これほど重要な善知識ですが、善知識は「雨夜の星」で、遇うことが非常に難しいのです。山口善太郎は、「真の知識にあいたやと 聞かば千里のその外の 海山越えても厭わじと 狂い廻れる甲斐もなく」と言いました。
経には、優曇華(三千年に1度咲く伝説上の華)のように稀有なことであると説かれています。また、ヒマラヤ山の頂上から糸を垂らして、ふもとの針の穴に通すよりも難しいことであるとも説かれています。
「真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし」
(訳:善知識に遇うことは、難の中の難である)(高僧和讃)
正信偈に「善導独明仏正意」という一文があります。これは「善導独り、仏の正意を明かにす」と読み、「善導ただ独りが、正しい仏教を知っていた」という意味です。
善導とは、今から1300年前の中国は唐の時代の仏教者です。
当時の唐は仏教が盛んで、寺の数は4万箇寺以上、僧侶の数は30万人以上もいたといいます。その中において、善導だけが正しい仏教に明らかだった、裏を返せば、善導以外のすべての僧侶は正しい仏教を知らなかった、と言うのです。
「これだけいるのだから、1人しかいないなんて信じられない」と思うかもしれませんが、これは少しも誇張ではありません。現代にも「仏教の先生」と呼ばれる人は多くいます。しかし、彼らが正しい仏教に明らかであるかというとまったく違う実態があります。死の解決という体験がないのはもちろんのこと、正しい仏教者と呼ぶには程遠いのです。
ほとんどの人は善知識に遇えずに一生を終えます。つまり、ほとんどの人は死の解決ができず、死後が地獄だということです。
〇善知識に遇うチャンス
遇い難い善知識に遇うことができれば、千載一遇のチャンスであり、これほど有り難いことはありません。
・最高の幸せ
善知識に遇うことは、人間にとって最上の幸せです。
「諸の愚者に親近せずして、諸の賢者に親近し、また供奉すべき者に供奉す、これ最上の吉祥なり」(大吉祥経)
(訳:一切の悪知識に近づかず、仕うるに値する善知識に近づき仕えることが、人間にとって最上の幸せである)
もっと言えば、「若きとき、仏法は嗜め」ですので、若い時に善知識に遇うことができれば、もっと有り難いことです。
「存在と時間」などで知られる哲学者のハイデガーは、晩年になって仏教を知り、「もし十年前に仏教を知っていたらギリシャもラテン語も勉強しなかった。日本語を学び、その教えを世界中に広めることを生きがいにしたであろう。だが遅かった」と語ったといいます。
・あと少し
ゴールするには、大きく次の3つの難を突破する必要があります。
1.人間に生まれる難
2.善知識に遇う難
3.他力信心を獲る難
善知識に遇ったということは、あとは最後の「他力信心を獲る難」を突破するのみであり、ゴールまであと少しです。
「人身受け難し、今すでに受く。仏法聞き難し、今すでに聞く。この身今生において度せずんば、さらにいづれの生においてかこの身を度せん」(三帰依文)
(訳:人間には生まれ難いが、今すでに生まれている。真実の仏教には遇い難いが、今すでに聞いている。今生において死の解決ができなければ、いづれの生でできるというのだろうか)
過去の自分の努力や善行を誇りに思い、今生で求め切るべきです。
・善知識が若いうちに求める
「若きとき、仏法は嗜め」は説く方にもいえます。
つまり、善知識も年を取り、病気になったり身体が動かなくなったりするため、善知識が若いうちに求めるべきです。
ですので、より正確には、求道者と生きた教授の善知識の両者が若く健康なうちに求道することができれば、それが人間にとって最高の幸せなのです。
・日本に生まれる有難さ
現代の日本に生まれる有難さというのは色々とありますが、なんといっても日本には大乗仏教があります。
また、教えを裏づける超心理学や量子論といった科学もあります。信教の自由といった憲法の保障もありますし、インターネットを使って簡単に世界中の人とつながることもできます。
親鸞は、「日域は大乗相応の地なり」と告げる夢を見たと言っていました。「日本は大乗仏教が栄えるのに相応しい土地である」という意味ですが、このことを裏づける結果となっているといえるでしょう。
これだけの条件が揃っている国は他になく、過去の日本においてもありません。これだけ恵まれた環境にいながら求道がゴールできないというのは実に情けないことです。
第3章 善知識
3.1 善知識の種類
3.2 善知識の仕事
3.3 善知識の必要性
3.4 善知識に遇う難しさ
3.5 悪知識とは
3.6 知識選びの重要性
3.7 善知識を信じる力
3.8 善知識の願い
3.9 善知識の恩を知る