第1巻から見てきたように、「いつでもどこでも変わらない真実の幸福」は、大乗仏教に説かれています。
仏のことを如来ともいいますが、これは真如来現の略であり、真如とは真理のことです。つまり、仏とは真理を説きに来たり現れた方ということです。
仏教は、聞いていけば必ず理性が満足します。つまり、因果関係が明確になり納得できるということです。理性が満足しない場合、説く側か聞く側のどちらかが未熟です。
〇仏教でしか助からない
〇宗教のマーケティング方法を知る
〇経典
〇真実は1つ
〇仏教でしか助からない
真実を追究すれば仏教に行き着きます。
「篤く三宝を敬へ。三宝とは仏・法・僧なり。すなはち、四生の終帰、万国の極宗なり」(聖徳太子/十七条憲法)
(訳:心から三宝を敬いなさい。三宝とは阿弥陀仏、仏法、善知識である。つまり、すべての生物が最後に行き着く教えであり、すべての国の究極の教えである)
無数の宗教が世にありますが、いずれの時代も助かる道は仏教しかないのです。ちなみに、「宗教」という言葉は、元は仏教用語です。
・法印
たとえば、他の宗教では教えることができない、仏教を特徴づける根本法則とされているものがあり、これを法印といいます。法印には「諸行無常印」「諸法無我印」「涅槃寂静印」の3つがあり、三法印といいます。
・正しい生き方
真実を説く仏教を信じることが人間として正しい生き方です。
幕末・明治の政治家、木戸孝允は、西郷隆盛、大久保利通とともに明治維新三傑といわれた人ですが、彼は仏教の信者でもありました。
そんな木戸の耳に、ある時、こんな陰口が聞こえてきました。
「天下を動かす大人物が、仏教とは情けない」
そこへ木戸は突然出ていき、驚いた人たちに向かって次のように反論したといいます。
「私には勇気も知恵もない、あるのは信仰のみ、正しい信仰を持つことは、千万の味方を得ることよりも心強いこと、傘を持っているおかげで雨が降っても安心していられるようなものだ」
・仏教以外信じるな
仏教しか助かる方法はないため、仏教以外を信じてはならないと厳しく説かれます。
それは日本に古くからある神道にしても同じです。これは、人や畜生の魂が死んだ後、神霊となって神社に鎮座し、生きている人に禍福(不幸や幸せ)を与えると信じ、商売繁盛、家内安全、病気平癒、合格祈願等々のご利益を祈るという宗教です。有名な神社とその神体をいくつか挙げます。
伊勢神宮:天照大神
太宰府天満宮:菅原道真
靖国神社:幕末から太平洋戦争までの戦死者
明治神宮:明治天皇
日光東照宮:徳川家康
宗教年鑑平成26年版によれば、219,939の宗教団体があり、内訳は次のようになっています。
神道系:88,549(40.2%)
仏教系:85,282(38.7%)
キリスト教系:9,347(4.2%)
諸教:36,761(16.7%)
このように神道は日本にはびこっていますが、次のように厳しく排斥します。
「占相を離れ、正見を修習し、決定して深く罪福の因縁を信ずべし」(華厳経)
(訳:吉凶といった占いを止め、正しい考え方を学び、善であろうと悪であろうとすべて明確な因果関係があるという因果の法則を深く信じるべきである)
「正見を得て歳次日月の吉凶を択ばず」(大集経)
(訳:正しい考え方を身につけ、年や日や月のよしあしといった占いを信じない)
「三宝を帰敬して天神を信ぜず」(大集経)
(訳:三宝に帰依して、神を信じない)
「仏に帰依せば、終にまたその余の諸天神に帰依せざれ」(涅槃経)
(訳:阿弥陀仏に帰依するのなら、その他の神々には絶対に帰依してはならない)
「一切外学の九十五種は、みな悪道に趣く」(涅槃経)
(訳:仏教以外の宗教を学べば、すべて地獄に堕ちる)
「吉凶の相を執して、鬼神を祭れば、極重の大罪悪業にして、近く無間罪を生ず」(地蔵十輪経)
(訳:吉凶の占いに執着し、神を祭れば、極めて重い罪悪を造り、死後は無間地獄に堕ちる)
「この三昧を聞きて学ばんと欲わば、乃至自ら仏に帰命し、法に帰命し、比丘僧に帰命せよ。余道につかうることを得ざれ、天を拝することを得ざれ、鬼神を祠ることを得ざれ、吉良日を視ることを得ざれ」(般舟三昧経)
(訳:死の解決をしようと思うならば、阿弥陀仏に帰依し、法に帰依し、善知識に帰依しなさい。仏教以外の宗教を信じてはならない。神や日の良し悪しといった迷信を信じてはならない)
「世間の邪魔、外道を信ぜば、倒見してついに横死せしめ、地獄に入りて出期あることなし」(本願薬師経)
(訳:迷信や仏教以外の宗教を信じれば、あやまった考えにとらわれて、ついには非業の死をとげ、地獄に堕ちて抜け出すことができない)
「九十五種世をけがす 唯仏一道きよくます 菩提に出到してのみぞ 火宅の利益は自然なる」(正像末和讃)
(訳:仏教以外の宗教が世を汚す。ただ阿弥陀仏を信じる道だけが清浄である。死の解決をして初めて、本物の利他が自ずとできるのである)
「天王寺土塔会、前々住上人、御覧候いて、仰せられ候う。『あれほど多き人ども、地獄へおつべしと、不便に思し召し候いつる』」(御一代記聞書)
(訳:四天王寺の祭りに、たくさんの人がいるのを蓮如上人が見て、「あれほど多くの人が、全員地獄に堕ちるのだ、とあわれに思う」と仰った)
・神仏一体は間違い
「仏教には神仏一体の教えがあるではないか」と批判する人もいますが、そんな教えは仏教にはありません。
話は仏教が日本にやってきた時代まで遡ります。
当時、神信心は権力者と結びついており強い力がありました。そこで僧侶たち(主に真言宗や天台宗)は、神道と仲良くするために、つまり権力者と仲良くするために仏教の「本地垂迹説」に目をつけました。本地垂迹説というのは、仏が衆生を救うために人間や動物など、様々な形をとることをいい、これは仏説です。この本地垂迹説を僧侶たちは保身のために利用し、「仏は人々を救うために神として垂迹した」と捻じ曲げたのです。
第5巻でも少し触れましたが、本願寺は大戦中も保身のために神仏一体説をでっちあげました。これからもいざとなれば、神仏一体説はでっちあげられるでしょう。
・神に禍福を与える力はない
禍福を与える力があるというのなら、どうして自分のところに参りにきてくれた人を幸せにしてあげないのでしょうか。
太平洋戦争では、軍の指導者や神主たちが、「日本は神国だから、必ず神風が吹いて戦争に勝つ」と信じ神に助けを請いましたが、ついに神風は吹きませんでした。
御嶽山は、山頂に神社があり、宗教登山が盛んなことでも知られていますが、2014年の噴火では戦後最悪の58人の犠牲者を出しました。
東海道新幹線火災事件で死亡した女性は、直前に「今日は、これまでの平穏無事のお礼参りに伊勢神宮へ伺います」とSNSに書き込んでいたといいます。
他にも、「初詣中に階段から落ちて死んだ」とか、「神棚が火元となって火事になった」といった話もよく聞きます。
こんな話もあります。
兵庫県、西宮神社の「福男選び」は、年始の恒例行事となっており、2019年は消防士の男性が選ばれました。これをたまたまテレビで見ていた交際相手の女性は驚きました。実は、この「福男」には妻子がおり、そのことをこの時まで知らずに交際していたからです。不倫がバレた「福男」は酷く落ち込んでいるといいます。
「福男」となって不幸になったのは彼だけではないようです。
たとえば、前年の2018年に「福男」に選ばれた男性は次のように語っています。
「災難が続いたのは事実です。昨年は『福男』の祝いの席で腸炎になって41度の熱を出したり、受験に失敗して浪人が決まったり・・・・当て逃げされたこともありましたし、バイト先のガソリンスタンドでワイパーに挟まれて流血したことも」
「今年(2019年)の1月4日、車を運転中に後ろからバイクに追突され、2度目の事故に遭いました。ぼくの任期は10日までだったので、“最後までこれかよ”と。他にもここでは言えない人間関係のトラブルに巻き込まれ、大学受験も2回目の失敗が決定していまして・・・・どうも歴代の福男も不幸になっているそうです」
「神社の宮司さんも“福男に幸福は来ない”って言ってました。福男になった瞬間に幸福を使い果たして、あとは不幸が襲ってくるとかで(笑い)」
ちなみに、この「福男」が2018年に引いたおみくじは、ずっと大吉だったといいます。
それにしても、競争して他人を蹴落とした人に福を与えようとする神に疑問を持たないのでしょうか。
このように、神を信じ、頼みに参った人が不幸になった事例はゴマンとあります。
神社の長である宮司の不幸話もたくさんあります。
富岡八幡宮では、第20代宮司が、第21代宮司である姉と妻を殺害し自殺するという事件がありました。賽銭で豪遊していたというこの第20代宮司は、事件前に、「私の要求が実行されなかったときは、怨霊となり、永遠に祟り続けます」と書かれた文書を関係各所にバラまいていたといいます。このぐらいの事件があると大衆も「禍をもたらし福をもたらさない」と判断するようで、事件後は参拝者が激減し、初詣客は8割減少したそうです。
さらに、こんな話もあります。
世界的に著名な彗星捜索家の木内鶴彦は、劇的な臨死体験をしたことでも知られていますが、その時に江戸時代へタイムスリップしたそうです。そして、当時の土佐神社(高知県)の柱に「つる」とサインしておいたといいます。現代に戻り土佐神社へ行ってみると、その時に書いたサインが残されており、宮司によれば、神が降りてきて柱にメッセージを残したものと言い伝えられており、由緒書きもあるそうです。また、大本教(神道系)を興した出口なおの「お筆先(自動書記)」も、木内がなおに書かせたといいます。これらが事実なら神の力ではなく人間(木内)の力ということになります。
神道の神に禍福を与える力はありません。神を信じることで幸せになったと思っている人も、不幸になったと思っている人もいるでしょうが、神の力によるものではないということです。どんと焼きでダイオキシンまぶしの餅を食べても、「百害あって一利なし」なのです。凶なしのおみくじを販売する神社というのもありましたが、人間の妄念が生み出した宗教です。
人間は心の力の重さがわからないため、神を信じる恐ろしさがわかりません。鳥居を見ただけで影響を受けるので、意識的に遠ざける必要があります。どうしても鳥居を通らなければならない場合は、くぐらずに鳥居の外側を通るべきです。
同じことは、神道以外の宗教にもいえます。先に説明した通り、こういった宗教を信じれば地獄に堕ちるので、仏教では邪教として厳しく排斥しているのです。
〇宗教のマーケティング方法を知る
数多くの宗教がありますが、信者を獲得する方法というのは、だいたい決まっています。直接的に教義を広めるだけでなく、金儲けをしたりイメージを刷り込んだりといった具合に間接的に広める方法もあります。
・教義を広める
宗教を名乗って活動するとは限りません。学習塾の運営元が宗教団体といった具合に、隠して活動することも非常に多いです。宗教と親和性のある教育系のサービスを展開することが多く、仏教系ならヨガ教室なども多いです。
そこには母体である宗教団体のコンテンツが何かしらあります。教祖のポスターや著書があったり、あからさまに教義を学ばせる場合もあります。金を儲けるよりも信者獲得に重点を置いているので、費用が安かったりサービス良く接してきます。
・金を儲ける
信者獲得よりも金や権力を得ることに重点を置く場合もあります。会社を作ったり、政界に進出したりといった具合です。有名な企業の母体に宗教団体があるというのはよくあることです。業種も飲食業や不動産業など様々です。
この場合、母体の宗教団体のコンテンツは、基本的に置きません。こういった企業に金を使ったり、従業員として働けば、間接的にその宗教団体の発展に貢献していることになります。
・良いイメージを植えつける
良いイメージを植えつけることに重点を置く場合もあります。たとえば、「クリスマス」のような展開です。普通は、クリスマスといえばキリスト教を連想します。クリスマスが盛り上がるほど、良いイメージが植えつくほど、キリスト教のイメージアップにつながります。ハロウィーンにしてもバレンタインにしても同じです。
このような方法で合法的に活動し、徐々に巨大化していきます。そして第4巻でも説明したように、ナチスのような最悪の展開もあり得るのです。宗教に無知であってはなりません。
〇経典
仏教は「仏の教え」と書きますが、仏とは釈迦を指します。釈迦は35歳で仏の悟りを開き、80歳で入滅しましたが、仏として45年間布教した教えを、今日、仏教と呼んでいます。
そして、釈迦が説いた教えを記録したものを経典と呼びます。ですので、経典を根拠にしていない教えは仏教とは呼べないということになります。
・結集
釈迦の入滅後、仏の教えを成文化するため、500人の記憶力抜群の仏弟子たちが集まって行われた仏典編集会議を結集といいます。
経典を残したのは釈迦の弟子たちであって、釈迦自身が書いたわけではありません。「この教えを残さないといけない」と弟子たちが危機感を抱いたのです。
・別名
数千巻にも及ぶ膨大な量の経典が残されていますが、全体を総称して、「一切経」「三蔵」「一代教」「八万の法蔵」「八万四千の法門」ともいいます。
・大乗非仏説
大乗非仏説とは、大乗経典は釈迦が説いたものではないとする説で、古くインド仏教界にも主張する人がいました。日本では江戸時代の儒学者、富永仲基がいい始め、現代でも主張する人はいます。しかし大乗経典は、「小釈迦」とか「八宗の祖師」と評される龍樹を始め、多くの天才が仏説として尊崇したものです。その作者の素性がまったくわかっていないというのは、あまりに不自然でしょう。
〇真実は1つ
「迷う道は広いが、助かる道はただ一筋」(和泉の吉兵衛/妙好人)
いつの時代も、救われる道は1つしかありません。
・方便
その正しい一本道に近づけるために釈迦は膨大な対機説法をしたのであり、その内容が膨大な経典として残されているのです。
・迷う
しかし、その一本道に近づけるための方便であるのに、方便に心を奪われている人が多くいます。そのため、現代では様々な「仏教」が乱立しています。大集経には、「現代は末法の時代であり、闘い、争いが盛んであるので、釈迦の正しい教えは隠れてしまった」と説かれています。第1巻でも説明したように、科学が「正しい教え」を浮かび上がらせてくれるかもしれません。あるいは、人間のやることなので、もっと隠してしまうかもしれません。