「玉に瑕」という諺があります。「それさえなければ完全であるのに、ほんの少しの欠点があること」を意味しますが、人間については逆に、「瑕に玉」という表現がピッタリです。もっと正確に言えば、玉は一切なく瑕しかありません。

先日、ある強盗が、盗みに入った家のパソコンの中に、たまたま児童ポルノがあるのを見つけ警察に通報したというニュースがありました。この強盗の罪の意識は、強盗に対してはなく、児童ポルノに対してはあったようです。どの人間の善悪観も、これと似たようなところがあります。

人間は、膨大な悪に比べてほんのわずかに雑毒の善をしますが、そのわずかな雑毒の善をもって善い人間だと自惚れています。

・人間は皆嘘つき

「とにかくね、生きているのだからインチキをやっているのに違いないのさ」(太宰治/小説家)

 

本性が悪性であるにもかかわらず、いい人間であるかのように見せて自分も人も騙しているのです。別な言い方をすれば、「いい子ぶる」「真面目ぶる」「上品ぶる」といった具合に、「ぶりっ子」しているということです。

「心口各異 言念無実 佞諂不忠 巧言諛媚」(大無量寿経)

(書き下し:心口おのおの異に、言念実なし。佞諂不忠にして巧言諛媚なり)

(訳:心で思うことと口で言うことが異なっており、どちらも誠実でない。口先が上手く、お世辞を言って真心を尽くさず、言葉巧みにこびへつらう)

 

「外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、中に虚仮を懐いて、貪瞋邪偽、奸詐百端にして、悪性侵め難し、事、蛇蝎に同じ」(教行信証)

(訳:外面だけ利口で善人ぶった姿に見せてはならない。なぜなら、内心は嘘偽りであって、欲を貪り、怒り、邪で人を欺くといった心が絶えず起こり、悪性は止め難く非常に醜いからである)

人間は、「これだけは口が裂けても言えない」というのを、一人一人が持っています。人は嘘をついているのに、その自覚がありませんが、これでは救われません。

藤村新一という考古学研究者が起こした旧石器捏造事件なるものがあります。藤村が掘るところ次々と石器が「新発見」されたため、彼は「ゴッドハンド(神の手)」などと呼ばれ、彼の発見は教科書にも載りました。ところがある時、藤村が石器を埋めている瞬間をメディアの隠しカメラがとらえました。藤村は事前に石器を自分で埋めて、それを掘り起こすことで新発見であるかのように見せかけていたのです。25年間捏造を続けていたそうで、その間、一部疑う人はいたものの、メディアに撮られるまでバレなかったといいます。

因果応報の網から逃れることはできません。こんなバレ方もあります。

「市議が議会休みクルーズ旅行」というニュースがありました。岡山県総社市の仲達幸弘市議(65)が、入院・手術を理由に議会を欠席しながら、妻と豪華客船で旅行していたというものです。地元紙が同客船クルーズの特集を組み、中央部分に佐渡島のたらい船に乗った男女の写真を掲載、このうちの1組の男女が仲達市議夫婦によく似ていたことから疑惑が浮上したといいます。仲達市議は取材に対し次のように話しています。

「豪華客船の旅ということで楽しみにしていた部分もあったので、できれば行きたいなという思いが、僕の中に。誠に申し訳なかったなと思っています」

「(偽の証明書は)自分で作りました。ごまかしてごまかして、何とかなりゃせんかなという思いがあったんです。まさか新聞に載るなんて思ってもみませんでしたし」

写真を見ると確かに、たらい船に乗って川を渡っている夫婦の姿があります。どことなく元気がないように見えます。その後、彼は辞職願を提出したそうです。

第1巻では超能力の世界について詳しく説明しましたが、本当に超能力があったと思われる超能力者がイカサマした事例や超心理学者がデータを捏造した事例もあります。そういった行為が、ただでさえ難しい超心理の世界を、より複雑にしてしまっています。

この世には「真の人」だとか「立派な人」などという人間はいません。それにもかかわらず、人間は正しく人間を評価できず、戦国武将でさえ「英雄」とされている有様です。

たとえば、織田信長。

信長公記には次のような事例が紹介されています。

「敵兵の妻や子供、人質122人を磔に掛けることが決まり、それぞれ引き出された。幼児がいれば母親に抱かせたまま、次々に柱に引き上げ、磔に掛けた。そうして次々と鉄砲で撃ち殺し、または槍や薙刀で刺し殺した。122人が一斉に悲しみ叫ぶ声は天にも響くほどで、これを見守る人々は、目もくらみ心も消えて、同情の涙を抑えることができなかった。見た人は、20日も30日もの間、成敗された人質たちの顔が浮かんで、忘れられなかったそうである」

「女388人、男124人、合計512人を家4軒に押し込め、枯れ草を積んで焼き殺した。風が起こり火が廻るにつれて、魚が反り返り跳びはねるように、あちこちとなだれ寄り、焦熱の炎にむせび、躍り上がり跳び上がり、悲鳴は煙とともに空に響いた。地獄の鬼の呵責もこれかと思われた。肝も魂も消え失せて、二目とみられる人はいなかった。哀れな有様は、言葉には言い尽くせない」

また、比叡山焼き討ちについても次のように書かれています。

「9月12日、比叡山を攻撃し、根本中堂・日吉大社を始め、仏堂・神社、僧坊・経蔵、一棟も残さず、一挙に焼き払った。煙は雲霞の湧き上がる如く、無惨にも一山ことごとく灰燼の地と化した。山下の老若男女は右往左往して逃げまどい、取るものも取りあえず、皆はだしのままで八王子山へ逃げ上り、日吉大社の奥宮に逃げ込んだ。

諸隊の兵は、四方からときの声をあげて攻め昇った。僧・俗・児童、学僧・上人、すべての首を切り、信長の検分に供して、これは叡山を代表するほどの高僧であるとか、貴僧である、学識高い僧であるなどと言上した。そのほか美女・小童、数も知れぬほど捕らえ、信長の前に引き出した。悪僧は言うまでもなく、『私どもはお助けください』と口々に哀願する者たちも決して許さず、一人残らず首を打ち落とした。哀れにも数千の死体がごろごろところがり、目も当てられぬ有様だった」

人間の皮を被った悪魔といえます。

信長の庇護の下に布教活動を行った宣教師のルイス・フロイスは、「彼を支配していた傲慢さと尊大さは非常なもので、そのため、この不幸にして哀れな人物は、途方もない狂気と盲目に陥り、自らに優れる宇宙の主なる造物主は存在しないと述べ、彼の家臣らが明言していたように、彼自身が地上で礼拝されることを望み、彼、すなわち信長以外に礼拝に値する者は誰もいないと言うに至った」と記しています。

秀吉でさえ次のように信長の蛮行を軽蔑していました。

「一度敵せる者は、その憤怒つひに解けずして、悉くその根を断ち、その葉を枯さんとせらる。故に降を誅し、服を戮せられ、寇讐絶することなし。これ量狭く器小なるが故なり。人のために憚らるれども、衆のために愛せられず」

(訳:信長さんは、彼に背いた人を絶対に許すことをしなかった。降参してきても殺すし、常に敵討ちをしていた。これは人間の器が小さいからだ。人から恐れられはしても、人々から愛されはしない)

秀吉も似たようなものです。

たとえば、実子、秀頼が生まれると、秀吉は跡取りに考えていた養子の秀次を切腹に追い込み、一族の子女39人を皆殺しにしました。

また、朝鮮侵略では、10万以上の敵兵の鼻を削ぎ落し、日本へ送っています(最初は首を送っていたが、数が多くて大変なので、やがて鼻を送るようになった)。兵士だけでなく、民衆や女、子供まで手当たり次第に狙うようになり、殺戮だけでなく、人間ができるあらゆる蛮行がなされたといいます。

そして、毛利氏への見せしめのために、子供は串刺しに、女は磔にして200人以上処刑するなど、他にも大量に殺戮しています。

これでも英雄といえるでしょうか。

「秀吉は国民的英雄という声をよく耳にする。しかし、日本では英雄でも、侵略された朝鮮では、秀吉は侵略者そのものであるという、朝鮮史家の声は忘れてはならない。果たして秀吉は本当に国民的英雄なのだろうか」(小和田哲男/歴史学者/静岡大学名誉教授)

信長や秀吉に限らず、戦国武将は似たような行為をしています。これが実態であるのに、「英雄」とされ戦国武将ブームとなってしまっています。

 

・悪因は必ず悪果となる

悪い行いをすると必ず悪い結果が返ってくるという法則が悪因悪果の法則です。膨大な罪悪を造っている人間は、膨大な悪果を受けることになります。

次へ「無間地獄」

前へ「雑毒の善」

 

2.3 すべての人間は極悪人
心が火の元
悪は造りやすい
雑毒の善
悪人のくせに善人ぶるな
無間地獄