「生あるもの必ず滅す」といわれるように、すべての人は死から逃れることはできません。人間は必死に死に抵抗しようとしますが、必ず負けることが決定しています。
・致死率100%
幸せな時であろうと不幸な時であろうと、意識するとしないとにかかわらず死は確実に近づいています。
「人生は死に向かっての行進」と言った人もいますが、統計上は、死ぬ確率は年齢とともに上がり、最後は100%になります。
日本対がん協会が「がんは、万が一じゃなく二分の一」という広告を出していましたが、「死は、万が一じゃなく一分の一」です。
「人生でただ1つ確実なことがあります。人生の最終解答は『死ぬこと』だということです。これだけは間違いない。過去に死ななかった人はいません。人間の致死率は100%なのです」
「人間というのは、生まれた時から死に向かって不可逆的に進行する存在なのです」(養老孟司/解剖学者/東京大学名誉教授)
「症状軽減のため、医療を利用するのはいいでしょう。しかし、医療には、若返らせることもできず、死ぬことも防げないという『限界』が厳然としてあるのです。今後どんなに医療が発達しようとも、『老いて死ぬ』という大枠は、どうすることもできないでしょう」(中村仁一/医師)
「死は人間の貴賤、貧富、その他一切の差別を潰して平垣にする偉大なる平等実施者、ブルドーザーである。死は人間を虫ケラほども尊敬しない。執行猶予は贖うことができない。我々一人一人は否応なく死にとらえられてしまう」(モーリス・ローリングズ/医師)
・健康はない
WHOによれば、「健康とは、ただ疾病や傷害が無いだけでなく、肉体的、精神的並びに社会的に完全に快適な状態であること」とあります。
しかし、人間は確実に死に向かっているわけですから、すべての人間は不治の病にかかった病人と見ることもできます。
「生きているということは一つの病気である。誰もがその病気によって死ぬ」(ポール・モラン/作家)
「人生とは、病人の一人一人が寝台を変えたいという欲望に取り憑かれている一個の病院である」(シャルル・ボードレール/詩人)
阿含経には、「人間はあたかも、古びた車が革ひもであちこち補修されて、やっと動いているようなものだ」と説かれています。
・「仏教は暗い」
「仏教は暗いことばかりいうから嫌だ」とか「仏教を聞くと夢も希望もなくなる」と言う人がいます。このように、仏教に対してネガティブなイメージを持っている人は多いです。
確かに、仏教では暗いことばかりいいます。死は、その最たるもので、誰が聞いても暗い話でしょう。
しかし、仏教が暗いのではなく、現実が暗いのです。仏教は、悲観主義でも楽観主義でもなく現実主義です。現実が苦しく暗い世界であるために、現実をありのままに説く仏教も暗くなるのです。
そして、暗い現実を話す目的は真に明るくするためです。暗いトイレを考えずに明るい生活がないように、暗い死を直視することによって、真に明るい生が手に入るのです。逆に、暗い死を見つめないと生もおかしくなります。
「本来、『生死一如』、生と死はセットのはずなのに、死から切り離し、生のみが謳歌されてきました。その結果、すぐ自殺する、一度人を殺してみたかった、誰でもよかったなどと、『生』までがおかしくなってしまったような気がしてなりません」(中村仁一)
これまで説明したように、恐怖や不安など、あらゆる苦悩は立ち向かうか否かで真逆の結果となります。つまり、まず暗い現実を知り、さらに直視するという2つの段階を経て初めて本当の明るさが手に入るということです。このように仏教は中途半端に聞くと、諸刃の剣のように危険な側面があるのです。
そして、直視するといっても根本的な解決法がわからなければ、一時的な癒しで終わってしまいます。
1.4無常観(死を直視する)
〇人生は苦なり
〇四苦八苦
〇煩悩
〇人間は必ず死ぬ
〇死の速さ
〇死の苦しみ
〇死は信じられない
〇死を直視する幸せ
〇不幸を勝縁にする