体験できる能力は人の意識と神経回路にしっかり組み込まれていると言います。
「最も近年の脳のスキャンの研究では、いま悟りに近い体験をしていると人が言う時には、きわめて特殊な神経学的な変化が起きることを発見した。意識的に悟りを求めている人々の脳には長期的な構造上の変化もみられる。こうしたことから、悟りへの道程は単に現実であるだけではなく、人が生物学的に悟りを求めるようにできていることを示す証拠はあるともいえる」
「通常、脳はゆっくり変わると考えられがちだ。脳が新しいスキルを修得し、すべての体験を吸収して意義あるものにするには時間がかかる。しかし、悟りの過程をみると、脳は瞬時に変わることもできるようだ」(アンドリュー)
そして、城西国際大学教授の望月清文は、言葉と五感に関する研究から、人間の心の基盤である共通感覚が誕生するまでの流れや時期を推測しました。さらに彼は「統合力」という考えを持ち出し、種に固有の閾値を越えると種に固有の統合力は同時に一斉に進化するという仮説を立て、ダーウィンの進化論では説明できない現象(文化的爆発、不稔性etc.)も、この考え方で説明できることを示しました。また心の進化に目を向け、進化には方向性があり、悟りが統合力の進化であると推測しています。
「修行僧が悟りに到達する瞬間、ほんのちょっとした外からの刺激によって開悟することが伝えられているが、これは、まさに新たな統合力が誕生しかけていたところへ、タイミング良く外からの刺激が与えられたのであり、それは、過氷点になっている水の中に投げられた小石によって、その水が一瞬のうちに凍ってしまう現象にも似ている。釈尊が夜明けの星を見て悟りに達したといわれているが、星の光という外からの刺激が、新たな統合力を誕生させる刺激となって働いたのである。それは、卵の殻の中で、誕生しようとしている雛鳥の声に答えて、外から親鳥が、その殻を割って上げる卒啄同時の営みそのものである。その卒啄同時によって新しい生命は誕生する。そして、ここに、新たな生命の誕生において、環境と内なる世界との切っても切れない関係があることが見えてくる」
「この瞬間(悟り)を手に入れるために、宇宙は様々な形でエネルギーを作用させ、生命を進化させ、人間を誕生させてきた」
「生命は、人間をして、自己を意識化させようと働きかけていて、その働きかけが、人間をして生きる意味を求めさせ、悟りの境地を得ることへの志向性を生み出しているのである」(望月)
ちなみに、「人間的欲求」と「動物的欲求」という言葉は彼の発案です。
岸根卓郎は、「絶対的幸福とは、死によってもなくならないような永遠に続く幸福のことであり、これが本当の幸福」であると言い、例として歎異抄で説く「無碍の一道(悟り)」をあげています。
・幸せになる真理
先に、恋愛が成功する公式のようなものがあると言いましたが、そういった成功法則というのは恋愛に限らず存在します。たとえば、科学はそういった法則を発見しようとする学問です。
そして、人間にとって何より重要である「幸せになる成功法則」が存在します。世間でも幸福研究が盛んですが、世間の人間が発見した「幸せになる成功法則」は、先に説明した通り、無常といった致命的な欠陥のある幸福です。
では、欠陥のない真の幸福は何かというと、それが「死の解決」です。この法則を、今から2500年程前に釈迦が発見したのです。「釈迦がつくった」のではなく、ニュートンが万有引力を発見したように、すでにある法則を「釈迦が発見した」だけということです。
「なぜ仏教は正しいかという問いに対する私のいちばん短い答えは、私たちが自然選択によって生み出された動物だからだ。自然選択は私たちの脳に傾向をそなえつけた。そして初期の仏教思想家は、利用できる科学的な手段がとぼしい中でその傾向を見極めるというすばらしい仕事をやってのけた。今では自然選択に対する現代の理解と自然選択が生み出した人間の脳に対する現代の理解を踏まえて、この見極めを新たな視点から弁護できる」(ロバート・ライト/科学ジャーナリスト)
科学でも、やがてはこの法則にたどりつくでしょう。
・人生にはゴールがある
人生にはゴールに相当するものがあります。
ただ生まれて一喜一憂して死ぬだけが人生ではないのです。また、「幸せは人それぞれ」とか「いろんな生き方があっていい」ではダメなのです。
「人生は生涯求道」とか「死ぬまで勉強」と言う人もいます。一見すると格好いい言葉ですが、これは一生涯ずっと苦しまなければならないということです。精神を鍛練するために仏教があるのではありません。ゴールに相当するものがなければ、最後は地獄に堕ちるマラソンをしているような悲惨な人生になってしまいます。求道人生、勉強人生で終わってはなりません。
・求道は自己を知る道
悟りを求めることを求道といい、求道は自己を知る道です。女や男を追い求めるのではなく、自己を追い求める必要があります。
阿含経には次のような話があります。
30人ほどの貴族たちが、それぞれ妻をつれて森に遊びに来ました。その中で1人だけ未婚の男がおり、彼は妻の代わりに遊女を連れて来ていました。
ところが、森でうつつを抜かして遊んでいるうちに、その遊女が彼らの財物を盗って逃げてしまいました。それに気づいた貴族たちが、あわてふためいて森の中を探していると、木陰で休んでいる釈迦と出会いました。
「こちらに女が逃げてこなかったでしょうか」
貴族たちが尋ねると、釈迦は「逃げた女を探すことと、汝自身を探し求めることと、どちらが大事か」と言い放ったといいます。
2.1恋愛では絶対に幸せになれない
〇恋愛は無常
〇利己的な愛
〇人生は苦なり
〇老苦
〇愛別離苦
〇死苦
〇幸せになれない
〇死は解決できる