求道は悟りを開く道です。何を悟るのかというと、人間が幸せになる真理を悟るということです。

一言で「悟り」といってもレベルがあります。瓔珞本業経には、次のように悟りには52段階あると説かれています。

 

十信:1段目~10段目の悟り

十住:11段目~20段目の悟り

十行:21段目~30段目の悟り

十廻向:31段目~40段目の悟り

十地:41段目~50段目の悟り

等覚:51段目の悟り

妙覚:52段目の悟り

 

これまで「悟り」のことを「死の解決」と言ってきましたが、死の解決は正確には51段目の悟り(等覚)を指します。

そして、悟りを開くには、大きく自力仏教と他力仏教の2つの方法があります。

〇自力仏教

〇他力仏教

〇宗派

〇真実の経

 

〇自力仏教

自力で52段ある悟りを1つ1つ上がって行く方法で、聖道仏教ともいいます。

・誰もできない道

結論から言うと、この方法は三祇百大劫という途方もない時間がかかり、人間にはできません。

大集経には次のように、釈迦入滅後に仏教が衰退するさまが予言されています。

 

正法(釈迦死後500年間)教・行・証

像法(正法が終わって1000年間)教・行

末法(像法が終わって1万年間)教

法滅(末法以降無窮)

 

教は聖道門の教えのこと。

行は聖道門の教えに従って修行すること。

証は修行の結果得られるさとりのこと。

 

正法・像法・末法の三時代を三時ともいいます。

現代は、1500年以上経過しているので末法です。末法の時代は、聖道門の教えはあっても、修行ができる人はいません。もちろん悟りを得る人もいません。

「我が末法の時の中に億億の衆生、行を起こし道を修せんに、未だ一人も得る者あらず」(大集経)

(訳:末法の時代は、聖道門の修行をしても、一人も悟りを得る者はいない)

 

「釈迦の教法ましませど 修すべき有情のなきゆえに さとりうるもの末法に 一人もあらじとときたまう」(正像末和讃)

(訳:釈迦の教えはあるが、教えの通り自力で修行できる人はいないので、悟りを得る者は末法には一人もいないと説いている)

「世も末」という言葉もあるように、末法は救い難い世です。末法の世のことを五濁悪世ともいい、次の五つの濁りがある悪い世であると説かれます。

 

劫濁:戦争や疫病、飢饉が多くなる

見濁:思想の乱れ

煩悩濁:愛憎の乱れ

衆生濁:衆生の質が低下し、十悪をほしいままにする

命濁:短命になる

 

龍樹でさえ41段目の悟りまでしか開けなかったといいます。人類の歴史上、自力で41段より上の悟りを開いた人はおらず、41段まで開いたのは龍樹と無着の2人だけとされています。自力仏教がいかに難しい道であるか、一生懸命求めた人たちがいるので何人か紹介しましょう。

中国禅宗の祖、達磨は、壁に向かって9年間座禅を組んだという人です。やがて手足が腐り、このままだと命が危ないため両手両足を切断したといいます。今日、一つのことに忍耐強く努力することを「面壁九年」といいますが、この達磨のエピソードに由来します。そんな達磨でさえ、30段ほどまでしか悟りを開けなかったといいます。

その達磨の弟子に慧可という人がいます。

慧可が達磨に入門を請うた時のことです。

「お前は入門する器ではない」

こう言われ帰されましたが、覚悟してやってきた慧可は引き下がれません。しかし達磨は話を聞いてくれません。そこで、慧可は大雪が降る中、門前で一晩中座り続けました。

明け方、門前に座る慧可を達磨が見つけました。

「いくら頼んでも許さんぞ」

すると慧可は、その場で自分の腕を切り落としました。そして、その血が滴り落ちる腕を達磨に差し出しました。

「これでも許して頂けませんか」

それを見て達磨は入門を許したといいます。

これほどの人ですから、その後も熾烈な修行をし、達磨の後を継いで中国禅宗の第二祖となりました。

今日、非常に強い決意を示すことを「慧可断臂」といいますが、この慧可のエピソードに由来します。

鎌倉時代の華厳宗僧侶、明恵も戒律を非常に厳しく守っていたことで知られています。

「母親以外、眼を上げて女を見なかった」とか、「椎茸が好きで椎茸好きの上人と呼ばれたことを恥じに思い、以後一切口にしなかった」といったエピソードがあります。

ある時、明恵のために弟子が雑炊を作った時のことです。思わず明恵の口元がほころびました。しかし、1口すすると明恵は顔色を変え、じっと考え、何を思ったのか引戸の縁に溜まっていたほこりを指先ですくい、それを雑炊の中に入れました。

そして、今度は苦虫を嚙み潰したような顔をして食べ始めました。弟子たちは掃除の手抜きを責められたと思い謝りました。すると明恵は、「いやいや、そうではない。お前たちが作った雑炊があまりに美味しく、心を奪われないようにするためにこうしたのだ」と言ったといいます。

また、明恵は肉体の一部を切り取ろうとまで思い詰めたことがあります。目を潰せば経典が見えなくなり、腕を切れば印が結べなくなると思ったため耳を切り落としてしまいました。

これほどの修行をしていた明恵ですが、ある時、持っていた数珠を落としそうになり、それをとっさに拾い上げ、ほっと安堵した瞬間、開いていた悟りがすべて崩れたといいます。

同じく鎌倉時代の僧侶、親鸞は煩悩を消すため、比叡山で20年もの間、血みどろの修行をしました。

中には有名な千日回峰行もあります。

この修行は、地球1周分の距離を走ったり、堂入り(9日間、堂に籠って水や食、睡眠を断ち、横にもならず不動明王に向かい続ける)といった荒行です。非常に厳しい修行ですが、途中で失敗することは許されません。もし失敗すれば、腰に着けた短刀で自害しなければならなかったのです。明治以降は禁止されていますが、当時はそうではなく、実際命を落とした人は少なくありませんでした。

親鸞は、こういった修行よりも厳しい修行をしたといいますから、人間ができる限界に近い修行をしたといえるでしょう。

ところが、その修行の結論を親鸞は次のように語っています。

「定水を凝らすといえども識浪しきりに動き、心月を観ずといえども妄雲なお覆う。しかるに一息追がざれば千載に長く往く、何ぞ浮生の交衆を貪りて、徒に仮名の修学に疲れん。須らく勢利を抛てて直ちに出離をおもうべし」(歎徳文)

(訳:波一つ立たない水面のように心を静めようとしても煩悩の荒波がしきりに動き、心に悟りの月を観じようと思っても煩悩の群雲が覆ってしまう。一息切れたら地獄に堕ちて果てしなく長く苦しまなければならない。世間事に心を奪われ、死ぬ時には何の役にも立たない勉強をしている場合ではない。すぐにこれらを捨てて死の解決を求めなければならない)

 

浄土真宗本願寺派祐光寺の住職、野々村智剣は、千日回峰行を満行したとされる光永澄道(天台宗大僧正)について次のようなエピソードを語っています。

「そのときは、所用があるとかで光永さんとご一緒することになりました。私たちの仕事はたいてい若い人との共同作業で、そのときも行動を共にしていました。帰り道ですから若者はどんどん先に行き、私と光永さんは遅れて、ようやく駅へたどり着いたとき、若い人たちはゼイゼイと息を切らしているのは最初、私かと思ったそうですが、振り返ってみると光永さんご本人だったので、びっくりしたと言ったのでした。それはそうでしょう。回峰行という修練を積んだ人が、籠山を終えてたった5年という静止のあいだに、短い坂道すら息を切らす人になっていたのです。

私はこのとき、自力聖道ということの、ひとつの限界を見る思いがしました。このことは、光永さんご自身が気づいておられて、12年間の籠山ののちは、山麓に小さなお寺をかまえ、ひっそりと仏さまにつかえる暮らしを続けておられました。そして『今までは自力の修行にはげんできましたが・・・』と、暗に他力浄土門への回心を述べておられたものでした」

 最後にもう1人紹介しましょう。

九州は筑前国に、加藤左衛門繁氏という21歳になる侍がいました。繁氏は、九州6か国の領袖として権勢を誇り、19歳の妻と、3歳になる娘、千代鶴姫と暮らしていました。

ある日、妻と妾が仲良く将棋を差しているところを、繁氏は障子越しに見ていました。すると突然、2人の髪が逆立ち、蛇が絡み合っているように見えました。上辺は仲良さそうに振舞っていた2人ですが、内心は争っていたのです。

繁氏が城中で花見をしていた時のことです。

手にしていた杯の中に花びらが落ちてくるのを見て、繫氏は無常を観じました。すると家臣たちを前にこう言いました。

「私はたった今から出家して仏門に入りたいと思っている。このことは長い間悩み、考え抜いたことで、決して単なる思いつきではござらぬ」

妻も家臣も驚き引き留めました。

「私のお中には殿の子がおります。どうかこの子がうまれるまではお待ちください」

「わかった」と返事したものの、子供を見れば決心が鈍るに違いない、そう思った繁氏は次の書き置きを残し夜中に出ていきました。

(ひとり旅立つ私をどうか許してほしい。私のことは縁が薄かったものと思ってあきらめてくれ。もしできることなら、お前とは死後に弥陀の浄土で巡り会うことにしよう。おなかの子は、男に生まれたならば石童丸と名づけ出家させてくれまいか。女ならばお前の考えに任せよう・・・・)

そして、法然がいる黒谷へ向かい、名を苅萱道心と改めました。

出家して13年経ったある日のこと、残した妻と子が自分に会いにやってくる夢を苅萱は見ました。

家族に会ってしまうと心が乱れ、長年の修行が水の泡になってしまうと思い、法然の元を離れ高野山を目指しました。

その時、夫が黒谷にいることを知った妻は、千代鶴姫を残し、石童丸をつれて黒谷に向かいました。

しばらくして、本当に2人がやってきたので法然は驚きました。そして、母子を不憫に思い、苅萱が高野山に行ったことを伝えました。

しかし高野山は女人禁制です。そのため石童丸だけが登りました。

登って7日目の朝、1人の僧とすれ違いました。苅萱でした。

そうとは知らず、石童丸は声をかけ、これまでの事情を話しました。苅萱が石童丸に気づくと、顔からは血の気が引き、心は激しく揺れました。今すぐ親子名乗りをしようと思いましたが、苅萱は心を鬼にして言いました。

「実は、苅萱道心は去年の夏に突然病気で亡くなりました。今日がその命日に当たり、ちょうど今お墓参りをしようと思っていたところでした」

信じたくない石童丸は「ならば、父の墓を見せてください」と食い下がりました。

苅萱は仕方なく、1つの墓を父の墓だと思わせました。これを見た石童丸はさすがに信じたのか、その場に泣き崩れました。

しばらくして気を取り直し戻ることにしますが、戻ってみると母が病で死んでいたことを知ります。

打ちひしがれた石童丸は、たった1人の肉親である姉の千代鶴姫に会うことにし故郷に帰りました。

しかし、帰ってみると千代鶴姫も死んだことを知らされます。

天涯孤独の身となり、すがるべき人は高野山で出会った僧しかいませんでした。

石童丸から2人の死を知らされた苅萱は言葉を失い、思わず一滴の涙を流してしまいました。その涙で13年間の修行がふいになったといいます。

このように恩愛の情は断ち難いものですが、それを断てというのが聖道門の修行です。

だから親鸞は修行に限界を感じたのです。

「恩愛はなはだたちがたく 生死はなはだつきがたし 念仏三昧行じてぞ 罪障を滅し度脱せし」(高僧和讃)

 

・煩悩を楽に変える

煩悩は消すことができません。では、どうしたら煩悩に苦しめられないようになるのか、その方法に2通りあります。

生きている限り煩悩は消えないわけですから、自殺するという方法があります。しかし、死後は地獄であり、もっと激しい苦がやってくるため、「飛んで火にいる夏の虫」で、この方法は間違いです。

もう1つの方法が煩悩を楽に変えるという方法であり、これが正解です。ある年少の修行者が、「これがあるばかりに修行ができない」と思い、男根を切ろうとしました。その心を見抜いた釈迦は、「男根を断っても色欲はなくならない。煩悩があるがままで救われる法を求めよ」と諭したといいます。いつの時代も、肉体の1部を切除すれば苦しみから解放されると考える人はいますが、その努力は徒労に帰します。煩悩を消さずに救われる道を求める必要があります。

 

〇他力仏教

自力仏教では助からないので、もう1つの方法を取る必要があります。それが他力仏教で阿弥陀仏の力で解決する方法です。結論から言えば、この方法しか苦悩の根本解決はできません。

「当今は末法にして、現に是五濁悪世なり。ただ浄土の一門ありて通入すべき路なり」(大集経)

(訳:現代は、末法の時代であり、実際に五濁悪世である。ただ浄土門のみが救われる道である)

 

「仏法に無量の門有り、世間の道に難有り易有り、陸道の歩行は則ち苦しく、水道の乗船は則ち楽しきが如し。菩薩の道も亦是くの如し。あるいは勤行精進のもの有り、あるいは信方便易行を以て疾く阿惟越致に至る者有り」(十住毘婆娑論)

(訳:仏法には無量の教えがある。目的地まで陸路を徒歩で行くのは苦しく、水路を船で行くのは楽であるように、世の中には、行き難い道と行き易い道がある。求道も同じで、死の解決をするために、非常に難しく時間がかかる道と、速く辿り着ける道がある)

 

「仏号はなはだ持ち易し、浄土はなはだ往き易し。八万四千の法門、この捷径にしくなし」(教行信証)

(訳:仏の名号は甚だ持ち易く、浄土は甚だ往き易い。釈迦が説いた無数の教えの中で、これ以上の近道はない)

 

電気など、自然界にある力を利用して人間は便利な生活を手に入れてきましたが、阿弥陀仏の力で人間は死の解決をすることができます。自力仏教と他力仏教は、それぞれ次のようにもいいます。

 

自力仏教・難行道・聖道門・自利仏教・釈迦仏教・堅超

他力仏教・易行道・浄土門・利他仏教・弥陀仏教・横超

 

・自力は方便

自力仏教は方便の道です。つまり、自力仏教は、「自分の力だけで助かってみせる」と自惚れている人に対して、「できるものならやってみなさい」と、他力仏教へ目を向けさせるために釈迦が説いたのです。

 

・自力に迷っている

しかし、自力仏教に迷う人は後を絶ちません。

「末代の道俗・近世の宗師、自性唯心に沈んで浄土の真証を貶し、定散の自心に迷いて金剛の真信に昏し」(教行信証)

(訳:末法の世の出家者や在家者、並びにこの頃の各宗の指導者は、自らの心の中に仏がいるという聖道門の間違った教えを信じており、浄土門真実の教えを貶し、定心と散心の自力の信心に迷って、他力の信心を知らない)

 

「聖道権仮の方便に 衆生ひさしくとどまりて 諸有に流転の身とぞなる 悲願の一乗帰命せよ」(浄土和讃)

(訳:聖道門の方便の教えに人々は長いあいだ止まっているので、迷いの輪廻から抜け出すことができない。唯一真実である阿弥陀仏の本願に帰依すべきである)

 

・方便に心を奪われる

真実に近づけるための方便であるのに、方便に心を奪われ、方便が目的となってしまっているのです。

自力と他力の関係に限らず、人間は方便に心を奪われやすいです。智度論には、「人、指をもって月を指して、もって惑者に示す、惑者指を視て月を視ざるごとし」と説かれています。これは、善知識が指(方便)で月(真実)を指しているのに、指に心を奪われて月を見ないようなものだという意味です。

 

・他力信心

求道は求信ともいわれ、信仰を求める道です。

「言葉による内省によって到達する悟りの境地も、最後は信ずるという無分別智によって初めて達せられるものである。仏教では、悟りによって得られる知恵を阿耨多羅三藐三菩提と呼んでいるが、この知恵を得るためには、『信力堅固』であらねばならないと、信ずることによってのみ到達できることを述べている」(望月清文)

人間の信心は自力信心といって、崩れやすく、壊れやすい偽の信心です。死のような圧倒的な苦しみがやってくると、どんなに強固な信念の持ち主でも一瞬で心が折れてしまいます。

一方、阿弥陀仏から賜る信心を他力信心といい、死が来ても絶対に崩れない真の信心です。聖道門では、まことの心があるとも磨けるとも思っており、まことの心をまことの心で磨こうとしていますが、そんな心は人間には用意できません。すべて阿弥陀仏より賜る心です。

「信心といえる二字をばまことのこころと読めるなり。まことのこころというは、行者のわろき自力のこころにては助からず、如来の他力のよきこころにて助かるがゆえに、まことのこころとは申すなり」(御文)

(訳:信心という二字は「まことのこころ」と読むのである。「まことのこころ」というのは、人間の悪い自力の心では助からず、阿弥陀仏の他力の良い心で助かるために、「まことのこころ」というのである)

他力信心だけが真実の幸福の定義を満たします。

「いつでもどこでも」という定義は阿弥陀経の六方証誠段に説かれており、「すべての衆生が救われる」という定義は大無量寿経に説かれています。

つまり、すべての生物は、意識するとしないとにかかわらず、他力信心という真実の幸福を求めて生きており、どんな学問にしても宗教にしても、最後は他力信心に辿り着くと大乗仏教は主張するわけです。

 

・信心の沙汰をすべき

無常観や罪悪観の目的は、他力信心を獲るためです。他力信心を獲ているかどうかを問題にしなければなりません。

「かたく会合の座中において信心の沙汰をすべきものなり。これ真実の往生極楽をとぐべきいはれなるがゆえなり」(御文)

(訳:会合では信心の沙汰をすべきである。これが死の解決をするために重要なことである)

 

「あひたがひに信心の沙汰あらば、これすなはち真宗繁昌の根元なり」(御文)

(訳:互いに信心の沙汰をすることは、真実の求道団体が繁盛する根元である)

 

「罪の有り無しの沙汰をせんよりは、信心を取りたるか取らざるかの沙汰、いくたびもいくたびも、よし」(御一代記聞書)

(訳:罪が有るか無いかを議論するより、信心を獲たか否かを何度も何度も問題にすべきだ)

 

「万事、信なきによりてわろきなり。善知識のわろきと仰せらるるは、信のなきことを僻ことと仰せられ候う」(御一代記聞書)

(訳:何事にしても死の解決をしていないから悪なのだ。善知識が悪と言うのは、死の解決をしていないことを間違いだと言うのだ)

 

・知解は初心者

知識の力で、物事を理解しようとすることを知解といいます。真偽を見極めるために重要なことですが、知解の段階は仏教の初心者です。仏教を学ぶ人は多いですが、深刻な問題として受け止める人は少なく、多くの人が知解の段階で人生を終えていきます。

「合点ゆかずば合点ゆくまで聞きなされ、聞けば合点のゆく教え、合点したのは信ではないぞ、それは知ったの覚えたの」(庄松)

(訳:理解できなければ理解できるまで聞きなさい。聞けば必ず理解できる教えである。しかし、理解したのは信心を獲たということではなく、知った覚えたということである)

 

〇宗派

仏教はインド、中国を経て日本にやってきました(三国伝来)。日本には様々な宗派がありますが、どの経典を重視するかによって宗派が分かれています。主な宗派と開祖、重視する経典を挙げます。

<自力聖道門>

・天台宗 伝教 法華経

・真言宗 弘法 大日経

・禅宗(曹洞宗) 道元 涅槃経や楞伽経など

・禅宗(臨済宗) 栄西 涅槃経や楞伽経など

・禅宗(黄檗宗) 隠元 涅槃経や楞伽経など

・華厳宗 審祥 華厳経

・法相宗 玄奘三蔵 解深密経

・律宗 鑑真 四文律

 

<他力浄土門>

・時宗 一遍 阿弥陀経

・浄土宗(鎮西派) 聖光房弁長 観無量寿経

・浄土宗(西山派) 善恵房証空 観無量寿経

・浄土真宗 親鸞 大無量寿経

 

〇真実の経

数多ある経典の中で、大無量寿経が真実の経であり、他の経典は大無量寿経に導くための方便の経となります。

「如来、無蓋の大悲をもって三界を矜哀す。世に出興する所以は、道教を光闡し、群萌を拯ひ、恵むに真実の利をもってせんと欲してなり」(大無量寿経)

(訳:仏は、この上ない大きな慈悲ですべての生物をあわれむ。この世に現れた理由は、真実を説いてすべての生物を救い、真実の利益を施したいと思っているからである)

 

「当来の世に経道滅尽せんに、我慈悲をもって哀愍し、特にこの経を留めて止住すること百歳せん」(大無量寿経)

(訳:やがて必ず来る世に、様々な経は滅んで無くなるが、この経だけは永遠に残るだろう)

 

「それ、真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり」(教行信証)

(訳:真実の経典は大無量寿経である)

 

たとえるなら、大無量寿経はビルディングであり、他の一切の経典は金属棒でつくる足場にあたります。足場をつくる目的はビルを建てる為であって、ビルが建ってしまえば足場は不必要になります。

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第1章 真実
1.1 人間は真実を求めている
1.2 仏教
1.3 自力と他力