開顕していくと人が集まり求道団体となります。
〇求道団体の目的
求道の目的は死の解決ただ1つですので、求道団体の目的は、死の解決をする人間を生み出すことでなければなりません。
・求道団体の繁盛とは
基本的に、正しいか否かに関係なくマーケティングの量を増やせば人は集まります。狂った宗教団体に人が集まる一因はそのためです。
しかし、0点が何人集まっても0点にしかなりません。
先に説明した通り、求道団体の優劣は、死の解決をした人がいるか否かで決まります。つまり、何万人と信者がいても死の解決をした人がいなければ、その求道団体は繁盛しておらず、たとえ1人しか信者がいなくても、その人が死の解決をしていれば、その求道団体は大繁盛ということなのです。
この目的を忘れ、仕事のための仕事になってしまえば世間の仕事と変わりません。
江戸時代中期の華厳宗僧、鳳潭に次のようなエピソードがあります。
鳳潭が、華厳の講義を聴いていた時のことです。
難しい講義だったため、多くいた聴衆がやがて鳳潭1人だけになりました。すると先生である光謙は、1人だけになったという理由で廃講にしようと言い出しました。しかし鳳潭は、明日からたくさんの聴衆をつれてくるから講義を続けてほしいと願い出ました。
翌朝、光謙が教室へいくと、本当に聴衆がずらりといました。
しかし、よく見ると鳳潭以外はワラ人形でした。これはどういうわけかと光謙が聞くと、鳳潭は「講義を聴いてもわからない連中は、この人形にひとしいものです」と答えました。それを聞いて感動した光謙は、鳳潭1人のために講義したといいます。鳳潭は後に、「華厳の鳳潭」といわれるまでの人になっています。
・質のために量を追う
質の高い求道者は滅多にいません。ですので、質の高い求道者を見つけるために数を追うという視点も大切です。
・発見と養育
宿善のある人を見つけるという視点と、宿善がない人を育てるという大きく2つの視点があります。つまり、釈迦のような天才を見つけるという視点と、凡人を育てるという視点です。
どちらも大切です。前者は見つけるのが大変ですが、育てるのは簡単です。後者は見つけるのが簡単ですが、育てるのは大変です。
・求道団体に所属するメリットとデメリット
所属する求道団体に生きた善知識がいれば、その善知識の指導を直接受けられることが最大のメリットです。
また、同じ目的を持った切磋琢磨する仲間がいれば、1人で求道するよりも進みやすくなります。1本の矢は折れやすくとも、3本まとまると折れにくくなるという「三本の矢の教え」の通りです。こういった仲間を法友ともいいますが、常に5人位の法友がいる状態が理想的です。
ただ、良くも悪くも周りのレベルに引っ張られます。
複数のメトロノームを用意し、バラバラのタイミングで振り子を動かすと、最初はバラバラでもやがて同じリズムになります。同期するのです。
「ノミの法則」なるものもあります。
ノミは体長の何十倍もの高さをジャンプできる生物です。そのノミをコップに入れ蓋をして閉じ込めます。当然、ジャンプしても蓋にぶつかってコップの高さ以上にジャンプできません。それを繰り返すと、蓋ぎりぎりのところまでしかジャンプしなくなるといいます。さらに、蓋を外してもコップの高さ以上にジャンプできないそうです。しかし、仲間のノミが高くジャンプしているのを見ると、元通り高くジャンプできるようになるといいます。
人間にも同じようなことがいえます。周りが優れた人ばかりであれば良い影響を与えますが、そうでなければ悪い影響を与えます。優れた求道者が集まる求道団体に所属できれば、それは幸せなことです。
・主要な弟子
また、教団が大きくなるにつれ、主要な弟子とそうでない人に分かれてきます。たとえば釈迦教団でいえば、十大弟子と呼ばれる次の主要な十人の弟子がいます。
舎利弗:智慧第一
目連:神通第一
摩訶迦葉:頭陀第一
須菩提:解空第一
富楼那:説法第一
摩訶迦旃延:論議第一
阿那律:天眼第一
優波離:持律第一
羅睺羅:密行第一
阿難:多聞第一
○活動内容
会の活動はすべて宿善となります。また宿善となるような活動にしなければなりません。
・聴聞と開顕
求道は聴聞と開顕の繰り返しです。聴聞がある時は聴聞し、聴聞がない時は開顕をします。
・行事
食事会に旅行、合宿etc.いろんな行事がありますが、世俗的な楽しみを求めて行くのではなく、これらも求道であり聴聞の一環である必要があります。
・個人より団体を優先する
個人が生み出せる結果よりチーム全体で生み出せる結果のほうが大きいため、団体の利益を優先に考えるべきです。団体の利益を優先することが利他であり、結果として自分の利益、つまり自身の死の解決へとつながります。
・活動の優先順位
会の活動といっても優先順位があります。善知識の説法など、善知識の行事を最優先にするといった具合です。とにかく善知識を中心に動きます。
〇役割分担
教団が大きくなるにつれて、様々な役割の人が必要になります。
・信仰が前提
たとえば医師にしても法律家にしても、世間の人間ではなく、求道している人間であるべきです。
・誰が上に立つべきか
求道は実力主義であり、年齢は関係ありません。信仰や教学、生活態度等々、上に立つ人間はあらゆる面で見本になることが要求されます。しかし、そういうすべてを兼ね備えた人は、まずいません。ですので、「比較的」信仰や教学がある人が上に立つことになります。
また、たとえ信心や教学は浅くても、やる気のある人が上に立つこともあります。それだけやる気があるというだけで、周りに良い影響を与えるのです。もっとも、やる気があれば信仰や教学も速いスピードで後からついてくるものです。世間でも同じようなことはいわれています。
「情熱さえあれば、自分に能力がなくても、能力のある人を自分の周囲に配すればいいわけですし、資金や設備がなくても、自分の夢を一生懸命に語れば、応えてくれる人はあるはずです。ものごとを成就させていく源は、その人が持つ情熱なのです」(稲盛和夫)
逆に、どれほど教学や信心があろうと、やる気がなければ上に立つには相応しくありません。
・上司の指示は善知識の指示
上司の指示というのは、上司の個人的な意見ではなく、団体全体としての指示であり善知識の指示である必要があります。ですので、基本的に上司の指示は従うべきです。一方で、上司もまた凡夫にすぎないので、間違ったことをしていないか監視する必要があります。
・上に立つ危険
上に立つことで責任が増し、それだけ宿善を積む機会も増えるといえますが、活かせず失敗してしまうことも多いです。プレッシャーに負けたり、名誉欲に溺れたり、立場を守るために嘘をついたり、上に立たなければ造らなかったであろう罪悪を造ってしまい、求道から脱線して破滅していくこともあります。「大いに走るものは多く躓く」と言った人もいますが、上に立つということは、諸刃の剣のような面があるのです。凡夫であり、求道中の身であることを、よくよく肝に銘じなければなりません。
人に注意する場合も、自分が偉くて注意するのではないのです。禅宗僧侶の夢窓疎石は、「打つ人も 打たれる人も 諸ともに ただ一時の 夢の戯れ」と詠みました。
こういった点も世間でもいわれていることです。
「社長なんて偉くもなんともない。課長、部長、包丁、盲腸と同じだ。要するに命令系統をはっきりさせる記号にすぎない」(本田宗一郎/経営者)
「社長であるのも役割なのです。社長だからといって、自分の勝手なご都合主義を通すというのは、役割を特権と勘違いしているのです」(稲盛和夫)
・和を乱す罪
五逆罪の1つに、和合僧を破る罪があります。
僧の和を乱すことをいいますが、僧とは真実の仏法を広める団体のことです。あからさまに誹謗中傷するだけではありません。約束を破ったり、時間を守らなかったり、こういった行為は和を乱すことになるので、よくよく気をつけなければなりません。
約束の重さについて教えた話も数多くあります。
歴史家のナピールが歩いていると、見るからに貧しそうな少女が、陶器の欠片を持って泣いていました。声をかけてわけを聞くと、牛乳を買いに行こうとしたところ、家主から借りたビンを落として割ったのだといいます。さらに事情を聞いてみると、少女は早くに母を亡くし、大病をわずらっている老父の世話を1人でしているといい、強欲な家主に叱られると思い途方に暮れていたのだといいます。
ナピールは何とかしてあげたいと思いましたが、貧乏学者だったため手持ちがありませんでした。そこでナピールは、「明日の朝、弁償するだけのお金を持ってくるから、またここにおいで」と少女と約束しました。
翌日、約束を果たすため出かけようとすると、一通の手紙が届いていることに気づきました。開けてみると、ナピールに研究費を出してくれる貴族が見つかったという連絡でした。しかし、その貴族は今日の午後に帰るから、すぐに会いに来いとのことでした。ナピールは、少女との約束とどちらを取るべきか悩みました。
しかし、人として取るべき道は決まっていました。
「今日は大事な用件があるから行くことができない」と断り、少女との約束を果たしに行きました。
傲慢な奴だと思った貴族は怒りましたが、後に事情を知って驚き、今度は自分から援助を申し入れたといいます。
もう1つ紹介しましょう。
ある日、トルストイが散歩していると、向こうから若い母親が小さな女の子を連れてやってきました。すれ違いざまに、女の子がトルストイの鞄を見るや、あの鞄が欲しいとせがみました。母親がたしなめましたが、それでも言うことを聞かず、大声で泣き始めました。それを見兼ねたトルストイは、「明日になったら使わなくなるからあげよう」と約束しました。
翌日、少女の家へ行ってみると、母親が沈んだ表情で出てきました。何かあったのか聞いてみると、母親は、「昨夜、急に娘の具合が悪くなり、医者を呼んだものの間に合わず・・・」と言って泣き崩れました。何が起こっているのかわからず、トルストイは呆然としました。
しばらくして気を取り直し、棺に案内してもらいました。そして、そっと鞄を棺に入れて帰ろうとしました。
「もう娘は死んでしまったので鞄はお持ち帰りください」
このように言う母親にトルストイは、「いや、お子さんは亡くなられても約束は生きております。私は、約束を破るような男にはなりたくないのです」と言ったといいます。
軽薄な人間は簡単に約束して簡単に破りますが、大人は簡単に約束せず約束したら決して破りません。
〇異分子の排除
人が増えるにつれ、真面目な求道者だけでなく、目的違いの不純な動機の人がどうしても出てきます。こういった異分子をそのままにしておけば、獅子身中の虫となって、本人だけでなく団体全体も滅茶苦茶になってしまうので、異分子をあぶりだす必要があります。
・全員悪人
団体内には様々な人がいますが、全員凡夫であり悪人であることを忘れてはなりません。ずっと一緒にいる家族のような存在になるので、この点をよくよく意識し、互いに監視する必要があります。信用するものでもなく、信用しないものでもないのです。
・除名
釈迦も教団の質を保つために、「雑草」と言って悪い修行者を追い出しています。除名は最も重い処分で、除名されたということは相当悪い行為をしたということです。歴代の善知識を見ても、それなりの理由があって除名しています。
・自然に淘汰される
もっとも、質を追求していけば、質の悪い求道者は自然に淘汰されていきます。たとえば、名利を目的にするなど、不純な動機で求道を始める人は、真面目な求道者からすぐ見抜かれるものです。すると、居心地が悪くなったり、周りについていけなくなったりして、自然に離れていきます。
・厳しさと緩さ
基本的に、厳しくすれば数は集まりにくいですが質が高い人が集まり、緩くすれば数は集まりますが質が低い人が集まります。どちらにも一長一短があります。厳しい団体にするのもそうでなくするのも、トップである善知識次第です。
本願寺八代目の蓮如は、さびれていた本願寺を今日ある巨大な教団にしました。そのため蓮如は中興上人と呼ばれており、その気になれば天下をとれたのではないかと思うほどの権力を握っていました。蓮如のもとにあれだけの人が集まったのは、異分子の排除に緩かったことが一因でしょう。蓮如が現代に生まれていたら、おそらく一代で仏法は世界中に広まったのではないでしょうか。
○求道団体の分裂
優れた指導者がいなくなったりすると、団体の和は乱れ、分裂しやすくなります。「自分こそが先生の意志を正しく受け継いでいる」と主張する者が、何人も出始めるからです。仏教の歴史を見ると、その流れがよくわかります。元は1つだった釈迦教団が分裂し、約2500年経った今日では様々な団体が存在しています。
・1人でも求める
1人になると求めなくなる人がいますが、求道心が偽物の証拠です。「往生は、一人一人のしのぎなり」といわれるように、1人になったとしても、どんな環境下に置かれても、法を灯として求め切る気概が必要です。