第1巻から説明してきたように、宇宙の真理を意識化する方向に向かって生命は進化しています。

「人間の知りたいという欲求は、無意識の中に横たわる自己からの働きによるもので、それは宇宙の真理を知ることに向けられていると考えられる。宇宙の真理を意識化したいという暗黙の欲求によって、人類の進化としての営みが行われているように」(望月清文/城西国際大学教授)

この欲求が人間にあることは、日常の至るところで見ることができます。たとえば、裁判所は真実を追究する場です。被害者は一様に「真実を知りたい」「真実を明らかにしてほしい」と訴えます。また、科学であれ何であれ、学問というのは真実を追究しています。トルストイは、「人々が心から信仰している一切のものは、真理でなければならぬ」と言いましたが、人間は真実というものは信じなければならないと思っています。

このように、人間は意識するとしないとにかかわらず、「真実は何か」ということを常に求めています。

〇真実の定義

哲学における真実の定義は次のようになっています。

・いつでも変わらない

1つ目は時間を超えて変わらないものということですが、簡単に言うと「いつでも変わらない」ということです。仏教では「三世を貫く」といいます。

 

・どこでも変わらない

2つ目は空間を超えて変わらないものということですが、簡単に言うと「どこでも変わらない」ということです。仏教では「十方を普く」といいます。

つまり、真実の定義は「時空(時間と空間)を超えたもの」となります。

特に、人間にとって「幸せ」が何よりも重要です。つまり人間は、意識するとしないとにかかわらず、「いつでもどこでも変わらない幸せ」を探し求めているということです。

 

〇人間は迷いやすい

しかし、人間は迷いやすい生き物です。

哲学者のキルケゴールは、「人は二通りの方法で騙される。一つは、真実ではないことを信じることによって。もうひとつは、真実を信じないことによって」と言いました。

・戦争

たとえば、戦争を見てもそれがわかります。

「米国がイラクに侵略する前は、数多くの識者が、サダム・フセインが大量破壊兵器を蓄積していると証言した。もちろん結局のところ、そんなものは何も発見されなかった。米国人の前に示された『事実』はインチキだった。議会で証言した識者は嘘をついたわけではなく、それが真実だと思い込んでしまっていたのだ。自分の中で意見をまとめるとき、私たちは自分の信条に見合った事実に重きを置き、そうでない事実は無視しがちだ」(アルベルト・ヴィロルド/心理学者/州立サンフランシスコ大学教授)

 

「たしかにフセインは酷いことをした。しかしフセインについて明晰に考えられなかったことがもっと酷い事態を招いた。イラク戦争とその余波による罪のない死者は10万人をはるかに上まわる」

「最初はある国のリーダーを本性的に悪い人間だと思うことからはじまる。ここから、その国全体を自分の敵だと考えるようになる。つぎはその国の兵士全員、さらにはその国の人たち全員が本性的に悪いという考えに変わる。そしてもし相手が悪い人たちなら、良心の呵責を感じることなく殺してもかまわないということになる。アメリカは日本の軍事基地ではない2つの都市に原子爆弾を落としたが、アメリカ人から抗議の声はほとんどあがらなかった」(ロバート・ライト/科学ジャーナリスト)

 

「戦争が5年も続いていたので、イラクについて米国民が知っているのと同じ事実を、大半の米兵も知るようになった。いわく、イラク戦略は嘘に基づいていたこと、サダム・フセインと9.11事件は何の関連もなかったこと、イラクに大量破壊兵器はなかったこと。これらの事実と、戦地における残酷な日々の現実とがあいまって、大多数の米兵が占領に反対するようになった」(「冬の兵士 イラク・アフガン帰還米兵が語る戦場の真実」より)

 

「実際に進行中は、私たちが標的に対してどれほどの武力を使おうと、それを制限する規則などありませんでした。通りかかったある女性のことを覚えています。大きな袋を持っていて、こちらに向かってくるように見えた。そこで、私たちは彼女に向けてMk19自動擲弾銃をぶっ放しました。やがて粉塵が収まると、その袋には食料品がいっぱい詰まっていたことがわかりました。その女性は私たちに食べ物を届けようとしていた。それなのに、私たちはその人をチリヂリの肉片に吹き飛ばしてしまいました」(海兵隊伍長のジェイソン・ウォッシュバーン)

 

「着いてみたら、自分たちを殺したがっている人間が大勢いるのがわかった。で、次はなんだ。殺意のある人間も、ない人間も見かけは変わらないときた。どうやって見分ければいいんでしょうか。確実に生き残る道は1つしかなかった。やられる前にやる。身も蓋もない言い方ですが」(陸軍二等兵のクリフトン・ヒックス)

 

これからも数えきれないほどのデマが流れ、数えきれないほどの人が信じ、数えきれないほどの人が殺したり殺されたりするでしょう。

 

・占い

また、人間の迷いやすさは占いにも見ることができます。

ある科学者が、「無料で星占いをします」と広告を出したところ、150通ほどの手紙が寄せられました。手紙には、科学者が広告で求めておいた通りに、差出人の生まれた場所と時間とが詳しく書いてありました。科学者はどの人にもまったく同じ星占いの結果を送り返し、占いがあっていると思うかどうかを尋ねる質問紙を同封したところ、手紙の主の94%が、「占いは当たっていると思う」という返事をよこしました。しかし実は、その星占いは、ある連続殺人犯に対するものでした。

これは著名な懐疑論者であるカール・セーガンが紹介している事例ですが、彼は「お気に入りのヒトコマ漫画」として、「占い師がカモである客の手のひらを見ながら、『あなたはだまされやすいですね』と重々しく告げている図」を挙げています。

開運のために改名したら、すぐに事故で死んでしまったといった事例はゴマンとあります。

ジャータカ(釈迦の前世物語)には、自分の名前が気に入らず、どんな名前がいいか探し求める少年の話があります。

「命あるもの」という意味の名前の人が早く死に、「宝守」という名前の人が貧しく、「旅慣れ」という名前の人が道に迷っていたのを見て、名前に惑わされていた自分の愚かさに気づくという話です。

仏教で説かれるように「日々是好日」と思うのが正しいのに、日の良し悪しに振り回される人も多くいます。

「高島易断」を大きくした高島象山が殺された事件も象徴的です。この事件で象山は滅多刺しにされて殺され、同じく易者の象山の長男も重傷を負いました。犯人の男は、「象山に占ってもらったが当たらなかった」と供述し、妹あての手紙には「お前は絶対に占いを信用するな」と書いていたといいます。事件後、「象山は自分の剣難も予見できなかった」と非難されました。

そもそも、そんなに当たるのなら、たとえば自分の手相を変えればいいと思うのですが、なぜ彼らはそうしないのでしょうか。彼らは、寒い日も暑い日も街頭で他人の汚い手を見て占っていますが、そんなことをしなくてもいいように自分の手相を変えることはできないのでしょうか。

 

・いざとなると気になる

普段はこういった迷信を気にしないと自負している人でも、命の危険が迫ったり、いざとなると気になりだします。

「何か因果関係があるのでは」という疑いがムクムクと出てくるのです。

心療内科医の星野仁彦(福島学院大学教授)はガンになった時、妻が迷信を気にし出したといいます。

「ある日、頼み忘れていた医療文献を持ってきてほしいと個室の電話から妻に連絡を入れた。自宅から病院まで車で5分もかからない。家を出るまでに多少時間がかかっても、15分はかからないだろう。しかし、妻は30分たっても病室に現れない。私は、自宅に電話を入れてみた。しかし、誰も出ない。

(まさか、事故に遭ったんじゃないだろうな)

40分後に、妻はようやく病室に現れた。

『どうしたんだ?』

『ごめんなさい。駐車場になかなか空きが見つからなくて』

『駐車場?』

今日はそんなに駐車場が混む日だったろうか。私は考えてみたが、そんなことはない。

『今日はそんなに混む日じゃないと思うが。何かあったのか』『違います。駐車場に入って空きを見つけたら、13番だったんです』

『13番?』

『だから、もう1度駐車場に入りなおしたら、4番で・・・・。次は9番だったんです』

妻は、駐車場の番号が不吉な数字だったから、何度も入り直していたのだった。

『何だか嫌な感じがしたから・・・・』

人間というのは、不安になると少しの不安材料でも完璧に排除したくなるものだ。確認癖は不安の強い人がよく示す強迫観念の1種である。普段はこのような傾向はまったくみられない妻であるが、『夫を失うかもしれない』という不安がよほど強かったのであろう。

その日の夕食。妻はバッグから白ごまを取り出した。身体に良いとご飯にごまをかけるのは自宅ではいつものことだが、いつもは黒ごまである。

『黒いものが入ったご飯を食べたら、不吉なことが起きそうな気がして』

妻は、敬虔なクリスチャンである。これまで、そんな縁起を担ぐことなどなかった。そのときの彼女は不安を取り除ければ、何でも受け入れていたと思う。それだけ不安が大きかったということだ」

カール・セーガンは、「魔女狩りはさまざまに形を変えて、人類が存在するかぎり永久にくりかえされるだろう」と言い、「魔女狩りがなぜ起こったのかきちんと理解できないと、新たな魔女狩りが持ち上がっても、それに気づくことはできないだろう」と警告して死んでいきました。

人間がいかに迷いやすい生物であるかは、これまで見てきた通りです。

第1巻で見たように、真実を追究するのが仕事であるはずの科学者の中には、科学教の信者となってしまった人もいます。

第2巻で見たように、金で幸せになれると思っている拝金宗の信者もいれば、結婚や子育てで幸せになろうとする家族教の信者もいます。

第3巻で見たように、ぽっくり死ぬことを願っているぽっくり教の信者もいれば、死者供養で極楽へ行こうとする葬式仏教の信者もいます。

第4巻で見たように、モラルを守っていることを誇るモラル教の信者もいれば、悪人の自覚がない善人様もいます。

第5巻で見たように、無償の愛を与えていると自惚れている己知らずもいれば、親を恨むバカもいます。

「迷信は信じてはいけない」と誰もが言いますが、内側からは煩悩が逆巻き、外側からは迷わせるもので溢れているため人間は一瞬で迷います。

 

〇真実を追究する力

人間には、偏見を持たず真実を追究する力が要求されます。「偏見がない」というのも1つの能力です。人間心理からいえば諦観、つまり真理を明らかに観察することは難しいことですが近づくことは可能です。カール・セーガンは、「懐疑精神を身につけるのに、高い学歴がいるわけではない。現に、たとえば中古車を買うときには、たいていの人がこの精神を発揮しているではないか」と言いました。

地獄が迫れば最後は、「溺れる者は藁をも掴む」という心境になってしまいます。いざとなれば藁があれば掴むだけで、「この藁を掴めば本当に助かるのか」とまでは思わないものです。そうなる前に真実を追究する必要があります。

・理性が真偽を判断する

第1巻でも理解の重要性について触れましたが、哲学者のパスカルが「人間は考える葦である」と言ったように、人間にとって考える力は非常に重要なものです。

哲学者のラルフ・ワルド・エマーソンは、「軽薄な人間は運勢を信じ、強者は因果関係を信じる」と言いましたが、物事の真偽を判断するのは、感情ではなく理性です。宗教にしても理性から入ることが重要です。

 

・必ず迷う

結論から言えば、いくら追究しようが真実の幸福は自力で見つけられるものではありません。科学は人生の根本的な問題に対して無力であり、他に方法を見つけようとしても宗教はおかしいものばかりです。結局、ほとんどの人は、真実の幸福を手に入れないまま、つまり迷ったまま、迷っていることを自覚することもないまま死んでいくことになります。

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第1章 真実
1.1 人間は真実を求めている
1.2 仏教
1.3 自力と他力