しかし、これら世間一般で幸せとされるものには次のような致命的な欠点があります。

・続かない

・安心できない

・満足できない

・幸せは相対的

・苦しみが解決できない

・不幸になる人がいる

・有無同然

・死

・幸せになれない

 

・続かない

まずは、続かないという欠点です。

仏教には諸行無常という言葉があります。一切のもの(諸行)は続かない(無常)という意味です。

物理学でも関連する法則に、熱力学第2法則(いわゆるエントロピー増大の法則)があります。自然のままにほったらかしにすると、秩序ある状態から無秩序の状態へ変化するという法則です。

哲学には「同じ川は2度入れない」という言葉もあります。

人間にとって何より重要なのは、幸せが無常であるということです。今日あっても明日どうなるかわからない幸せなのです。

平家物語の冒頭には次の有名な一文があります。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者もついには滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ」

「盛者必衰」「栄枯盛衰」といった言葉は、諸行無常の代名詞のように使われる言葉ですが、どんなに成功していて幸せな人であっても必ず衰退するという意味です。

また、たとえ「幸せの形」が続くことがあっても、中身である幸福感が続くとは限りません。幸福感が続かないことは、脳科学的には脳内快感物質の減少という形で示されているようです。

そして、「歓楽極まりて哀情多し」という諺の通り、楽しければ楽しいほど終わりが寂しいように、強い幸せを感じた後は苦しくなります。

 

・安心できない

また、続かないために様々な苦悩が生じます。

たとえば、失う不安がつきまといます。恋愛している人であれば失恋の不安があり、仕事をしている人であれば仕事の不安があるという具合です。幸せであればあるほど、失った時の落差は大きくなるため、失うことへの不安も強くなります。

「科学が発達し物質的な面ではずっと幸福になったものの、われわれすべての心の底にある、安全を求める願いが満足できないのである。社会保険があっても、将来のことが心配だ」(アレクシス・カレル/1912年ノーベル生理学・医学賞受賞)

南こうせつの代表曲「神田川」の中に、「何も怖くなかった。ただ貴方のやさしさが怖かった」という歌詞があります。普通は優しくされれば嬉しいものですが、「怖い」と言っています。

失う不安があるから優しくされるほど怖いということです。

お笑いタレントの内村光良は、「今やゆるぎない地位を築かれて、内村さんほどになれば、もう安泰ですよね」と聞かれて次のように答えています。

「いや、まったくです。いつ売れなくなるか怖いですし、お呼びがかからなくなったら終わりだなと思います。いま、ありがたいことに、お呼びがかかってるからなんとかやれているということですね」

同じくお笑いタレントのブルゾンちえみも次のような話をしています。

「“35億”がヒットしてからは、新ネタのことばかり考えていました。受ければ受けるほど次のネタをどうしようかと不安になるんです。ドラマの話が来た時も、バラエティに出て力を蓄えるべきじゃないかと心配でしょうがなかった」

プロ野球選手の森本稀哲も次のように告白しています。

「レギュラーに定着し活躍したと言われますが、自分は必死。毎朝起きたら『結果を残さないとはずされる』と不安になり、結果が残っても寝る前は携帯電話で打率をチェックして、『これで明日もチャンスがある』っていう連続」

この失う不安や恐怖から、様々な苦しみが生み出されます。

とえば「幸せ恐怖症」と呼ばれる心の病もその1つでしょう。失う恐怖から自ら幸せを壊したり、罪悪を造ったり、高じると自殺してしまう人もいます。

元プロ野球選手の清原和博は、ファンがヒーローのイメージで見ることに「不安で不安で仕方なかったんです」と言います。

「僕は何が欲しくて、きついトレーニングをやったかというと、やっぱりファンの声援だったと思うんです」

「いまだに、生き方ということには苦しんでいます。もうずーっとそうですね、もうずーっとです・・・・・。結局、ホームランより自分を満たしてくれるものはない。でもそれを、もう味わうことはできなかったし、それに代わる目標もなかった。それで、どんどん生活が荒れていきました。幸せな家族がありながら、僕は誰にも応援されない。ホームラン打者でもない自分が嫌で嫌で仕方なくて、お酒に逃げて行きました」(清原)

ちなみに、清原を1年間インタビューした鈴木忠平は次のような感想を語っています。

「目の前にいたのは、私たちの知っている清原和博ではなかった。変わり果てた、英雄の『抜け殻』だった。その衝撃はインタビューが進むにつれて、イメージとの落差を浮き彫りにし、さらに深く我々を打ちのめした。私たちはどこかで美しい物語を期待していたのかもしれない。ヒーローは必ず立ち上がる。清原は今も清原である、と。あの日、ホテルの一室で我々が向かい合った現実は、そういう妄想を一瞬でぶち壊した。人をここまで変えてしまうものとは何なのか。その闇の深さが、底知れなさが、我々から言葉を失わせた」

「かつての英雄を別人に堕としたのは覚醒剤だ。アンフェタミン系の精神刺激薬。白い粉末や結晶という形のある、目に見える、現実に存在する物質だ。だが、それに手を伸ばした心の病巣には実体がない。清原氏の胸のうちに深く潜んでいるものが何か、いつ芽生え、いつから蠢き出したのか、本人すらわかっていない」

「ひょっとしたら、これがかつてのスターを救うきっかけになるかもしれない。そんな期待も少しはしていたと思います。ただ、そんな優等生じみた大前提は、あなたの生々しい現実と、おびただしい矛盾の前に消し飛んでしまいました。たどり着いた先に、答えも光もありませんでした」

「あなたの、あまりに巨大なそれの前に気づきませんでしたが、記録者としてあなたの『告白』に向き合うということは、私にとっても自分自身の中にある、人としての矛盾や闇を突きつけられるということでした」

「あなたは、あらゆる人間がかかえる業の塊であり、その有り様を世に残すための1年だったと今は言い聞かせています」

 

・満足できない

満足できないという欠点もあります。

周知の通り、現代の日本は物質的には世界で最も恵まれた国の1つです。科学が発達し、物質的には電気等がなかった昔の殿様より良い生活をしているともいえるでしょう。

世界101か国の検索データを基に作成された「世界の引っ越したい国人気ランキング」で、日本は2位だったといいます(ちなみに1位はカナダ)。このように日本の生活に憧れている人は多く、そういう人から見れば、日本人は生まれながらにして「成功者」です。

しかし、幸せという点ではどうでしょうか。

国民生活白書(平成20年版)には、いわゆる「幸福のパラドックス」と呼ばれる次のような分析結果が載っています。

「1980年以降1人あたりGDP(国民総生産)は年々増加傾向にあるのに、国民の生活満足度は上昇せず、横這い傾向にある」

「所得水準が低い途上国と、所得水準が高い先進国を比較しても、生活満足度はあまり変わらない」

便利や贅沢に慣れると、その便利や贅沢は、もはや便利や贅沢ではなくなり、当たり前になり感動がなくなります。

アインシュタインは、「この壮大な応用科学は、労力をはぶき、暮らしを楽にしてくれるのに、なぜ幸せをこんなにわずかしかもたらしてくれないのでしょうか」と言いました。

「近寄れば さほどでもなき 富士の山」という歌があります。富士山は遠くから見れば美しく見えますが、近づいてみるとゴツゴツとした岩肌が目立つなど、それほどでもないという意味です。幸福も同じことがいえます。手に入れる前は美しく輝いて見え、「手に入れれば、きっと大きな幸せを感じることができる」と思っても、いざ手に入れてみるとさほどでもない幸せだということです。

満足するどころか、手に入れれば入れるほど、もっともっと欲しくなります。

「誰もが自分の選んだ運命や偶然与えられた運命に満足せず、他の道を歩んだ人々を羨むのはどういうわけだろう」(ホラチウス/詩人)

 

「ありがたい身分だとは思うよ。でも人間ってホント欲深い。ちょっと前まで、この状態にあることを望んでいたはずなのに、いざそうなってみると、あれが無くなった、あれは無理なんだ、というのが出てくる」(マツコ・デラックス/タレント)

 

「なんで満足できないのだろう。思っていたのと違う。俺だけ損してるんじゃないかと思うわけ」(有吉弘行/タレント)

 

これは渇愛といって、書いて字の如く、渇いたように激しく執着する煩悩が人間にはあるためです。

「適一つあればまた一つ少けぬ。これあればこれ少けぬ。斉等にあらんことを思う」(大無量寿経)

(訳:たまたま一つが得られると他の一つが無くなり、これが有ればあれが無いという具合に、すべてを手に入れたいと思うのである)

 

「目標を達成したのだから、以後の人生はとても幸福なものになるはずだと、読者は思うのではないか。生活していくのに、もはやたいした努力をする必要はないし、幸せに満ちた毎日が送れるに違いない。そう思うのだ。ところが、そうは問屋が卸さないのである。目標を達成したことで、しばらくは幸福感に浸っていたとしても、人は比較的早くもとの幸福度に戻ってしまい、次の大きな目標の達成を渇望し始める」(ロバート・クルツバン/ペンシルベニア大学准教授)

 

哲学者のショーペンハウエルは、「富は海の水に似ている。それを飲めば飲むほど、のどが乾いてくる」と表現しています。

 

・幸せは相対的

たとえば、10cmの鉛筆があるとします。この鉛筆は20cmの鉛筆よりは短いですが、5cmの鉛筆よりは長いです。10cmの鉛筆そのものは、長いとも短いとも言い切れません。このように、比較するものによって変化することを相対的といいます。

人間の知恵は相対的な知恵であり、相対智とか分別智といいますが、幸せも相対的です。

つまり、「絶対的な幸せや不幸」というのはないということであり、その人の精神状態によって、あることが苦にも楽にも変化するということです。次のような言葉は、幸せが相対的であることを教えています。

「世の中には幸福も不幸もない。ただ、考え方でどうにでもなるのだ」(ウィリアム・シェイクスピア/劇作家)

 

「不幸はナイフのようなものだ。ナイフの刃をつかむと手を切るが、とってをつかめば役に立つ」(メルヴィル/小説家)

 

「異なる精神にとっては、同じ世界が地獄でもあり、天国でもある」(エマソン/哲学者)

 

「楽観主義者はドーナツを見、悲観主義者はドーナツの穴を見る」(オスカー・ワイルド/劇作家)

 

「苦しい時には自分よりもっと不幸な男がいたことを考えよ」(ポール・ゴーギャン/画家)

 

幸せが相対的であることから様々なことがわかります。

たとえば、人との比較によって変化します。

「重要なのは、他人と比べたときの自己の能力なのである。その理由は、自分に対する需要が大きな意味を持つ現実社会では、社会において自らが占める相対的な位置が、絶対的に重要になるからだ」(ロバート・クルツバン)

 

上と比べれば苦しくなり、下と比べると幸せを感じます。

どれほどセレブになっても、周りがセレブだらけだと恵まれているとは思えません。

世界的に見れば恵まれた環境にいる日本人が、恵まれていると実感できない原因の1つとして、身近な人と比較するからです。

「英国では、失業率が高い地区の失業者ほど不幸ではないことがわかった。仕事に就く可能性が減ることによる幸福の代償は、周りに多くの失業者がいるおかげでさほど恥を感じないことで得られる幸福の利得より少ないように思われる」(キャロル・グラハム/メリーランド大学公共政策学部教授)

 

「実のところ、ある程度裕福な生活をしている人の主観的な幸福度というのは、お金が増えてもあまり変わらないようなのである」

「お金と幸せの関係で大事なのは、自分と周囲の人との相対的な収入の違いである。

日本は戦後、高度成長期を経てバブル期に至るまで、物質的な豊かさを手に入れてきた。それにもかかわらず、1958年から1987年の間に、主観的幸福度の国民平均はまったく上昇していない。この間、収入は5倍に増えているにもかかわらず、主観的な幸福度はまったく変わっていないのである。つまり、人がその時代において幸せだと感じているかどうかに、収入は影響していないのである。

当然、現代人が戦後の貧しい暮らしに戻れと言われたらそれは不満だろう。でも、その時にその環境で生きている限りにおいては、別に不幸だとも感じていないのである。これは日本に限った話ではなく、イギリスでもアメリカでも確認されている一般性のある現象だ」(金井良太/元英国サセックス大学准教授)

ある日、ギリシャの大富豪アルチビヤデスがソクラテスのもとへやってきて、自分が所有する広大な土地を自慢しました。

それを聞いたソクラテスは、何を思ったのか世界地図を持ってきて、それを広げました。

「その土地がどれだけ広いのか教えてくれ」

その言葉に驚いたアルチビヤデスが「いやいや、点にもならないよ」と言うと、ソクラテスは「点にもならない土地をもって、君は何を喜んでいるのかね」と言ったといいます。

大きなことを成し遂げ、大きな幸せを手に入れたと喜んでいても、それはもっと大きな世界と比較できていないからです。

学歴も同じです。他の学校と比較して優越感を感じている東大生もいれば、周りの東大生と比較して劣等感を感じている東大生もいます。

あらゆることに同じことがいえます。

誰もが大なり小なり「自信」を持っていることがありますが、比較する対象によって自信を持ったり失ったりするのです。

また、自分との比較によっても幸福感は変化します。

「人は自分のおかれた経済的状況そのものよりも、給料が上がったり下がったりという微小な変化に対して幸不幸を感じる。 

宝くじの当選者を研究した例があるが、宝くじがあたってお金持ちになれたとしても、その幸せは一時的なものですぐに消えてしまう。その逆もしかりで、大事故にあって人生がめちゃめちゃになってしまったような状況でも、不幸に感じる思いは長続きせず、人はその状況を受け入れてしまう。

つまり、物質的な豊かさによって得られる幸福度というのは、絶対的なものではなく、自分の過去と比較して相対的に感じているだけのものである。だから金銭的に幸せな気分でい続けるためには、常に今よりも高い収入へとステップアップし続けなければ満足できないことになる。だからこそ、どれだけお金があっても、さらにお金が欲しいと人は求め続ける。

国の経済成長は、政治課題としても一般市民の生活問題としても重要であるにちがいない。しかし、お金に対する幸せの評価がいま述べたように相対的なものだとしたら、皮肉なことに国民全員の給料があがっても、国民全員が幸せになるわけではなさそうだ。もしそうなら、とっくに日本人は幸せになっている。ジェレミー・ベンサムは『最大多数の最大幸福』を倫理の原点として掲げたが、国民の収入を上げるだけでは不十分で、お金とは別の心理的かつ主観的な観点から幸福について考える必要があるだろう」(金井良太)

 

「人は、その脳の特性から、欲求を充足する方向に行動する。そして人には、1つの欲求が充足されると次の段階へさらに欲求を進めようとする傾向がある。このため、人は現在その人の置かれた位置がたとえ他人から高く羨ましいと思われていても、その位置そのものには満足できない。むしろ、欲求のベクトル(方向)が上向いていると思うことによって幸福感が得られるのである。したがって、人の幸福度とはその人がいる位置ではなく、そこから向かうべき方向が上向きかどうかによって決まるといえる」(松本元/脳科学者)

 

「本来王位にあるべき人が、王位を奪われていれば、自分を不幸だと思い、自分の現在を悲しく思う。彼が、現在の自分を悲しく思うのは、本来王位にあるべき身が、王位にいないからだ。同様に、片眼の人が自分を不幸だと感じるのも、本来人間が2つの眼を備えているはずなのに、それを欠いているからだ。人間というものが、もともと目を1つしかもっていないものだったら、片眼のことを悲しむ者はないに違いない」(吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」より)

 

もっと便利なものができると、今まで便利だったものが不便に感じるようになります。

生まれつき障害がある人は障害を不便と思っておらず、人生の途中で障害を持った人は不便だと感じるようです。

 

・苦しみが解決できない

苦しみには、大きく生活苦と人間苦の2種類があります。

生活苦は、名利が手に入らない苦しみです。名利とは、名聞利養の略で、名誉と利益の意味です。生活苦は、名利を手に入れれば一時的には解決できます。

一方、人間苦は、名利では解決できない人間の根本的な苦です。たとえるなら、深海のように海底にドーンとへばりついているような苦で、海面が台風で荒れようが穏やかになろうがピリッともしません。人間苦を感じた人の言葉をいくつか紹介しましょう。

元ボクシング世界王者の鬼塚勝也は次のような話をしています。

「勝つためやったら死んでもええくらいの気持ちでおりました。それで死んでも後悔しないと。その気持ちはボクサーになって以来、ずっと持っていました。少年の頃、世界チャンピオンはスーパーマンみたいな存在やと思ってきた。俺にとっては神様に近い存在ですよね。凡人の俺が、そんな凄い場所に辿り着くことができたら、いったいどんな凄い人間になれるんだろう。そのことだけを励みにここまで頑張ってきました。

しかし、試合に勝ってみたものの、あるはずのものが何もないんです。

『エッ、何なのこれ?なんで、何もないんや?』

『いや、次勝てばきっと何かが得られる』

そう信じて、次から次へと試合を積み重ねていきました。だけど何も残らない。試合が終わった夜は、生き残れた実感と自分が探し求めたものが何もなかったという寂しさで発狂しそうになりました。俺は常に素直に飛び跳ねる自分でおりたいのに、充足感がないから、『何でや?』という思いばかりが虚しく深まっていく。最後の試合までずっとその繰り返しでした」

また、小説家の村上春樹は次のような話をしています。

「すごく不思議なのだけれど、小説が十万部売れている時には、僕はとても多くの人に愛され、好まれ、支持されているように感じていた。でも『ノルウェイの森』を百何十万部も売ったことで、僕は自分がひどく孤独になったように感じた。そして自分がみんなに憎まれ嫌われているように感じた。どうしてだろう。表面的には何もかもがうまく行っているように見えた。でもそれは僕にとっては精神的にいちばんきつい時期だった」

「こういうことを言うのが僭越で傲慢であることはわかっているのだがそれでも・・・・。僕はどうしてもある種の切なさから逃れることができなかった。何が切ないのかはよくわからないのだけれど、でもどうしようもなく切なかった。どこに行っても自分の場所がみつけられないような気がした。自分がいろんなものをなくしてしまったような気がした」

 カリフォルニア大学サンフランシスコ校医学部教授のディーン・オーニッシュは次のように述べています。

「大きな成功をおさめた人たちには感情的な苦痛は少ないように見える。だが、実はそうではないかもしれない。むなしさを金や地位、美、力、名声などで測られる成功で埋めようとするのは、炎を消そうとしてガソリンをぶっかけるようなものだ」

 

この人間苦が高じると、後述するように芥川龍之介や太宰治のように自殺までいってしまいます。

また、タレントのやしきたかじんは、「金があっても食道が買えん、命は延ばせん」と言って死んでいきましたが、人間苦はもちろんのこと、生活苦も解決できないことのほうが多く、解決できても一時的なものです。

人間の死後は地獄ですが(詳しくは第1巻)、何より深刻なのは、死や死後の地獄を解決できないことです。

経には、幸せを手に入れて、苦しみが減ったように感じたとしても、それは大海の水が2、3滴減ったようなものであると説かれています。

 

・不幸になる人がいる

この世は競争社会です。

有限の富を一か所に集めれば、不幸になる人が出てきます。先進国の豊かな生活の背景には途上国の苦しみがあります。合格したと喜ぶ人がいれば、その分、不合格となって苦しむ人が出ます。名医の裏にはたくさんの練習台となった患者がいます。笑顔の食卓の裏には食材にされた動物たちがいます。薬を飲んで病が治った喜びの裏には残酷な動物実験があります。

このように人間の幸せの裏には、膨大な人や動物たちの苦しみがあるのです。小説家のロマン・ロランが、「どんな幸福も、他の人間の苦悩を食って生きているのだ」と言った通りです。

ちなみに、名利を手に入れた人を人間は心から褒めることがありませんが、こういったことを感じ取っているのが一因でしょう。

 

・有無同然

これまで説明したように、幸せを手に入れたために新たに生じる苦しみがあります。

作曲家のモーツァルトは「新しい喜びは、新しい苦痛をもたらす」と言い、劇作家のバーナード・ショーは、「人生には二つの悲劇がある。一つは願いがかなわぬこと、もう一つはその願いがかなうこと」と言いました。

「好事も無きに如かず」という言葉もあり、「たとえ良いことであっても、それがあると煩わしいので、むしろ何事もないほうがよい」という意味です。

多くの人は、「無いよりは有ったほうがいい」と思うかもしれませんがそうではないのです。

有っても無くても本質的な苦しみは変わらない、ということを有無同然といいます。釈迦は、有無同然について、「金の無い者は鉄の鎖で縛られ、金の有る者は金の鎖で縛られているようなものだ」とたとえています。

子供は早く大人になりたいと思い、大人になれば子供に戻りたいと思うのもそうです。

独身が結婚に憧れ、結婚すれば独身の気楽さを羨むのもそうです。哲学者のキルケゴールは、「結婚したまえ、君は後悔するだろう。結婚しないでいたまえ、君は後悔するだろう」と言いました。

ビジネスマンが成功に憧れ、成功すれば責任がない気楽さを羨むのもそうです。

物が豊かになればなるほど、科学が発達すればするほど、便利になればなるほど幸せも増えるように錯覚してしまいますが、残念ながら、人間の心はそういう仕組みになっていません。満足するどころか不幸の種になることが多いのです。

「『物』を持てば持つほど大きな喜びにつながるという神話とは裏腹に、先進国における精神疾患や鬱病の発症度、不満の度合いは世界最高レベルなのです。相次ぐ調査でその証拠が固められているように、物質的なものを持てば持つほど幸せになるわけではありません。多ければ多いほど、大きければ大きいほど、新しければ新しいほどいいとは限らないのです。物質的な富で心の貧しさを覆い隠しているなら、どれだけ『物』があっても、その結果生じる空しさは埋められないでしょう」(アーヴィン・ラズロ/ニューヨーク州立大学教授)

 

心理学者のティム・カッサー(ノックス大学教授)は20年以上にわたって何百もの研究を調査した結果を次のように言います。

「物に大きな価値を置けば置くほど幸福感は薄くなる。これは日々、広告から受け取るメッセージとは対照的です。広告は物質主義や所有欲の追求、物を所有することで幸せになると言います。誰もが抱える人生の問題の解決法は消費だと言っているのです」

2013年の日本の自殺率は世界7位でG7中1位、15~39歳の各年代の死因の第1位は自殺となっています。

2020年9月に国連児童基金(ユニセフ)が公表した報告書によると、日本の子供は「身体的健康」では1位だったものの、幸福度は最低レベル(先進・新興国38カ国中37位)だったとのことです。

「社会はこの50年の間に大きく進歩した。絶対的貧困が減り、身体的健康が向上し、教育水準が上がり、住環境もよくなった。しかし、いまだにアメリカやイギリスなどの先進国でも、ほとんど50年前と変わっていない不幸なことがある。社会問題や家庭内の対立は昔と変わっておらず、犯罪や反社会的行動は増えている。収入や教育、身体的な病気、住環境といった外在的な問題を解決するだけでは、これ以上の穏やかで幸せな生活を生み出すことはできない。私たちは何かを忘れている。すなわち、私たちの心である」(デイヴィッド・クラーク/オックスフォード大学教授)

 

「調査によると、長時間テレビを見ている人たちのほうが不安が強く、他人を信用せず、物質主義的で、自分の人生に満足していない傾向がある」(ダニエル・アクスト著「なぜ意志の力はあてにならないのか」より)

 

いくつか事例も見てみましょう。

まずは「華やかな世界」の代表格といっても過言ではない芸能界からいくつか紹介しましょう。

ZIPという朝番組で、その時の出演者であった5人のAKBのメンバーにこんな質問がされていました。

「人生をやり直すならもう一度AKBをやりたいか?」

すると、5人中4人が「普通の女の子として一生を過ごしたい」と回答したのです。

AKBといえば、21世紀にCDデビューした日本のアーティストで最高売上を記録するなど、今や国民的アイドルです。憧れて入りたい女の子も非常に多いはずです。しかも、この4人は人気ランキングにおいて最上位7位以内にランクインしており、通称神7(セブン)とも呼ばれる、トップアイドル中のトップアイドルです。

しかし、その選ばれた当の本人たちは、同じことは2度としたくない、と言っているのです。ちなみに、5人全員がこの放送から数年以内にやめています。

EDM(Electronic Dance Music)界で最も人気のあるDJといわれていたアヴィーチー。彼は28歳の若さで自殺していますが、生前、ローリングストーン誌のインタビューでこう答えていました。

「成功したことで得たチャンスや安心感には感謝しているよ。世界中を飛び回って演奏できるなんて本当に恵まれているとわかっている。でも、アーティストとしての人生が大きくなりすぎて、人間としての人生がほんの少しになってしまった」

「どう生きるかを考える必要にかられた。成功するために成功を求めているって感じだったから、もう幸せを感じられなくなっていたのさ」

アヴィーチー(サンスクリット語で無間地獄の意味)は、自らアヴィーチーに堕ちてしまいました。

登録者数は1億人を超え、「世界で最も有名なYoutuber」ともいわれるピューディパイは活動休止の理由を聞かれ、こう答えています。

「もう決めたことだから、前もって伝えておこうと思う。僕は疲れたんだ。本当に疲れた。はっきりとした予定は決めていないが、来年の初め頃からしばらく休息をとる」

他にも、成功の苦しみを訴える人は数多くいます。

「有名になるのがどんなことか誰も教えてくれなかったの。『名声は誤解のひとつの形である』。この言葉はいつでも頭の片隅にあるわ」

「名声なんて幻だって言ったり、そのことに注意を向けてくれたりする人が誰もいなかったとしたら、気づきたくても気づきようがないでしょう?」

「カッコよくても、お金持ちでも、有名でも、それだけでは意味がないの。それ自体は幸福をもたらしてくれないのよ」

「すべてがすごく均質化されてるでしょ。この美しい人生の魅力だ、とか、この車に乗れば人気者になれる、っていう具合に。これってほんとに強力な幻想で、人はそれに夢中になっちゃうのよ」

「こんな風にすれば幸せが手に入る。この服を着れば、みんなからちやほやされる。そんなのはぜんぶ幻想よ。でも、ものすごくパワフルな幻想だから、わたしをはじめ、誰もがその虜になってしまう。わたしはもう目が覚めたけど」

「そう、すばらしいことがすべてあたしに起こったわ。でもまだハッピーじゃない」

「富と名声を手にして20年たった今、やっと自分の意見をはっきり述べる権利を得たような気がするわ。今みんなが心を奪われてるのはセレブになることだけ。言っとくけど、そんなのナンセンスよ。そのことをあたし以上にわかってる人がいるかしら?」

「成功する前は、名声の代償がどういうものかまったくわからないものよ。有名になってはじめて、それに気づくのね」

「名声なんてくだらない。それはわたしがいちばんよく知っている」

「みんな誤解しているのよ。人は名声を手に入れたら、多くの人から愛され、幸福な人生を送れると考える。だけど、私と同じ立場の人はみんな、その反対に真理があると答えるわ。本当に愛されているという実感もなく、何千人もの人に賞賛されても、かえって虚しさを感じさせられるだけ。名声は麻薬に似ている。それは、自分の本当の価値を見失わせてしまうの」

「お金が増えれば増えるほど、問題も増えていくのよ。昔は無一文だったあたしが今はある程度稼ぐようになったけど、手元に残ってるのは問題だけ。お金がない頃、なんとか生き延びてた頃、人生は単純だったわ」(マドンナ/歌手)

 

「家買ったりマンション買ったり、家建てたりやなんか、なんの感動もないね。どうでもいいと思ってるもん、家なんか。頭ん中から車だとか時計だとか、なくなっちゃったよね。買って見たら『こんなつまんなかったっけ?』というような。無理やり買うもん見つけたりなんかしたり、高い酒とか、女がいる店とか、無理やり行ってるだけで、なんにも興味なかったよ、やっぱ」

「だから俺、金持ちがボランティアやるのわかるわ。いや、やりたくないよ、別に。やることねえからやってんだから」(ビートたけし/お笑いタレント)

 

「有名であるということ、それは毎日の減食療法みたいなもので、満たされることがないのです。嬉しいと思うことはあっても、一時的なものです。ちょうどキャビアみたいなものね。食べるときは素敵ですけれど、食事ごとに毎日毎日それが出てきたら、素敵ではなくなります」

「名声を得るってことは特別な重荷を背負うってこと」

「映画女優であることは、メリーゴーランドの上で生きているようなものなのよ。旅行しても、メリーゴーランドの上をぐるぐる回っているだけ」(マリリン・モンロー/女優)

 

「(活動休止の理由について)ほんとに狭い世界で生きてたんだなって事に、気づかされて」

「仕事のプレッシャーとか、私に求められてたものから逃れたかった」

「ホントわからないけど、できたら外国でボランティアとかやりたい。なんかゼロの状態で人と接するというか、特別扱いされない・・・・、私なんかカフェでウエイトレスやったらほんと使えない奴で怒られると思うんだけど、この仕事(音楽)、得意なことばっかりやってるとなんかバカになっていくような気がして、今、誰も私に変な指示とかしないし、音楽的にも『これはないんじゃない』とか言う人はいないし、ほんと私を叱る人もいない・・・・」

「自分のイメージだけがどんどん大きくなって本来の自分とかけ離れてしまって、しまいには自分でもどんな状況に置かれているのか、自分の事なのによくわからなくなっていた」(宇多田ヒカル/歌手)

 

「名声とは残酷なものだ。名声を得たために大きな孤独を味わうなんて、最悪な類のカルマだよ。名声を得た人間は群れからはぐれたガゼルのように、ライオンの群れにたちまち行く手を行く手を阻まれてしまう」(ブラッドピット/俳優)

 

「ドラマの現場を楽しいと思ったことは1度もなかった。『早く終わらないかな』と思っていた」

「正直、明日どうなるかわかりません。もしかしたら自殺しているかもしれないですね」(香取慎吾/タレント)

 

「名声は危険なものです。なぜって、私は身をもって知っているからです。名声には不安がつきまとう。私は拍手が恐いのです」

「昔は成功が人生の唯一の目的だと思っていたわ。でも、そのときはまだ若くて分別がなかったから」(マリア・カラス/オペラ歌手)

 

「芸能界ってこんなに大変なのかな。外を歩くだけでプライベートのこと、いろいろ言われたりして、汚い世界だなと思った。辞めたいなと思ったりもしました」(きゃりーぱみゅぱみゅ/歌手)

 

「(事務所を退所して)いまの気持ちを表すとしたら、『すがすがしい』の一言」

「仮面をつけて自分を偽り続けるのはもう限界でした」

「事務所をやめると話したときに、『大人になりなよ』とアドバイスしてくれた方もいます。その方のおっしゃることは理解できます。だけど、ここで言う『大人になる』って、どういう意味でしょうか。『妥協できるようになる』『しようがないと思いながらやれるようになる』ってことですよね。私は妥協して生きていくような大人にはなりたくなかった」(ブルゾンちえみ)

 

カートコバーン(アメリカのロックバンド、ニルヴァーナのボーカル)はショットガンで頭を撃ち抜いて自殺しましたが、彼は次のような遺書を残しています。

「僕はもう長い間ずっと、何かを読んだり書いたりするだけでなく、音楽を聞くことにも作ることにも、喜びを感じなくなってしまっていた。僕は、これらのことを言葉にできないほど罪深く感じている。たとえば、僕らがバックステージにいるとき、ライトが消え、熱狂した群衆の叫び声がはじまっても、それは僕には響かない。

僕は、誰にも嘘をつきたくない。それはフェアじゃない。

僕が考える最も重い罪は、まるで100%楽しいかのような振りをして、人々を騙すこと。

ときどき、僕はステージに向かう前に、まるでタイムカードを押しているかのような感覚を覚えていた。僕は、それに感謝するために、力の限りすべてのことを試してみた(本当なんだ、信じてくれ。でもそれでも十分じゃないんだ)」

 

カーペンターズも、成功がなければ心の病にならなかったかもしれません(巻末付録参照)。

芸能界以外にも見てみましょう。

「カタログをながめては、お金を湯水のように使う夢にひたっていた」というココ・シャネル。

6人ほどの縫い子とともに始めた仕事から、ニューヨークタイムズ誌で「20世紀最大のデザイナー」と評されるまでになります。

特にシャネルにとって初めての香水となる「シャネルの5番」は、1921年に発売されてから1997年に至るまで世界中の香水の売り上げのトップを誇るなど、シャネルの地位を不動のものとします。元産経新聞パリ支局長で「ココ・シャネルの真実」の著者である山口昌子は「シャネルの5番」について、「シャネルの名を不朽にすると同時に、莫大な財政的成功をもたらし、経済的にも自立した20世紀の解放された女性の代表の地位を与える結果となった」と言います。

夢が叶ったといえるシャネルですが、彼女は次のような苦しみを吐露しています。

「鏡の残酷さは、私自身の残酷さを教えてくれる。ひとりのあわれな女」

「私は退屈していたのだ。暇と金のある連中が味わう、あの恥ずべき退屈」

「活動的な私だが、その底にひそんでいた遊惰な資質」

「要するに私はハーレムの女になりたいと願い、願い通りの経験をし、その経験が終わったのだ」

「鮭釣りに明け暮れる生活は人生ではない。どんな惨めさも、こんな惨めさよりはましだ」

「わたしはもはや願い事をかなえてもらいたいと胸ときめかすこともできなくなった」

「すべては何にゆきつくかというと、倦怠と寄生生活にゆきつくだけなのだ」

「孤独は恐ろしい。だのに私はまったくの孤独の中で生きている。一人ぼっちでなくなるためなら、どんなにお金を出してもいいわ。一人で食事をするぐらいなら、街のおまわりさんを呼んできたっていいと思うほどよ。だけど私が出会うのは心無い連中ばかり。だけどそんな思いにひきずられてゆくと、メランコリーにとりつかれて、いつしか淵にはまってしまう」

晩年のシャネルは、孤独による不安や恐怖などの症状と不眠症に悩まされ、1日1本のモルヒネ注射が欠かせなくなっていたといいます。

当時、最年少でミシュラン3つ星を獲得した料理界の鬼才、マルコ・ピエール・ホワイト。しかし、彼は星を突如返上します。その理由をフォーブス誌にこう語っています。

「星をもらうのはいいんだが、それを維持するとなると、まあ、ちょっとその・・・・疲れるんだ。そして、私には3つの選択肢があった。

その1、栄光の地位にとどまり続けるために、三ツ星シェフとしての感覚を維持する努力をする。

その2、実際には厨房に立っていない時でも自分が腕を振るっているように見せかけ、客人には『ミシュラン価格』を請求する。自分で自分の人格を疑いながらね。

そしてその3、勇気を奮って、ミシュランの世界に宣言をする。すなわち、三ツ星シェフの名を返上し、引退するとね」

彼はこのように言い、「守らなければならない、他人が作った評判がなくなって、自由になったよ」と言います。

また、ミシュランガイドで18年連続で三つ星を獲得してきた「ブラス・ル・スケ」のオーナーシェフ、セバスチャン・ブラスは、「私たちはたくさんのものを手にしてきた。しかし、同時に三つ星があることで大きな重圧を抱えてきた。緊張を感じることなく穏やかにもっと自由な気持ちで料理に取り組みたい」と語り、覆面調査員による抜き打ち調査や、常に評価に応えるプレッシャーから解放されたいとコメントしています。

ミシュランの評価は本国フランスでは相当なもので、過去にはプレッシャーから自殺した人もいます。

リアリティ料理番組「トップシェフ」に出演しているヒュー・アチソンは次のように語ります。

「料理業界はストレスだらけで、シェフたちは常に監視されている状態です。強烈な個性を持った多くの人たちが特別なことを成し遂げようと、しのぎを削っています。この状況を生き抜くのは容易ではなく、犠牲者が出るのも不思議ではありません」

CNNのフードブログ「Eatocracy」を運営しているライターのカット・キンズマンは、600人以上の料理人を調査、その結果、多くの料理人が、うつ病、不安神経症、薬物乱用に苦しんでいることが明らかになったといいます。

売れっ子のCMディレクターだった杉山登志は、次のような遺書を残し自殺しました。

「リッチでないのに リッチな世界などわかりません ハッピーでないのに ハッピーな世界などえがけません 夢がないのに 夢をうることなどは・・・・とても 嘘をついてもばれるものです」

 「こじらせ女子」という言葉を生んだ作家の雨宮まみは40歳の若さで亡くなっていますが、彼女は死ぬ少し前に次のようなブログを書いています。

「死にたくなる夜というのが、やってくる。たいていはそのたびに、薬を飲んで、寝ようとして、眠れなかったり、でもほかのことでは気を散らすことができなかったり、朝日がのぼるまでの時間を、苦しいまま過ごすことになる。

『死んでもいいですか?』と、誰かに訊きたくなる。否定してほしいわけじゃない。死んじゃダメだと言われたいわけじゃない。心配なんか、かけたくない。でも、その言葉は甘えだと、よくわかっている。死んでもなにも起こらない。あとに残された人がいろいろ面倒だろうから、申し訳ないだけで。

それでも、この苦しさがあとどれだけ続くのかと思うと、耐えられなくなって、ベランダからじっと地面を見つめるときがある。冷たい手すりを握って、いつでもこの苦しみと決別しようと思えばできるのだ、と心に言い聞かせる。

死んだら、みんな、『わたしたちと一緒にいる時間は楽しくなかったの?』と思うだろう。

『笑っていたけど、あれは嘘だったの?』『苦しんでいることに気づいてあげられなかったの?』

そんなことない。全部本当で、楽しくて、愛されていることも知っていて、ただ、わたしにはわたしの、どうしようもない傷がある、というだけのことなんだ。

時間が経てば、こんな傷、何も感じなくなるときが来る。経験でわかっていても、人の心は、なぜこんなふうに揺れるようにできているんだろう。

『この先の景色を見たい』という気持ちが、わたしにはない。いつも、ずっと、一度もない。

『この人と一緒の時間を過ごすには、残りの人生は短すぎる』と思ったことは、一度だけある。

誰かと出会ったり、ものすごい才能を見たり、ひどいものに触れたり、そういうことがあるたびにまた、あの冷たい手すりを握りしめて、『もうここまででいい』と思うんだろう。

いつも、手すりから引き返した日常を生きている。普通に笑って、話して、食べて、仕事をして。

そうじゃない日常が、どこかにあるんじゃないか。手すりを引き返すなら、もっと、思い切り、もっと、何か、強烈な何かが欲しい。たまらなくそう思うときがある。感情が、すこし、過多なのだろう。明日が、強烈な一日であるように。『これでいいんだ』と思えるような決断ができるように。引き返した先のほうが、ずっといいんだと実感できるように。夜が過ぎるのを待つ」

以前、スポーツ選手や俳優など、各分野の有名人が何人か集まる番組で、「自分の子供にも同じ仕事に就いてほしいですか?」と聞かれて、全員が「就かせたくない」と言っていました。

有無同然の真理は、偉大な科学者となっても同じです。

アインシュタインも次のような孤独感を語っています。

「こんなに広く知られていながら、こんなに独りぼっちだけというのは奇妙なことだ。しかし、実際この類の人気は、その犠牲者を防御的な立場に押しやり、それが孤立につながるのだ」

大統領になっても同じです。

アメリカの歴代大統領43人のうち、16人が深刻な暗殺計画の標的になっており、うち4人が殺害されています。

王子様やお姫様になっても同じです。

イギリスのダイアナ妃はパパラッチに追いかけられて死んでしまいました。息子のヘンリー王子も「メディアによって自分のメンタルヘルスが破壊されていた」と言い、妻のメーガン妃も王族の一員になることについて、「人が想像するのとは違っていた」「さまざまな発言や行動を制限された」「もうすでに多くを失っている」などと語っています。2人とも王室を離れましたが、「本当に解放された気分です」と言っています。

皇族となって幸せになれるなら、日本の皇太子妃も心の病で苦しまないでしょう。

結婚しても同じです。

高橋ジョージと離婚した三船美佳は「今まで気にならなかったことが凄く気になる」と語っていました。

家族ができても同じです。

「家族」というのは「大切なもの」の代名詞のような存在ですが、だからこそ大きな苦しみも伴います。釈迦は子供が生まれた時、「束縛する者が現れた」と言い、「束縛者」を意味するラゴーラと名づけています。東京大学名誉教授の矢作直樹は次のように、母親が死んだとき幸福感に満たされたと語っています。

「母の死を受け入れたとき、私は、これでもう心配しなければならない人はいなくなったという思いが湧き上がり、その瞬間言葉では言い表せない大きな安堵感、幸福感のようなものに満たされました」

女優の岡江久美子は「孫が来た 初めエンジョイ 後メンドイ」と言いました。

 

第1回芥川賞受賞者である石川達三の著書「幸福の限界」には次のようなセリフが出てきます。

「犠牲のない人生なんてあるかい。人間のすることにはすべて、いかなる場合にも犠牲があるんだ。人間は誰しも幸福を求める。その幸福は多くの犠牲を払って初めて求め得られる」

このように、一切の幸福は有無同然の幸福なのです。

これまで見てきたように、「無い」という幸せがあります。

小説家の林芙美子は、「ああ、生きるのがこんなに難しいものならば、いっそ乞食にでもなって、いろんな土地土地を流浪して歩いたら面白いだろうと思う」と言いました。

人間にはフーテンの寅さんのような生き方に憧れる心があるのです。

ホームレスを見て「かわいそうに」と思ったり、あるいは軽蔑したり、ホームレスに転落することに怯える人は多いですが、そう単純な話ではありません。自分のほうが「かわいそうな生活」をしているかもしれないのです。

念のため言いますと、無くても苦しみであることに変わりありません。

たとえば、無ければ楽になると考えて、手に入れた幸せを捨てたり、幸せを手に入れる努力をしない人は多いです。また、無い幸せを強調する仏教徒も多いです。

確かに、有るという苦しみはなくなりますが、その幸せも無常であり、今度は無い苦しみが出てきます。無常である以上、有っても無くてもどこで何をしても根本的に人生は苦しみであり、すべての人間は「かわいそうな生活」をしているのです。

 

・死

無常の最たるものが死ですので、仏教では無常といった場合、特に死を指します。どんな幸せも、死ぬ時には100%消えます。死は、あらゆる幸せを一瞬で破壊する力をもっているのです。については後で詳しく説明します。

 

・幸せになれない

他にも幸福には数々の重大な欠点があります。

幸せを追いかけている時は、「これさえ手に入れれば、きっと幸せになれる」ぐらいに思っていますが、どれほど幸せを手に入れようが期待しているような幸せは存在しません。人間は幸せになれないようにできています。

外から見ていると、幸せを手に入れている人を羨ましく感じたり、幸せが実在するように見えますが、いざ手に入れてみると雲のように実体が無いことがわかります。

「青春とは、奇妙なものだ。外部は赤く輝いているが、内部ではなにも感じられないのだ」(サルトル/哲学者)

 

「幸福は遠くの未来にある限り光彩を放つが、つかまえてみると、もうなんでもない。幸福を追っかけるなどは、言葉のうえ以外には不可能なことである」(アラン/哲学者)

 

「この世の生活の幸福を求める私たちの計画は、すべて幻想なのである」(ルソー/哲学者)

 

「人間はあらゆるものを発明することができる。ただし幸福になる術を除いては」(ナポレオン/政治家)

 

ドイツの詩人カール・ブッセの詩に「山のあなた」というものがあります。

「山のあなたの空遠く、『幸(さいわい)』住むと人のいう。ああ、われひとと尋(と)めゆきて、涙さしぐみ、かへりきぬ。山のあなたになほ遠く、『幸』住むと人のいう」

(訳:山のはるか向こうには幸せがあると人々は言う。それを聞いて私たちは山の向こうへ行くが、そこには幸せはなく、泣きながら戻ってきた。しかし、それでも山の向こうには幸せがあると人々は言う」

この詩のように、「期待するような幸せはないのではないか」と薄々感じている人はいますが、周りの人が「頑張ればいつかきっと幸せが見つかるよ」などと言うので、他に幸せになる方法も考えられないし、「やっぱりそうか」と自分を納得させてしまうのです。

京都大学名誉教授の岸根卓郎は、次のように「相対的幸福は、幸福の価値基準には決してならない」と言います。

「財産や地位や名誉などの他人と比較してみて初めて感じる幸福は、基本的には、見た目の相対的な幸福で、それは見せかけの有無同然の幸福であるから、いくら追求しても心から満足できる絶対的な幸福(真の幸福)では決してない」

「では、なぜ相対的幸福はそれを追求すればするほど不幸になるのか。それは相対的幸福には基本的には次のような欠点があるからである。すなわち、どこまで求めても限界がない、いつまでも続かない、最後には必ずなくなる、競争心を煽り立て、他者との争いの原因になる」

次へ「人間は目的がわからず生きている」

前へ「誰もが幸せを求めている」

 

1.2人生の目的(正しい生き方を優先する)
〇誰もが幸せを求めている
〇幸せの欠点
〇人間は目的がわからず生きている
〇死の解決
〇心の病は悪なのか
〇気にする
〇根本的に違う療法