心の病になって悪い結果を受けたと思っているでしょうが、そうとは限りません。

・異常なのか

心の病のレッテルが貼られ、「自分は異常者だ」と思っている人は多いでしょう。しかし、異常や正常の定義は、今でもはっきりとわかっておらず変わることがあります。

たとえば「同性愛」は、かつてはDSM(精神疾患の診断と統計マニュアル)に含まれていましたが今では正常と見なされています。

また、すでに明らかになっているように、精神障害者の犯罪率は一般より低いです。

「精神障害は薬物乱用の危険因子であり、それが次に暴力の危険因子となるのだ」

「薬物乱用こそが因果関係をつくるのであり、精神障害それ自体ではない。精神障害だけで暴力的傾向を強く示すことはないのだ」(ジュリア・ショウ/ロンドンサウスバンク大学法社会学部上級講師)

「市民の人権擁護の会」によれば、「精神科や心療内科でカウンセリングや治療を受けた少年や大人たちは、治療前には起こしたこともないような凶悪犯罪を起こすようになっている」とのことです。

国による違いも大きいようです。

日本では、国立精神・神経医療研究センターによれば、専門家を受診したことが友人に知れたら「とても」あるいは「いくらか」恥ずかしいと答えた者が43.2%となっています。

一方、在米ジャーナリストのエリコ・ロウによれば、「精神分析が定着した米国では心理療法に通うのは人目を忍ぶべきどころかステータス・シンボルでさえあり、お気に入りの心理療法士を生涯の伴侶と考えている人も少なくない」とのことです。

 

・DSMとは

ここでDSMについて簡単に説明します。

精神医学の分野で代表的な診断基準に2つあり、1つがアメリカ精神医学会(APA)によって作成された「精神疾患の診断と統計マニュアル(DSM)」です。第4版をDSM-4、第5版をDSM-5といいます。もう一つがWHOによって作られている「疾病及び関連保健問題の国際統計分類(ICD)」です。この2つのシステムについてDSM-4編集委員長のアレン・フランセスはこう説明します。

「現在、世界中で2つの診断システムが重複して用いられている。DSM-5とICD-10である。実のところ両者はとてもよく似ている。両者は近しい姉妹の関係にあるので、それも不思議ではない。どちらも同じ親(DSM-3)を少し修正しただけで、調和がとれるようはかられたうえで、同じ時期に作成された。

本物の姉妹と同様、2つのシステムは張り合っている。これまでのところはDSMのほうがずっと強い影響力を持っているが、DSM-5とICD-11のどちらが次の戦いで勝つかは、何年か経たないと判断できないだろう。

今のところ、DSMとICDを比べたときのそれぞれの長所はかなりはっきりしている。DSMは研究でずっと多く使われている。先進国の臨床医療では、両者はほぼ互角だ。より単純なシステムが求められる発展途上国では、ICDのほうが役立っている」

そして、DSMが世の中に与える影響の大きさについて、アレンは次のように説明します。

「DSMは正常と精神疾患の間に決定的な境界線を引くものであるため、社会にとってきわめて大きな意味を持つものになっており、人々の生活に計り知れない影響を与える幾多の重要な事柄を左右している」

また、精神医学者の村井俊哉(京都大学教授)は次のように述べています。

「DSMは現代精神医学の『聖書』である。そこに記載された内容は、そこに記された病気に該当したりしなくなったりする人、医療や福祉サービスを提供する立場にある人、製薬企業を含む関連する産業など、数えきれないほど多くの人の生活や人生に影響を与える。DSMは、いったん出版されれば絶対的な『聖書』の地位を獲得するが、その変更は、神の声ではなく、人間社会のさまざまな利害関心の影響のもとでつくられていく。すなわち、その絶対的な影響力と形成過程の不透明さがセットになって、その出版は大きな関心を呼ぶのである」

DSMに対する批判も多く、たとえば、精神科医の中安信夫(日本精神病理学会理事長)は著書「反面教師としてのDSM -精神科臨床診断の方法をめぐって-」の中で次のように主張しています。

「DSMが自壊しつつある。DSM-3、DSM-4の作成に深く関与するとともにAmerican Journal of Psychiatry誌の編集主幹としてDSM以外の基準を用いた研究論文を一切認めなかったナンシー・C・アンドレアセンが『DSMとアメリカにおける現象学の死』を書き、DSM-4作成委員長であったアレン・フランセスが2013年に出版されたDSM-5に対して『<正常>を救え』を著して警告を与える始末である」

「この四半世紀DSMを批判し続けてきた筆者にはその自壊は当然のことと思われ、また『精神科臨床の危機』ともいえる現状を乗り越えるための1つの方策として『DSMをぶっつぶすこと』をあげた身としては歓迎すべきことでもある」

「私から見ればAPAは金のために専門性という魂を悪魔に売り払ったとしか思えません」

「DSMを信じて使用してきた人たちは作成者たちの『気まぐれ』にまさに翻弄されてきた」

「アメリカの精神科医の中に『右手にDSM、左手に薬物療法アルゴリズム、これを持てば万全だ。ところで患者にどう接したらいいだろうか』という笑い話があるそうですが、さもありなんです」

「遅きに失した感は否めませんが、いくらなんでももうこれ以上はDSMに踊らされるのを止めるべきではないでしょうか!」

 

・「異常」が増やされている

また、現代では正常も異常にされてしまいます。

「いくらでも病名をつけられるのが、精神科です。そして新しい病名がつけられて、薬がどんどん使われるという負の構図が繰り返されるのです」(銀谷翠)

 

「精神医療従事者たちは環境要因を無視することで人生を何らかの精神疾患に診断し、自らの職業の安定を確保している。今や何の障害にもあてはまらないのは死人だけである」

(ジョセフ・アーパイア/医学博士)

 

「遅刻すればうつ病、早く着けば心配性、時間通りなら強迫観念」というジョークもあるようです。

 

・心の病は悪とは限らない

善悪というのは広い視点で見ないと判断できません。

たとえば、心の病をきっかけに人生について深く考え、無常の幸福を求める生き方から死の解決を求める生き方へ方針転換したなら、心の病になったことは悪とは限りません。

世間の人でも、「心の病になってよかった」という人は多いです(もちろん、これはある程度苦しみが和らいだ人ですが)。

また、天才と呼ばれるような人たちは、しばしば何らかの「障害」があるようです。ピカソは学習障害があり、ゴッホは鬱病、ドストエフスキーはてんかんがあったとされています。そのため、「ゴッホも同じ心の病にかかっていた」という具合に心の病を自慢する流行も過去にありました。

 

・健康が善とは限らない

同じように、心の病が治ったり健康であることが善とは限りません。心の病になったことに感謝できるか否かは、その後の生き方次第ということです。

 

・正常な心の病もある

たとえば、釈迦の悩みは実存的な悩みであり、人間苦であり、人間として正常な悩みです。この釈迦の悩みも現代では心の病にされ、異常とされるのでしょう。

「仏教の聖者たちの呈したノイローゼ様症候群は、主体的精神次元の世界における、現存在を超越せんとして発した実存的苦悶であります。これに反し凡人の陥るノイローゼは、客観的次元の世界における平均値より下降して、そこにもがく苦悩であって、まったく質を異にするものであります」(岸本鎌一/精神科医/名古屋大学名誉教授/「人間回復の道―仏教と精神医学」より)

 

「多くの場合、この精神的進化に目覚めない人のほうが、動物的欲求の中で生き生きと生き、かつ動物的欲求の中で価値づけられた社会の中で、あたかも聖者の如く、君子の如く振る舞うことができる。実際には自己自身に目覚めていないにもかかわらず、動物的欲求にとりつかれ、本物の自分として生きようとしていないにもかかわらず、このような人たちが社会の第一線の上に立つことが極めて多い。そのために社会の価値観はますます動物的欲求を増長させる方向に働き、精神的進化に目覚めた者を病的として排斥してしまおうとするのである。この矛盾とも思える社会現象を、キルケゴールは『死に至る病』の中で次のように語っている。

世間と呼ばれているものは、もしこう言ってよければ、いわば世間に身売りしているような人々からだけ出来上がっているのである。彼らは自分の才能を利用し、富を蓄積し、世間的な仕事を営み、賢明に打算し、その他いろいろなことを成し遂げて、おそらくは歴史に名を残りさえもする。しかし、彼らは彼ら自身ではない。彼らがその他の点でいかに利己的であろうとも、精神的な意味では何らの自己をも彼らは所有していない」(望月清文)

心理学者のクラーク・ムスターカスは、「この世に生まれ、激しく生き、ひとりで死んでゆくことの本質にある孤独が、実存的孤独である」と言いました。

凡人でも実存的孤独を感じています。しかし、その孤独感が弱いため釈迦のように強くする必要があります。この釈迦が感じた実存的な孤独感が、仏教で説く無常観というものですが、無常観については後述します。

 

・治せないことが1番の問題

精神医学の1番の問題は、やはり治せないことにあるでしょう。百歩譲って釈迦の悩みを「心の病」にして何かしらの病名をつけ、異常な精神状態であるとレッテルを貼るところまではよしとしましょう。しかし、その「心の病」を薬で治そうとしたり間違った治し方をしているのです。

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1.2人生の目的(正しい生き方を優先する)
〇誰もが幸せを求めている
〇幸せの欠点
〇人間は目的がわからず生きている
〇死の解決
〇心の病は悪なのか
〇気にする
〇根本的に違う療法