善知識といっても様々なタイプがいます。

〇大きく3種類

善知識と呼ばれる人は、大きく3種類に分けられます。

・教授の善知識

「教授」という言葉は現代でも使われますが、元々は仏教の言葉です。教授の善知識とは死の解決の体験に加え、教学と開顕力を兼ね備えた人のことです。善知識といった場合、通常は教授の善知識を指します。教授の善知識はたくさんの人を導く力を持っていますが、仏教の歴史を見ても数えるほどしかいません。

 

・同行の善知識

同行とは、「極楽に行くために同じ行をしている人」を意味します。死の解決の体験はありますが、教学や開顕力があまりない人のことです。そのため同行の善知識は、教授の善知識のようにたくさんの人を導く力はありません。教授の善知識は、世界中、日本中といった規模の人を導くことができますが、同行の善知識は村単位しか導くことができないという具合です。教授の善知識と違い、同行の善知識は数多くいます。

 

・外護の善知識

仏教を外側から護る人を、外護の善知識といいます。

たとえば、仏教を広めようとする人や団体に財政的な援助をしたり、様々な危険から護ったりします。死の解決の体験も教学も開顕力もない人でも、このような役割を果たしていれば外護の善知識と呼ぶことが多いです。外護の善知識も数多くいます。

 

〇レベルは様々

以上は大まかな分類で、実際にはもっとレベルは様々です。世間でも「先生」と呼ばれる人にレベルがあることと同様です。たとえば、教授の善知識の中でもレベルがあります。普通の教授の善知識が何万年に1人という割合に対して、特に優れた教授の善知識は何兆年に1人といった具合です。

 

〇仏縁を与えるすべての人

かなり広い意味ですが、仏教を聞くきっかけを与えてくれた人も善知識と呼ぶこともあります。たとえば、病人を見ることによって無常を観じ、仏教を聞くきっかけとなれば、その病人が善知識になるという具合です。

「自ら法を説きて聞かする人ならねども、法を聞かする縁となる人をも善知識と名づく」(浄土真要鈔)

(訳:自身が正しい仏法を説く人間ではなくとも、仏法を聞かせる縁となる人も善知識と名づけるのである)

 

〇生きた善知識

善知識には、今現在生きている「生きた善知識」と、すでに死んでいる「死んだ善知識」がいます。たとえば、釈迦はすでに死んでいるので、死んだ善知識です。

・善知識に遇うということ

通常、「善知識に遇う」といった場合、生きた善知識に遇うことを指しますが、死んだ善知識が残した著作物等を通して正しい仏教に遇うことができれば、その場合も「善知識に遇う」といいます。