仏教には諸行無常という言葉があります。一切のもの(諸行)は続かない(無常)という意味です。
平家物語の冒頭には次の有名な一文があります。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者もついには滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ」
「盛者必衰」「栄枯盛衰」といった言葉は、諸行無常の代名詞のように使われる言葉ですが、どんなに成功していて幸せな人であっても必ず衰退するという意味です。
物理学でも関連するキーワードとして熱力学第2法則(いわゆるエントロピー増大の法則)もあります。自然のままにほったらかしにすると、秩序ある状態から無秩序の状態へ変化するという法則です。
恋愛の幸福も無常です。
ポルトガルの諺にあるように「月と恋は満ちれば欠ける」のです。
20年の結婚生活にピリオドを打った女優の島田陽子は離婚理由を次のように語っています。
「20年という時間は人生の四分の一にあたります。それだけ信頼関係は築かれていると信じていました。でも、この世に変化しないものなど何一つなく、理由を考えても謎という場合もあります。人は変わるのだと、それだけです」
先に説明したように、豊臣秀吉は大成功を収めましたが、彼は臨終に次のような辞世の句を詠んでいます。
「おごらざる者もまた久しからず 露と落ち露と消えにし我が身かな 難波のことも夢の又夢」
(意味:平家は驕り高ぶって滅んだから、私は驕り高ぶらないように努めて生きてきたつもりだった。しかし、それでも長くは続かず、露のように儚い命だった。栄耀栄華を極めた人生も夢の中で夢を見ているような儚いものであった)
秀吉は一代で滅び、徳川家康の時代に取って代わられます。秀吉の生涯を綴った太閤記も、膨大な宇宙の歴史のほんの1ページにすぎないのです。
・幸福感が無常
たとえば、何十年と仕事で成功し続ける人や恋愛が続いている人がいたり、一見すると続く幸せがあるように思えることがあります。
しかし、たとえ「幸せの形」が続くことがあっても、中身である幸福感が続くとは限りません。ドストエフスキーは、「幸福は、幸福の中にあるのではなく、幸福を手に入れた瞬間にこそある」と言いました。幸福感が続かないことは、脳科学的には脳内快感物質の減少という形で示されているようです。
そして、「歓楽極まりて哀情多し」という諺の通り、楽しければ楽しいほど終わりが寂しいように、強い幸せを感じた後は苦しくなります。松尾芭蕉は「おもしろうて やがて悲しき 鵜舟かな」と詠みました。鵜舟とは鵜飼遊びのことです。
もちろん、「形」も無常ですので、どんなに続いたとしてもやがては壊れる運命にあります。
・安心できない
続かないために様々な苦しみが生じます。
たとえば、失う不安がつきまといます。
南こうせつの代表曲「神田川」の中には、「何も怖くなかった。ただ貴方のやさしさが怖かった」という歌詞が出てきます。普通は優しくされれば嬉しいものですが、「怖い」と言っています。失う不安があるから優しくされるほど怖いということです。
・相対的な幸福
先に説明した通り、一切は相対的ですが、それは「幸せ」も同じです。つまり、絶対的な幸せや絶対的な不幸というのはないということであり、その人の精神状態によって、あることが苦にも楽にも変化するということです。次のような言葉は、幸せが相対的であることを教えています。
「世の中には幸福も不幸もない。ただ、考え方でどうにでもなるのだ」(ウィリアム・シェイクスピア/劇作家)
「不幸はナイフのようなものだ。ナイフの刃をつかむと手を切るが、とってをつかめば役に立つ」(メルヴィル/小説家)
「異なる精神にとっては、同じ世界が地獄でもあり、天国でもある」(エマソン/哲学者)
「楽観主義者はドーナツを見、悲観主義者はドーナツの穴を見る」(オスカー・ワイルド/詩人)
・善悪はコロコロ変わる
美人や金持ち、恋愛成就や結婚が善とは限りません。
美人だったために悪い男に近づかれ犯罪に巻き込まれたといった例はゴマンとあります(犯罪対策としてわざとブスにする人たちもいます)。世界一モテたマリリン・モンローの一生は不幸なものでした(巻末付録「マリリン・モンロー」参照)。
逆もしかりです。ブスや貧乏、失恋や離婚が悪とは限りません。田中律子は「仮面夫婦生活が辛かった」と言い、「1人は楽。もっと早く離婚しとけば良かった」と語ります。
「禍福は糾える縄の如し」という諺もありますが、善悪は時間と共にコロコロと変わっていき、何が善で何が悪なのか難しい問題があるのです。
「夫との結婚は良縁と信じている。しかし、良縁とは一体どういうことなのか。金があるということか、地位があるということか、学問があるということか、初婚であるということか。それだけの判断はつけられる。しかしそれよりも大事なこと、もっと根本的な条件はわかりようがないのだ。良縁と良縁でない話と、どこがどれだけ違うのだろう」
これは芥川賞受賞者第一号となった小説家、石川達三の作品「幸福の限界」の中に出てくるセリフです。この小説は結婚をテーマに幸福を追求する姿が描かれており、作中に出てくる「性生活を伴う女中生活」という言葉が当時流行りました。
恋愛カウンセラーにしても占い師にしても「こうすればいい人と出会える」とか「こうすると幸せな恋愛ができる」とアドバイスするでしょう。しかし、これは漠然とした表現なのです。この当たり障りない言葉に騙されてはなりません。「いい人とは何か」「幸せな恋愛とは何か」といったことを追求すべきです。
・死ぬまでわからない
その瞬間の善悪は、時間的な最後を基準にしないと判断できません。時間的な最後とは、突き詰めれば「死」になります。
古代ギリシャで、当時繁栄していたリディアのクロイソス王は、富に恵まれた自分は世界一幸福な人間に違いないと考えました。そこで、クロイソス王は賢人として知られていたソロンに「世界一幸福な男は誰か」と尋ねました。「鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰?」の男版のようなものです。
するとソロンは、こう答えました。
「ある人が幸福かどうかは、亡くなって初めてわかるものです。あなた様はまだご存命なのですから、一番幸せ者かどうかは判断できません。それに今後あなたをどんな運命を待ち受けているか、誰も知りようがないではありませんか」
ソロンの言葉にクロイソス王は憤慨しました。
しかし、その後、愛する子供を先に失い、財宝も国土もペルシア軍に奪われ、自身もとらえられてしまいます。焼き殺されようとする時、クロイソス王はソロンの言葉がいかに正しかったかを悟ったといいます。
・有無同然
多くの人は、無いよりは有ったほうがいいと思うかもしれませんがそうではありません。有っても無くても本質的な苦しみは変わらない、ということを有無同然といいます。
釈迦は、有無同然について、「金の無い者は鉄の鎖で縛られ、金の有る者は金の鎖で縛られているようなものだ」とたとえています。
独身が結婚に憧れ、結婚すれば独身の気楽さを羨むようなものです。哲学者のキルケゴールは、「結婚したまえ、君は後悔するだろう。結婚しないでいたまえ、君は後悔するだろう」と言いました。
アメリカの小話に次のようなものがあります。
ある独身の男が自販機の前でつぶやきました。
「ああ、1ドル入れたら嫁さんが出てくる販売機があったらなあ」
それを聞いた既婚者が言いました。
「ああ、女房を入れたら1ドル出てくる販売機があったらなあ」
「家族」というのは、「大切なもの」の代名詞のような存在ですが、だからこそ大きな苦しみも伴います。
釈迦は子供が生まれた時、「束縛する者が現れた」と言い、「束縛者」を意味するラゴーラと名づけています。
ニッセイ基礎研究所の2018年の調査によれば、生活満足度が最も高いのは、「既婚(配偶者あり)・子なし」(44.6%)であり、「既婚(配偶者あり)・子あり」(38.2%)を上回ったといいます。
ちなみに、グーグルのデータサイエンティスト、セス・スティーヴンズ著「誰もが嘘をついている」によれば、「子供がいる成人は、いない成人よりも、3.6倍も多くその決断を悔いているとグーグルに吐露している」といいます。
しかし人間は子供の恐ろしさ、子育ての難しさを知らずに産もうとします(詳しくは第5巻)。
いくつか事例も紹介しましょう。
ZIPという朝番組で、その時の出演者であった5人のAKBのメンバーにこんな質問がされていました。
「人生をやり直すならもう一度AKBをやりたいか?」
すると、5人中4人が「普通の女の子として一生を過ごしたい」と回答したのです。
AKBといえば、21世紀にCDデビューした日本のアーティストで最高売上を記録するなど、今や国民的アイドルです。憧れて入りたい女の子も非常に多いはずです。しかも、この4人は人気ランキングにおいて最上位7位以内にランクインしており、通称神7(セブン)とも呼ばれる、トップアイドル中のトップアイドルです。しかし、その選ばれた当の本人たちは、同じことは2度としたくない、と言っているのです。ちなみに、5人全員がこの放送から数年以内にやめています。
「カタログをながめては、お金を湯水のように使う夢にひたっていた」というココ・シャネル。
6人ほどの縫い子とともに始めた仕事から、ニューヨークタイムズ誌で「20世紀最大のデザイナー」と評されるまでになります。
特にシャネルにとって初めての香水となる「シャネルの5番」は、1921年に発売されてから1997年に至るまで世界中の香水の売り上げのトップを誇るなど、シャネルの地位を不動のものとします。元産経新聞パリ支局長で「ココ・シャネルの真実」の著者である山口昌子は「シャネルの5番」について、「シャネルの名を不朽にすると同時に、莫大な財政的成功をもたらし、経済的にも自立した20世紀の解放された女性の代表の地位を与える結果となった」と言います。
夢が叶ったといえるシャネルですが、彼女は次のような苦しみを吐露しています。
「鏡の残酷さは、私自身の残酷さを教えてくれる。ひとりのあわれな女」
「私は退屈していたのだ。暇と金のある連中が味わう、あの恥ずべき退屈」
「活動的な私だが、その底にひそんでいた遊惰な資質」
「要するに私はハーレムの女になりたいと願い、願い通りの経験をし、その経験が終わったのだ」
「鮭釣りに明け暮れる生活は人生ではない。どんな惨めさも、こんな惨めさよりはましだ」
「わたしはもはや願い事をかなえてもらいたいと胸ときめかすこともできなくなった」
「すべては何にゆきつくかというと、倦怠と寄生生活にゆきつくだけなのだ」
「孤独は恐ろしい。だのに私はまったくの孤独の中で生きている。一人ぼっちでなくなるためなら、どんなにお金を出してもいいわ。一人で食事をするぐらいなら、街のおまわりさんを呼んできたっていいと思うほどよ。だけど私が出会うのは心無い連中ばかり。だけどそんな思いにひきずられてゆくと、メランコリーにとりつかれて、いつしか淵にはまってしまう」
晩年のシャネルは、孤独による不安や恐怖などの症状と不眠症に悩まされ、1日1本のモルヒネ注射が欠かせなくなっていたといいます。
他にも「成功」の苦しみを訴える人はたくさんいます。
「カッコよくても、お金持ちでも、有名でも、それだけでは意味がないの。それ自体は幸福をもたらしてくれないのよ」
「すべてがすごく均質化されてるでしょ。この美しい人生の魅力だ、とか、この車に乗れば人気者になれる、っていう具合に。これってほんとに強力な幻想で、人はそれに夢中になっちゃうのよ」
「こんな風にすれば幸せが手に入る。この服を着れば、みんなからちやほやされる。そんなのはぜんぶ幻想よ。でも、ものすごくパワフルな幻想だから、わたしをはじめ、誰もがその虜になってしまう。わたしはもう目が覚めたけど」
「みんな誤解しているのよ。人は名声を手に入れたら、多くの人から愛され、幸福な人生を送れると考える。だけど、私と同じ立場の人はみんな、その反対に真理があると答えるわ。本当に愛されているという実感もなく、何千人もの人に賞賛されても、かえって虚しさを感じさせられるだけ。名声は麻薬に似ている。それは、自分の本当の価値を見失わせてしまうの」
「そう、すばらしいことがすべてあたしに起こったわ。でもまだハッピーじゃない」(マドンナ)
「家買ったりマンション買ったり、家建てたりやなんか、なんの感動もないね。どうでもいいと思ってるもん、家なんか。頭ん中から車だとか時計だとか、なくなっちゃったよね。買って見たら『こんなつまんなかったっけ?』というような。無理やり買うもん見つけたりなんかしたり、高い酒とか、女がいる店とか、無理やり行ってるだけで、なんにも興味なかったよ、やっぱ」
「だから俺、金持ちがボランティアやるのわかるわ。いや、やりたくないよ、別に。やることねえからやってんだから」(ビートたけし)
「ファッション誌にファッションショー、ラジオにバラエティにドラマに映画になにからなにまで引っ張りだこ。歌手デビューまでして日本中からもてはやされ、芸能界に憧れる女の子が欲しがるものをわたしはすべて手に入れた。でもわたしは幸せじゃなかった。全然、幸せじゃなかった」(吉川ひなの/タレント)
「犠牲のない人生なんてあるかい。人間のすることにはすべて、いかなる場合にも犠牲があるんだ。人間は誰しも幸福を求める。その幸福は多くの犠牲を払って初めて求め得られる」(石川達三著「幸福の限界」より)
涅槃経には次のような話があります。
ある家に、非常に美しい女がやってきました。
「私は功徳大天と申します。私は伺った家に望むだけの財宝をもたらすことができます」
家の主人は喜び早速もてなそうとしますが、傍にもう1人醜い女がいたことに気づきます。
「私は黒闇と申します。私が伺った家は財宝を失います」
それを聞いた主人は怒り、刀をふりあげて追い出そうとします。
しかし、黒闇は言いました。
「私は功徳大天の妹です。姉とはいつでも一緒に行動しています」
主人が功徳大天に確認すると、確かにそうだと言います。
「私はいつも幸せをもたらし、妹はいつも不幸をもたらします。私を愛するなら妹も一緒に愛してもらう必要があります」
主人は驚き、両方追い出すと平穏がやってきたという話です。
このように、一切の幸福は有無同然の幸福です。
・満足できない
「近寄れば さほどでもなき 富士の山」という歌があります。富士山は遠くから見れば美しく見えますが、近づいてみるとゴツゴツとした岩肌が目立つなど、それほどでもないという意味です。同じように、外から眺めていると輝いて見えた人でも、近づいてみると「粗」が見えたりさほどでもなかったりします。
ビートたけしは、こんな話をしています。
「近づいたら一瞬で終わってしまうような気もするよ。近づいちゃったら、魅力はもうそこでゼロになるっていう可能性あるよね。俺なんか、どうせくだらないもんなんだからさあ、手が届かないっていうことが重要で。池とか川でピカピカ光ってるものを、いざ手に取ってみたら鏡の破片だったってことあんじゃない?でも、ピカピカしてるときは魅力あるわけだから。いくらこう取ろうとしても取れなかったら、ガラスの破片でも魅力あるけども、手に取って、ああこれが光ってたんだってわかったら、すでにもうそれで終わりじゃない?」
満足するどころか、手に入れれば入れるほど、もっともっと欲しくなります。これは渇愛といって、書いて字の如く、渇いたように激しく執着する煩悩が人間にはあるためです。
哲学者のショーペンハウエルは、「富は海の水に似ている。それを飲めば飲むほど、のどが乾いてくる」と表現しています。
仏教で説く八大地獄の1つに衆合地獄というのがあり、さらにその中に刀葉林地獄というのがあります。
この地獄には天を摩すような大樹がそびえたっています。葉は鋭い刃ででき、焔を吹いています。
罪人が樹の頂きを見ると、美しい女がこっちに向かって媚びを売り、手招いています。それを見るや罪人は、われを忘れ登ろうとします。
刃に肉が切り裂かれ骨を削られて血だらけになりながら、やっとのことで頂上に着き、いざ抱こうとすると、女はこつぜんと消え地上に現れます。そして、「あなたを慕って下りてきました。早く抱いてください」と、再び媚びを売ります。
罪人がこれを見て、また、われを忘れ降り始めると、刃が今度は一斉に上を向き、罪人を切り裂きます。
やっとのことで地上に下り、今度こそはと女を抱こうとすると、またこつぜんと消え頂きに現れます。これを無量の間繰り返すといいます。
性欲に振り回される人間の姿によく似ています。
人間は意識するとしないとにかかわらず、性の問題に苦しんでいます。
「ああ、世の中には面白くないことがたくさんある。神様、あなたは女までお作りになりました」(ロシアの諺)
「君の人生に女が入ってくる。素晴らしいことだ。出ていってくれたらもっと幸福なのに」(ポール・モラン/作家)
「女人は我々男子には正に人生そのものである。即ち諸悪の根源である」(芥川龍之介)
2.1恋愛では絶対に幸せになれない
〇恋愛は無常
〇利己的な愛
〇人生は苦なり
〇老苦
〇愛別離苦
〇死苦
〇幸せになれない
〇死は解決できる