自己を知るということは、客観的な自己を知るということです。その方法は色々とありますが、仏教では大きく2つの方法を勧めています。1つが無常観、そしてもう1つが罪悪観です。無常観については説明したので、罪悪観について少し説明します。

自己を直視すると、罪悪を造っている自己であることがわかってきます。自己の罪悪を直視することが現実を直視することであり、自己を客観視する訓練になります。

詳しくは第4巻で説明していますが、人間の本性は悪性であり、人間は膨大な罪悪を造っている極悪人です

・縁がくれば人も殺す

また、縁さえくれば殺人さえ犯してしまうのが人間です。

歎異抄には、「さるべき業縁の催せば、如何なる振舞もすべし」「我が心の善くて殺さぬにはあらず、また害せじとおもうとも、百人千人を殺すこともあるべし」と説かれています。

進化心理学の創始者、リーダ・コスミデスは「心はアーミーナイフのようだ」と言いました。アーミーナイフは、柄の中にナイフやハサミ、ドライバーといった多様な道具を格納しています。普段は息をひそめている心理が必要に迫られると現れてくるさまが、アーミーナイフにそっくりだと言うのです。

こういったことを薄々感じている人は多く、真面目な人は見て見ぬふりができずに苦しみます。芥川龍之介は、「周囲は醜い。自己も醜い。そしてそれを目のあたりに見て生きるのは苦しい」と言って自殺しました。ですので、苦しくても罪悪を直視し続ける動機(人生の目的)が必要になります。

 

・「罪悪感で苦しんでいる」

罪悪感に苛まれている人は多いですが、その罪悪感は氷山の一角にもなりません。もっともっと深刻な罪悪があるので、それがわかるまで自己を見つめ続ける必要があります。

ちなみに、似てはいますが仏教は性悪説ではありません。たとえば、性悪説は元が悪(他因自果)であると説きますが、仏教は元が白紙(自因自果)であると説くという違いがあります。

 

・嘘の癒しは続かない

たとえば、悩んでいる人に対して「あなたは何も悪くない」とか「今のままで大丈夫」と言って慰めようとする人がよくいます。

こういった言葉は耳障りがよく、言うほうも聞くほうも楽ですが、はっきり言えば嘘であり、物事の分別がつかない盲目の愛というものです。現実逃避することによって一時的な偽の癒しを得られることはあっても、現実は何も変わりません。悪を造っているのに善をしていると思ってしまえば、精神的な問題含め様々な問題が生じるのは当然です。

一方、真実の言葉は「至言は耳に忤う」「良薬は口に苦し」といった諺の通り耳障りが悪いものですが、直視すれば真の癒しとなります。法句経には「真理を正しく観るならば、真の楽しみ得るだろう」と説かれています。これが有名な悪人正機の教えで、悪人(罪悪を直視している人)こそ救われるということです。世間一般で使われる「悪人」の意味とはまったく異なるため注意が必要です。

「真の意味での精神療法とは、記憶をかき消したり催眠をかけるようなインチキな手法ではなく、トラウマを直視する作業である。その意味でも真の精神療法は傾聴とか癒しとは無縁であり、非常につらい作業となる。ただしそこに向き合えた人は非常に様々な問題が好転する」(内海聡)

 

先に説明した通り、明るくするために暗い現実を直視する必要があります。もっと言えば、そういった暗い現実を生み出したのは、他でもない自身の過去の種まきです。

 

・「悪口で傷つく」

先に誹謗中傷の受け止め方について説明しましたが、悪口を言われて落ち込んでいるのは、自分を良い人間だと思っているからです。極悪人である自己がわかれば、どんなに謗られても足りないということがわかります。

ちなみに、誹謗中傷を気にして苦しむのは分別智である意識であって、人間の本体である阿頼耶識はビクともしていません。

 

・人の心がわかる

他にも自己を直視することで様々なメリットがあります。

たとえば、自己を知ることが人の心を知ることにつながります。意識するとしないとにかかわらず、人間は自分の心を通して人の心も把握しようとしています。自己を深く知るほど、人の心も深くわかります。浅い自己しか知らない人は、人の心も浅くしかわかりません。

おそらく、自己を知ることが人の心を知ることにつながり、人の心を知ることで利他がしやすくなり、利他をすることで自己がわかり、そして人の心がさらにわかり・・・という好循環を自然は期待しているのでしょう。このあたりについては第5巻「愛の限界と力」で詳しく説明しています。

 

・他人を観るように自分を観る

深刻な悩みを抱えている人でも、他人の欠点については威勢よく指摘したりします。他人のことなら客観視できるのです。同じように、自分を他人のように客観視します。人間には強力な欲目があるので、これは難しいことですが近づくことはできます。

 

・コンプレックスがある人は差別している

善悪観は人にも向けられ、自分が悪だと思っていることは人にも向けられます。たとえば、太っていることにコンプレックスがあれば、その差別意識は人にも向けられるということであり、太っている人に対して差別する心があるということです。心の病になって様々な差別を感じているかもしれませんが、自分も人に対して差別しているのです。

 

・コンプレックスをエネルギーにする

人間は皆、何かしらコンプレックスを持っているのですから、コンプレックスをエネルギーに変えようと努めるべきです。

短所だと思っていることが、人から見て長所ということはよくあります。また、コンプレックスを隠そうとして逆効果になってしまうということもよくあります。ココ・シャネルは、「欠点はもう1つの魅力になるのに、隠すことばかり考える。むしろ欠点をうまく使いこなせばいいのよ。そうすれば、怖いものなしになる」と言いました。

逆もしかりです。長所だと思っていることが、人から見て短所ということもあります。

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1.6自己を知る(クセに気づくだけ)
直視する
心の病は自分が生み出した世界
罪悪観
欲はコントロールできる
性を知る
仏教は自己を知るためにある