世間事でさえ良き指導者なしに大きな成功を収めることは難しいものです。

「『一万時間の法則』の生みの親であるアンダース・エリクソンは、何らかの分野の第一人者になるには、方法は1つしかないと言う。それは、良き指導者につくことだ。

このことは、教育学者のベンジャミン・ブルームが行った、世界的に成功したアスリート、科学者、芸術家を対象にした調査結果でも裏づけられている。これらの個人はほぼ例外なく、国際的レベルに達することを目的として、師の下で研鑽を積んだという。

世界で最もクリエイティブな91人にインタビューした心理学者のチクセントミハイは、これら超一流の人々の共通点を見出した。ほぼすべての人が大学時代までに、彼らにとって重要な役割を果たす指導者についていることだった」(エリック・バーカー著「残酷すぎる成功法則」より)

まして死の解決です。第1巻から説明してきたように、そこに至る方法は人間がいくら考えてもわかるものではありません。

〇善知識なしに死の解決はできない

その方法を教えてくれる方が善知識なので、善知識の存在は人間にとって必要不可欠です。

・善知識は全因縁

全因縁と半因縁という言葉があります。

全因縁とは、赤ん坊が親によって育てられるようなもので、すべて親の力で大きくなるため赤ん坊にとって親は全因縁となります。

半因縁とは、労働者が雇い主のおかげで生活させてもらうようなもので、生活できるのは雇い主のおかげですが、半分は自分の力で働いて生活しているため、労働者にとって雇い主は半因縁となります。

善知識は全因縁です。ですので、善知識は父母のような存在です。

「善知識は、是れ汝が父母なり、汝らの菩提心を養育するが故なり」(安楽集)

また、善知識は、何が善で何が悪なのかを教えてくれる、いわば眼のような存在です。

「善知識は、是れ汝が眼目なり、よく一切の善悪の道を見るが故なり」(安楽集)

そして、善知識は、人生という苦しみの海から救い出す船のような存在です。

「善知識は、是れ汝が大船なり、汝らを運度して生死の海を出だすが故なり」(安楽集)

 

・善知識まかせ

善知識は、宿善に匹敵するぐらい重要な存在であり、求道は善知識まかせといっても過言ではありません。

「仏法を聞きて生死を離るべき源は、ただ善知識なり」(浄土真要鈔)

(訳:仏法を聞いて苦悩の根本解決をする源は、ただ善知識だけである)

 

「宿善開発して善知識に遇わずは、往生は叶うべからざるなり」(御文)

(訳:宿善開発して善知識に遇えなければ、往生は叶わない)

 

「曠劫多生のあいだにも 出離の強縁しらざりき 本師源空いまさずは このたびむなしくすぎなまし」(高僧和讃)

(訳:極めて遠い昔から何度も生死を繰り返してきた間にも、死の解決という道を知らなかった。善知識と遇えてなければ、今生も死の解決ができずむなしく過ぎていただろう)

 

今日、偉大な善知識と評されるほどの天才にも必ず先生がいます。それだけ、善知識なしには求められないということです。

 

〇生きた善知識の重要性

死んだ善知識よりも生きた善知識のほうが重要です。

死んだ善知識が書き残したものから学ぶこともできますが、それは難しいことです。

たとえば、経典でいえば、2500年以上前のサンスクリット語で書かれています。1文字を正しく解釈するだけでも難しい作業ですが、それが何千巻もの膨大な量があります。

また、たとえ理解できたとしても、今の自分に何が不足しているのかまでは教えてくれません。

科学が発展し、たとえば人工知能なども手段として期待できるでしょうが、近づくことはできても人間の代わりというのはやはり難しいようです。

「レイ・カーツワイルというgoogleにいる研究者が・・・・おじいちゃんですけどね、いずれ人工知能が人間を超える、その時点をシンギュラリティと言っています。僕はそうは思いません。彼は人間のこと、特に人間の怪しい能力がわかっていない。いまでも、たとえば将棋とか碁では人工知能のほうが強い。一部の能力は人間をはるかに超えています。ところが、人間固有の無意識レベルの働きとか、直感とか、透視能力とか、遠隔治療とかの能力はフォン・ノイマン型といわれる、いまのコンピュータでは手も足も出ない」(天外伺朗/元ソニー上席常務/ペットロボットAIBO開発責任者)

 

こういった理由から、生きた善知識に近づくことが大切です。

 

〇無意識に求めている

マッチングしないだけで、意識するとしないとにかかわらず、すべての人は真実の幸福を求め、その幸福を教えている真実の仏法を求めています。つまり、人間は、意識するとしないとにかかわらず、善知識を求めているということです。

・善知識に遇えないとどうなるか

善知識に遇えない場合、死の解決ができません。死の解決ができないということは、つまり地獄に堕ちるということです。

「善知識にあいたてまつらずは、われら凡夫かならず地獄に堕つべし」(執持鈔)

(訳:善知識に遇わなかったならば、すべての人間は必ず地獄に堕ちる)

 

・臨終に必ず善知識を願う

人間は無意識に善知識を願っていますが、特に臨終は、「死にたくない」「助かる方法があるなら知りたい」と藁をも掴む思いになり、強く願うようになります。

「一たび地獄に入りて長苦を受くるとき はじめて人中の善知識を憶す」(般舟讃)

(訳:一度、地獄に入って長い苦悩を受ける時に、初めて人間界の善知識を憶い後悔する)

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第3章 善知識
3.1 善知識の種類
3.2 善知識の仕事
3.3 善知識の必要性
3.4 善知識に遇う難しさ
3.5 悪知識とは
3.6 知識選びの重要性
3.7 善知識を信じる力
3.8 善知識の願い
3.9 善知識の恩を知る