死を直視し、無常を問い詰めることは苦しいことだけではありません。様々なメリットもあります。いくつか例を挙げます。
・生の喜び
肉体・家族・財産etc.大切なものを永遠に失った後の心理が、失う前にわかってくれば感謝が生まれ、喜びが生まれます。
「終末について考える人々は、とても健康的に行動するので、むしろ長生きするようだ。また、自尊心が高まることも証明されている」(エリック・バーカー著「残酷すぎる成功法則」より)
「末期がんを宣告されたがん患者が、風に揺れる一本の雑草を見て感動する、という話があるけれど、人は生まれながらの死刑囚なんだから、誰もが、そういう眼を持てるはずなんだよね」(ビートたけし)
「死に直面し、そして一時的にその執行を猶予されたことにより、あらゆるものがこの上なく貴く、神聖で、美しいものに感じられ、私はすべてを愛し、抱擁し、それらに圧倒されたいという衝動をかつてないほど強く感じている。見慣れた川がこんなに美しく見えたことはなかった」(アブラハム・マズロー/心理学者)
・人間関係が上手くいく
「1人暮らしをして、初めて1人じゃないことがわかった」というフレーズが出てくる不動産会社のCMもありましたが、人間関係は距離感が大切です。近すぎると客観的に見れなくなり、衝突しやすくなったり様々な問題が生じます。
死は距離感の最たるものです。ですので、死んだ後に、嫌いだった人を好きになるというのはよくあることです。
映画評論家の淀川長治は、小さい頃から父を憎み続けていたそうですが、死んだ後に「いいおやじだったな」と思ったと言い、「生きているときには見えなかった長所に、急に気づくこともあります」と語っています。
しかし、死んでから気づいても手遅れです。無常観を問い詰めることで距離感が生まれ、長所に気づきやすくなり、人間関係も上手くいきやすくなります。
・足るを知る
仏教には「足るを知る」という言葉があります。
「足るを知るもの貧しといえども富めり。足るを知らざるものは富むといえども貧し」(仏遺教経)
「吾唯足知(われ、ただ足るを知る)」という言葉を、「口」の文字を中心に並べたつくばいを見たことがある人も多いでしょう。

人間は「足りない、足りない」と無いことばかりに目が向き、失って初めて有難さが身にしみてわかります。イギリスの諺にあるように「物の値打ちは、それが無いときに、いちばんよくわかる」のです。「自分の命」はその最たるものです。
しかし、この流れでは遅いので、足るを知り、失う前に有難さを知ることが大切です。そのため、足るを知る大切さも多くの人が言っています。
「(成功した理由は)『世界一』という高い目標を目指して、あくなき挑戦と努力を積み重ねると同時に、『足るを知る』ことを実践してきたからです。会社や事業の置かれている状況を見つめ、決して暴走しなかったからこそ、大きくつまずかなかったのです。また事業がうまくいっても、有頂天にならず、己を見失うことなく、地道な努力を重ねてきたから、発展を続けることができたのです」(稲盛和夫/経営者)
「わずかしか持たない者ではなく、多くを望む者が貧しいのである」(セネカ/政治家)
死を問い詰めることで足るを知ることができます。たとえば、先に紹介した刀根健は次のように述べています。
「毎日が谷底にいる気分だった。でも、谷底じゃないと見えない景色があった。僕は今まで自分の力で人生を切り開いてきたと思っていたし、自認してきた。でも、谷底から見ると、それは違った。僕は1人じゃなかった。僕には家族がいた。友だちがいた。仲間がいた。気遣ってくれる多くの人たちがいた。僕は今までそんなことにも気づかずに、自分の力で生きてきたと思い込んでいた。そういう自分が恥ずかしい。みんなの気持ちを受け取っていなかった自分は、なんて小さい人間だったんだろう」
「こんなにも僕を大切に思ってくれている人が『いる』ということ。『いる』んだ、僕には。なんて幸せなことなんだろう。いる、いる、いる、いっぱいいるんだ」
・利他心が生じる
心理学でも、「死を想うと人間は他者に優しくなる」という心理効果を指すスクルージ効果が知られています。
たとえば、フロリダ州立大学の実験では、「必ず墓場の前を通る人たち」と、「通常の道を通る人たち」とでは、人に親切にする確率が前者は40%アップしたといいます。
そして、第5巻で詳しく説明しますが、利他をすれば様々な自利(自分の幸せ)が返ってきます。
・悩むべきことに悩めるようになる
苦しみは相対的なものですので、最大の苦しみである死と比べれば、どんな苦しみも苦しみではなくなってしまいます。指に刺さったトゲがどうしても気になっていても、ナイフが刺されば気にならなくなるようなものです。トゲを気にしようと思ってもどうしてもできなくなります。
「山より大きな猪は出ぬ」という諺があります。猪に怖がっている新米の猟師に、ベテランの猟師がこうアドバイスして落ち着かせたという話もありますが、死を直視し、死より大きな苦しみはないとわかれば肝が据わります。
先に紹介した心療内科医の星野仁彦は次のような話をしています。
「死ぬかもしれないという恐怖心があれば、厳格な食事制限を実行するのはある意味で容易である。死から逃れるためなら、困難なことにも打ち込めるからだ。この場合、困難なことを実行しているからといって、それが、意志が強いというわけではない。ただ死にたくないから、何かをしているにすぎないのである」
「さあ、元気を出して。最悪の事態はまだこれからやってくるんだから」と言った人もいます。
死に立ち向かう人は、肉体年齢が若くとも人間的に深みが増します。たとえば、不治の病にかかった子供は驚くほど肝が据わっています。親のほうが子供っぽかったりします。肉体年齢が50、60の人でも、死が遠い人は軽い人間です。
経済的なこと、家庭のこと、健康のこと、人間には様々な心配事がありますが、そういった心配事は臨終にはすべて吹き飛んでしまい、死にたくないという願いでいっぱいになります。そんなことも知らずに、気にすべき死苦を心配せず、臨終に吹き飛んでしまうようなことを心配しているのです。苦しむべきことで苦しまず、苦しまなくていいことに苦しんでいるといえます。
・正しく恐怖する
無常を観じるということは正しく恐怖するということです。正しく恐怖を感じれば、たとえば危険を回避できます。
私は毎日乗っていた自転車を止めました。一度便利に慣れてしまうと、痛い目を見ない限り止めることは難しいものですが、その前に止めることができました。なぜできたかというと、簡単に言えば私の無常観です。止めた直後は不便でしたが、今では徒歩が当たり前の生活となったので不便とも思いません。同じ理由で車の免許も持っていませんが、一生取ることはないでしょう。乗らなければ、少なくとも交通事故の加害者になることはありません。
・正しい目的が必要
他にも死を直視する様々なメリットがあります。そのため、死を見つめることの大切さを強調している人は少なくありません。
「死への絶望なしに生への愛はありえない」(アルベール・カミュ/小説家)
「僕が死を考えるのは、死ぬためじゃない。生きるためなんだ」(アンドレ・マルロー/政治家)
「人は、いつか必ず死ぬということを思い知らなければ、生きているということを実感することもできない」(ハイデッガー/哲学者)
「明日死ぬかのように生きろ。永劫永らえるかのように学べ」(マハトマ・ガンジー/政治家)
「私は毎日鏡の前で問いかけている。もし今日が人生最後の日であるとしたら、今日予定されていることを本当にやろうとするだろうか。その答えが『ノー』である日が続くたび、私は何かを変える必要に迫られた。死と隣り合わせであると自覚しておくことは、人生を左右する決断をする際の最も重要なツールだ」(スティーブ・ジョブズ)
「今死ぬと 思うに過ぎし 宝なし 心にしめて 常に忘るな」という古歌もあります。
寺の掲示板に「お前も死ぬぞ」と掲げられたことが話題になったことがありました。寺の住職は、「人生の真実のあり方を端的に教えるのが仏教。死をひとごとに思いがちだが、死は誰にも平等に訪れる。そのことに目覚めることで、命や生き方を見つめ直してもらえれば」と語ります。
このように多くの人が死を見つめる大切さを訴えます。
しかし、ここで重要なことは、「死を直視する幸せ」も無常の幸福にすぎないということです。第2巻でも詳しく説明しましたが、大前提として正しい人生の目的を知っている必要があります。
世間の人は、死を直視して真剣になったところで何をするかというと、結局、無常の幸福しか知らないため、今までより真剣に無常の幸福を求めて人生が終わります。人生の目的がわからなければ意味がなく、せっかくの死の恐怖も手段として活かすことができません。死を直視する目的、無常観の目的は死の解決のためであり自己を知るためです。無常の幸福を求めるために死を見つめるのではないのです。死の解決という目的を知って初めて、死を直視することが活きます。
1.4無常観(死を直視する)
〇人生は苦なり
〇四苦八苦
〇煩悩
〇人間は必ず死ぬ
〇死の速さ
〇死の苦しみ
〇死は信じられない
〇死を直視する幸せ
〇不幸を勝縁にする