誰もがハッピーエンドを願いますが、その願いは叶いません。幸せを追いかけている時は、「これさえ手に入れれば、きっと幸せになれる」ぐらいに思っていますが、どれほど幸せを手に入れようが期待しているような幸せは存在しません。人間は幸せになれないようにできているといえます。
「青春とは、奇妙なものだ。外部は赤く輝いているが、内部ではなにも感じられないのだ」(サルトル/哲学者)
「幸福は遠くの未来にある限り光彩を放つが、つかまえてみると、もうなんでもない。幸福を追っかけるなどは、言葉のうえ以外には不可能なことである」(アラン/哲学者)
「この世の生活の幸福を求める私たちの計画は、すべて幻想なのである」(ルソー/哲学者)
「人間はあらゆるものを発明することができる。ただし幸福になる術を除いては」(ナポレオン/政治家)
京都大学名誉教授の岸根卓郎は、次のように「相対的幸福は、幸福の価値基準には決してならない」と言います。
「財産や地位や名誉などの他人と比較してみて初めて感じる幸福は、基本的には、見た目の相対的な幸福で、それは見せかけの有無同然の幸福であるから、いくら追求しても心から満足できる絶対的な幸福(真の幸福)では決してない」
「では、なぜ相対的幸福はそれを追求すればするほど不幸になるのか。それは相対的幸福には基本的には次のような欠点があるからである。すなわち、どこまで求めても限界がない、いつまでも続かない、最後には必ずなくなる、競争心を煽り立て、他者との争いの原因になる」
・同じ作業の繰り返し
「人生は台所と便所の往復」とか「人生は布団の出し入れ」などといわれるように、無常の幸福を求める生き方は、広い視点で俯瞰すれば、人生は同じような作業の繰り返しです。
一休は、「人生は 食て寝て起きて クソたれて 子は親となる 子は親となる」と詠みました。
これは、どれほど特異なことをしているように見える人であっても同じです。
「今まで、サラリーマンとかタクシーの運転手とか土方のオヤジとか何が幸せなんだろうって思ってた。オートマチックな生き方に何の意味があるかってね。嫌だなそんなのと思ってた。でも、てめえもそれやってたんだよね。病気になって病院に入ってみると、それがよくわかった」(ビートたけし)
「こんなことあと何年続けるんだろうって。朝起きて、家を出て、現場へ行って、仕事して、帰って、というのが365日のうち、300日ぐらいを占めているわけよ。これなんかある?」(マツコ・デラックス/タレント)
「誰しもすごい狭い世界に生きてるじゃないですか。芸能人だろうと主婦だろうと歌手だろうとサラリーマンだろうと。みんな自分でわかってないかもしれないけど狭い世界に生きてて、だんだん客観的に自分を見れなくなってって苦しくなってくみたいな。そういうのから自分もそうだったって気づいて、そこから出たいというか、ちゃんと自分を見ないとと思って」(宇多田ヒカル/歌手)
どんなに鈍感な人でも、死を前にすればこのことに気づきます。
第1巻でも説明しましたが、ヒトという種であることが大前提としてあり、その上での個性です。遺伝子レベルでは99.99%同じです。同じ種だから同じような生き方をする運命にあり、別の種とは根本的な違いがあります。どれほど個性的だといってもアリはアリ、魚は魚、犬は犬です。どれほど個性的だといっても、人間は人間なのです。
「ヒトは姿形・体質・性格など極めて多様ですが、実はゲノムのおよそ99.9%はみな同じものを持っています。ヒトは99.9%は同じゲノム配列を持っている上で0.1%だけ差異があるから多様だということが認識できるのであって、ミジンコやコアラ、ウーパールーパーなどゲノム配列が大きく異なる生物を入れて考えてしまうと、ヒト間の差異など微々たるもので多様であるとはいえません」(高橋祥子著「生命科学的思考」より)
「人間の文化は表面的には多様で、とても珍しい慣行や風習があるかのようにみえても、本質的には変わらない。他の文化と根本からして違うまったく異質な文化などというものは存在しない。人間の体はさまざまな個人差があっても、根本的な構造はみな同じで、目が3つあるなど、まったく違う体をもつ人などいないのと同じことだ」(アラン)
・何やっても何も意味がない
死がある以上、恋愛や結婚といった無常の幸福を目的とした生き方は、何をやっても何の意味もありません。
「日々繰り返される刹那的な快楽の中で、ひとときの幸福感に浸ることはできる。しかし、その幸福感は、その浸っている瞬間から漏れだしている儚い幸福感でもある。それは、穴のあいた器で幸せという水を手に入れようとしている営みにも似ている。器が涸れてしまった後のむなしさがわかっていても、そのむなしさを癒すかのようにまた新たな幸せという水を求めて動き回る」(望月清文/城西国際大学教授)
意味がないと思わない人も多いでしょうが、それは死が遠いからです。死が近くなれば、ビートたけしが言ったように「人生ってなんだろうって感じるね。なんの意味もないことがよくわかる」のです。
・深刻に悩む人もいる
ほとんどの人は「人生こんなものだ」という具合に、妥協した生き方をして一生を終えます。しかし一部、深刻に悩む人もいます。第2巻で詳しく説明しましたが、ここでは太宰治を紹介しましょう。
太宰は11人の子女のうちの10番目、6男として生まれました。家は県内でも有数の財産家で、使用人を含め30人以上いたといいます。
何不自由なく成長した太宰は、やがて作家を目指すようになります。この頃の太宰は、叔母など親しい人には次のようにポジティブなメッセージも送っていました。
「きょう一日を、充分に生きる事、それだけを私はこのごろ心掛けて居ります」
「私は文学をやめません。私は信じて成功するのです。御安心下さい」
「大作家になりたくて、大作家になるためには、たとえどのようなつらい修業でも、またどのような大きい犠牲でも、それを忍びおおせなくてはならぬと決心していた」
しかし、実際の太宰は人生に苦悩していました。
「生きるということは大変なことだ。あちこちから鎖が絡まっていて、少しでも動くと血が噴き出す」
「全部、作家は不幸である。誰もかれも苦しみ苦しみ生きている」
「人生、それこそ生まれて来なければよかったようなもので、もともと地獄で、楽しいはずがないんだがね」
「究極の問題は、私が今何の生きがいも感じていないということにあったのでした」
「僕は自分がなぜ生きていなければならないのか、それが全然わからないのです」
「大人とは、裏切られた青年の姿である」
特に、太宰は人間関係に苦痛を感じていたようでした。
「人間は誰でもくだらなくて卑しいものだと思っています」
「みんないやしい欲張りばかり」
「一切の付き合いは、ただ苦痛を覚えるばかりで、その苦痛をもみほぐそうとして懸命にお道化を演じて、かえってヘトヘトになり、わずかに知り合っている人の顔を、それに似た顔をさえ、往来などで見掛けても、ぎょっとして一瞬めまいするほどの不快な戦慄に襲われる有様で、人に好かれることは知っていても、人を愛する能力においては欠けているところがあるようでした」
「僕は、つまらない男であるから、逢えばきっとがっかりなさるでしょう。どうも、こわいのです」
やがて苦悩は虚無感へと変わり、太宰は自殺願望を抱くようになります。
「死骸のような一日一日を送っています」
「一家心中なんて考えることもあります、もちろん空想ですけど」
「死にたい死にたい心を叱り叱り、一日一日を生きております」
「遊んだあとの淋しさと来たら、これはまた格別である」
「むなしいのだ。すべてが、どうでもいいのだ」
「世の中に、理想なんて、ありゃしない」
「自分にとって仕事が全部です。仕事の成果だけが全部です」と言っていた太宰ですが、「もう仕事どころではない。自殺のことばかり考えている」と思うまでになります。
「あなたをきらいになったから死ぬのではないのです。小説を書くのがいやになったからです」
太宰は何度も自殺を図っており、特に心中が多いです。
20歳の時、芸者だった小山初代と逢い瀬を重ね、下宿先で多量のカルモチンを飲み下して昏睡状態に陥ります。
21歳の時、銀座のバーの女給である18歳の田部シメ子と鎌倉でカルモチンを飲んで自殺を図ります。この時は、シメ子だけ死亡し太宰は生き残ったため、自殺幇助罪に問われました。
26歳の時、単身鎌倉に行き、鎌倉山で首吊り自殺を図りますが、未遂に終わります。この年、太宰は授業料未納により、東京帝国大学から除籍されています。
また、急性盲腸炎のため手術を受けますが、腹膜炎を併発して重体に陥ります。痛み止めのパビナール(麻薬性鎮静剤)を注射することが次第に習慣化していき、パビナール中毒に苦しむようにもなります。多い時は1日50本も注射するようになり、中毒治療のため入院しますが、全治しないまま退院します。この太宰の入院中に、初代が浮気したことを知り、太宰はショックを受けます。
28歳の時、初代と谷川温泉近くでカルモチンを飲んで心中を図りますが、未遂に終わります。その後、2人は別居します。
そして、39歳の時に、1年前に知り合った山崎富栄と玉川上水に入水します。
以上、簡単に紹介しました。ちなみに、太宰の門人であった小説家の小山清は、太宰が死ぬ少し前の写真を見て「何て悲しい顔をしているんだろうと思った」と語っています。
・真面目な人は苦しむ
真面目な人であれば必ず苦しみます。第1巻でも説明しましたが、科学は人生の根本的な問題に対して無力です。ですので、他に答えを求めようとしますが、宗教はおかしいものばかりです。真面目に考える人は行き詰って苦しむ運命にあります。
「科学的文化が進歩して、生きることをどんなに便宜よくしてくれたからとて、人生の無常は依然として無常である。人生が無常がある以上、人間は、魂の成長したる人間は、やはり厭世観に悩まされる」
「昔から多数の厭世論者が排出したが、ことごとく人生に死あることを理由として世を呪っている。死はそれほど人間を戦慄させるものだ。それほど人生を暗くするものだ。昔から智識の優れた王侯や、学者や、詩人が厭世論を唱えたのも、無理のないことである」(福来友吉/東京大学助教授)
逆に言えば、苦しんでいないということは、少なくとも不真面目でいい加減ということです。
「人生は『選ばれたる少数』を除けば、誰にも暗いのはわかっている。しかもまた、『選ばれたる少数』とはアホと悪人との異名なのだ」(芥川龍之介)
「魂の成長した人は、科学の教える生き方に不満足を感じていても、彼らはその不満足を取り去る方法を知らない。だから彼らは科学の教える生き方に不満足を感じながら、やはりそれに従って生きるよりほかに、仕方がないと思っている。そしてその結果、不真面目なるものは享楽主義によって一生をごまかしていこうとし、まじめなるものは厭世主義となる」(福来友吉)
バカじゃないと幸せに生きられないのがこの世界なのです。
2.1恋愛では絶対に幸せになれない
〇恋愛は無常
〇利己的な愛
〇人生は苦なり
〇老苦
〇愛別離苦
〇死苦
〇幸せになれない
〇死は解決できる